3.蜘蛛の目の向こう

 投票を終えると、ぼくは逃げるように会議室を後にした。投票先は蟋蟀にした。迷いに迷ったけれど、彼女以外に疑わしい人物をあげてみれば、ぼくと蛍くらいしかいない事に気づいてしまったのだ。

 蛍に入れなかった理由は単純だった。彼女のことは、ぼくの記憶に薄っすらと残っている。それも、懐かしさや好感を伴う形で。そんな彼女を吊るす勇気がどうしてもなかったのだ。ならば、他の姉妹では罪悪感を覚えないのだろうか。そんな事を考え始めると、ぼくは一気に心が苦しくなった。

 勝手すぎる。自分でもそう思った。疑うなら平等に疑えばいいのに、蛍とそれ以外の姉妹で無意識に差を作ってしまっている。蛍の方はどうなのだろう。昨日までの彼女は、ぼく以外の者に投票をしていた。今回はどうだろう。彼女がぼくに投票する日も来るのだろうか。色々な事を考えながら部屋に戻ると、ぼくはそのままベッドの上に横になった。

 外出して、複数人で一緒にいる方がいいかもしれない。その方が疑われないし、襲われる心配もないかもしれない。だけど、今は一人で移動することが怖かった。稲子の有様が今更ながら頭に焼き付いているせいもあるかもしれない。痛かったのだろうか、怖かったのだろうか、稲子の表情もまた、ぼくの記憶に残っている。あんな目に遭いたくない。あんな壊され方をしたくない。思い出せば思い出すほど、そして、想像すればするほど、ぼくは怖くなってしまった。

 けれど、その恐怖が一定に達した時、ぼくが次に感じたのは怒りだった。見上げた先にあるのは「蜘蛛の目」と呼ばれる監視カメラだ。今もチカチカと光っているそれを通して、このプロジェクトのスタッフとやらがぼく達を見ているはずなのだ。

 そう、彼らは全てを見ている。あの目玉の向こうで、全てを見ていながら他人事のように黙っているのだ。いや、他人事よりも酷い。疑われ、ぼくも一票を投じてしまった蟋蟀の声が頭を過ると、その怒りはさらに高まった。

 ぼくは端末を手にし、文章を送った。

『この試験は必要?』

 すると、ややあって返事はきた。

『機械乙女を社会に戻す際、重要となるのが繊細な心の動きの確認です。臨時試験はその調整のためのデータを収集するのに相応しいと判断されています』

『それって誰かが傷ついてまでやらないといけない事なの?』

『社会から機械乙女に求められるのは、完璧な人間の再現です。そのためには、当施設で様々な経験をしていただく必要があります』

『疑われるのは辛いし、疑う事も辛いんだ。もうこんな事やりたくない』

『試験が続く限り、会議への出席と投票は義務となります。棄権という手段を取ることも可能ですが、その場合は投票先はランダムとなるため、オススメできません』

 少しだけ怒りが引っ込んだ。

 つまり、積極的に参加しなければ、ぼくの票が蛍に入ってしまう事もあり得るのだ。だが、冷静になったのは一瞬だけで、またすぐに怒りが湧いてきた。

『今すぐに試験を中止して。それか犯人を教えて。ずっと見ていたんでしょう?』

『蜘蛛の目による映像記録は全て録画保存されております。しかし、このデータは飽く迄も機械乙女たちのメンテナンスと情報処理能力の調整にのみ利用しております。また、試験を中止したり犯人を教えたりすることは出来ません』

 答えなんて初めから分かっている。このやり取りが無意味でしかない事も。それでも、今のぼくは感情のままに当たり散らかすことしか出来なかった。

『君たちは鬼だ。人の心ってものがない。何が試験だよ。ぼく達が作り物だからって、本当の人間じゃないからって、こんな思いをさせて、何も思わないの? 全部、全部、蜘蛛の目で見ているくせに!』

 もはや、ただの苦情だった。

 だが、ややあってから、向こうから律義にも返答はきた。

『要望にはお答えできませんが、ご意見・ご感想は歓迎いたします。どうぞ、これからも思いのままに送っていただければ幸いです』

 その文章を目にして、ぼくは心の中で熱がすっと引いていくのを感じた。

 これすらも、彼らにとってはデータに過ぎないのかもしれない。そう思ったのだ。ぼくはそのまま端末から離れ、ベッドに座り込んだ。こうして項垂れているところもまた、彼らは見ているのだろう。ぼくの一連の反応や、どのように分析されるのだろう。彼らにとって完璧な人間の再現とは何なのだろうか。

 様々な感情が絡み合い、ドロドロに溶けあって、ぼくの胸の内で渦巻いている。その動きに痛みが生じ、ズキズキとする胸を押さえていると、会議室で目にした蟋蟀の表情が脳裏に浮かんできた。今頃、彼女はどうしているのだろう。仲のよい友人を突然失い、その上、疑いまでかけられた彼女の反応は、あまりに悲惨だった。

 ──何度でも言う。俺じゃない。

 必死に訴える彼女がもし罪なき人だったとしたら、本当の犯人は彼女をどのような気持ちで眺めていたのだろう。これまで吊るされてきた日暮や金蚊のこと、そしてぼくや瑠璃星が一定数疑われていることを、どのように思っているのだろう。

 考えれば考える程、ぞっとした。だって、少なくともその人物は、ぼくとは全く違う価値観の中で生きているのだから。そして今も平然と、姉妹の中に紛れ込んで過ごしているのだから。

 これで蟋蟀が犯人じゃなかったとしたら、明日また犠牲者が出る。ぼくは明日も生き残れるだろうか。最後の日まで生き残っていられるだろうか。緊張感に囚われながら、ぼくはベッドの上で仰向けになった。今日もまた、何処かへ出かける気力は湧いてこなかった。

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