3.質問はスタッフへ
試験が終わり、会議室を出てみれば、中庭に倒れていたはずの紋白蝶が消えていた。
驚いて見つめていると、蛍がそっと教えてくれた。壊された姉妹の体は、試験の間にプロジェクトのスタッフが回収してしまうらしい。
「回収された後はどうなるの?」
恐る恐る訊ねるぼくから目を逸らし、蛍はやや冷たい声で答えた。
「修理されるそうよ。ただ、元通りになるとは限らない。今のあなたのように、人間だった頃の記憶を思い出せなくなる可能性だってある」
そう呟く蛍の横顔を見つめていると、ぼくはそわそわしてしまった。
確かに思い出せない事だらけだ。だけど、ぼくはこの人の事を確かに知っていた。以前も一緒に暮らしたことのある姉妹だからなのだろうか。
そもそも、どうしてぼくは眠っていて、記憶を失ってしまっているのか、その事も分からないままだった。
「ねえ、蛍」
ぼくは彼女に訊ねた。
「以前も同じような事があったんでしょう? その時、ぼくは紋白蝶みたいに壊されてしまったの? 何も思い出せないんだ。この体になる前の事を。でも、その一方で、ぼくは君の事を少しだけ覚えているみたいで……」
蛍はちらりとぼくを見つめ、呟くように言った。
「少しだけ……ね」
そして、そのままぼくを置いて、歩き出してしまった。
「色々と質問があるなら、端末からスタッフに聞いてみた方がいい。わたしよりも素早くたくさん答えてくれるはずだから」
「ま、待って」
呼び止めるも、蛍は応じてくれなかった。
蛍に振られてしまった後は、ぼくも自室に閉じこもった。
蜉蝣じゃないけれど、引きこもりたい気分だったのだ。まだまだこの施設には馴染めていない。
本当ならば、今日から紋白蝶と共に少しずつ馴染んでいくはずだったのだけれど、その機会も失われてしまった。
「修理か……」
殺されたわけではなく、壊されたのだというのは、幸いな事だろうか。ぼく達は生身の人間じゃない。だから、修理という希望があるわけだ。
だが、その一方で、蛍は言っていた。修理したところで必ずしも元通りになるとは限らないのだと。そしてそれは、吊るされる場合も同じ。ぼくの投票で、無実の姉妹が吊るされて、故障しまうかもしれない。その故障によって記憶が戻らなくなるならば、それは実質、死と同じなのではないか。
そう思えば思うほど、ぼくは不安になってしまった。
ぼくは何者なのだろう。何があって、記憶を失ってしまったのだろう。
そもそも、この試験は何なのだろう。何のために、こんな事をしなくてはいけないのだろう。
ベッドに横たわりながら延々と考え続けてしばらく、ぼくはふと蛍の冷たい態度を思い出した。
質問があるなら、端末から。それは、昨日も言われた事だった。ぼくを遠ざけるようなあの言動。けれどその一方、蛍は自らぼくに説明してくれることもある。
彼女は何者なのだろう。どうしてぼくは、彼女を見ていると懐かしい気持ちになるのだろう。
むくり、と起き上がり、ぼくは机の上に置かれた端末を見つめた。スイッチを入れてみると、お問い合わせというメニューが目に入った。
質問はスタッフへ。
その言葉を頭に入れながら、ぼくは質問を入力した。
『ぼくは何者なの?』
すると、数秒もしないうちに返信は来た。
『あなたは空蝉。交通事故によって生死の境をさまよっている間に、機械乙女プロジェクトの第一号に選ばれました。プロトタイプであるあなたの身体は、後の機械乙女たちに比べて機能に劣る部分もありますが、世界で初めての試みを成功させるために使用された機械乙女の心臓とも言えるコアは、後に誕生した機械乙女たちよりも高品質のものが使用されております』
表示されたその文に、ぼくの知りたいことはあまり書かれていなかった。あるとすれば、きっかけが交通事故だったという部分くらいだろうか。
『蛍とぼくはどんな関係なの?』
再び質問を入力すると、またしても返信はすぐに来た。
『恐れ入りますが、他の機械乙女にまつわる情報は規約によりお答えいたしかねます』
どうやら、知ることは出来ないらしい。
ぼくはがっかりしつつも、違う質問を入力した。
『臨時試験はどうして行うの?』
『機械乙女プロジェクトにおける臨時試験は、機械乙女の一人が同じ姉妹に破壊された際に行われます。そこで姉妹同士で話し合い、投票をするまでの過程を蜘蛛の目で観察し、記録することにより、生前と機械乙女となった後の思考のパターンを分析。これによって得られたデータは、個々の機械乙女たちの社会復帰のために必要なバランス調整を計算するための判断材料となります』
「社会復帰のための……」
それがどのくらい重要なのか、ぼくにはどうしても分からない。分からないからこそ、そのまま質問を入力した。
『それは無実なのに吊るされてしまった姉妹が故障するリスクがあっても必要な事なの?
回答はまたしても早かった。
『吊るされる事による強制停止は、飽く迄もスリープ状態となります。故障の可能性はゼロでないにしろ、必ずしも壊れるわけではないため、無実の機械乙女が吊るされるリスクはそれほど高くないと判断されます』
それは、腑に落ちない答えだった。
『でも、犯人に壊される姉妹は修理が必要なんだよね? それについてはどう判断しているの?』
『臨時試験のために壊される機械乙女については、こちらが責任をもって修理を行っております。機械乙女同士による破壊では、致命的な損傷は生じないと判断されております』
だから、問題ない。それがプロジェクトチームの見解なのだろう。
なんだかゾッとしてしまった。まるで、ぼく達のことを同じ人間だと思っていないように思えてしまって。
実際にそうなのかもしれない。ぼく達はまだ社会復帰のための訓練をしている途中なのだ。まだ、人間になれていないと判断されているに等しいのだから。
そう思うと、何だかこの施設の全てが不気味に思えた。
今もこの部屋を監視している蜘蛛の目。その向こうでこちらを見ているだろうスタッフたちこそ、人間ではないのではないかと思わず疑ってしまった。
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