◇ 1日目
1.壊された約束
翌日、ぼくは唐突に目を覚ました。夢を見たかどうかは分からない。ただ、チャイムが鳴ったのは聞こえた。昨晩、耳にしたものと同じだ。これが起床の合図なのだろう。
ゆっくりと起き上がり、ぼくは壁の鏡をぼんやりと見つめた。映るのは、昨日見たのと同じ姿。寝ぐせもなく、顔色も変わらない。作り物の肌を両手で触れてみる。質感も昨日と何も変わらなかった。
──色んな思い出を作ろう。
ふと、昨日の紋白蝶の言葉を思い出して、ぼくは我に返った。
そうだ。約束をしていたのだった。彼女も起きているのだろうか。昨日みたいにぼくを迎えに来てくれるのだろうか。そんな事を考えながら、ぼくはしばらく部屋の扉を見つめ、開くのを待ってみた。
静かだった。誰も来ないらしい。まだ寝ているのだろうか。それとも朝支度をしているのだろうか。色々と考えてながら、ぼくはベッドから降りた。
微かに騒がしい声が聞こえたのは、その時だった。
甲高い、悲鳴のような声が、ほんの微かにだが聞こえてきた気がする。
何事だろう。
そう思いながら、ぼくはそのまま扉へと向かった。そして、廊下へと出た時、騒ぎの声は一気に大きくなった。
姉妹たちが数名、一か所に集まっている。中庭に面した廊下。ガラス張りの壁の前。悲鳴も恐らくそこから聞こえたのだろう。ぼくと同じように後から廊下に出て来て、何事かと様子を窺っている者もいる。秋茜もその一人だった。
「何かしら」
彼女が一歩二歩と近づいていくと、中庭の方からこちらに声がかかった。
「来ない方がいい、と言いたいところだが、全員が見るべきだろうね」
瑠璃星だった。険しい表情とその口調に嫌なものを感じた。隣にいる七星は、中庭の向こうを凝視したまま固まっていた。
その横には蜜蜂。膝をついて茫然としていた。さっきの悲鳴は彼女のものだろうか。そんな彼女を慰める花虻は、中庭から視線を逸らしていた。
一体、何が。
ぼくより先に秋茜が近づいていく。そして、ガラス窓の向こうに広がる景色を目にした瞬間、鋭い悲鳴をあげたのだった。
その声に危機感を覚えながらも、ぼくもまた彼女が目にしたものと同じ光景を目の当たりにした。
中庭。
昨日、そこでぼくは紋白蝶としばらく雑談を楽しんだ。一方的に話し続ける彼女の声に耳を傾けるばかりではあったけれど、それはそれで楽しかった。
記憶の樹と呼ばれる大木の根元。その名前の由来は分からないけれど、風を受けるたびにざわざわと優しい音が降り注ぐその場所は、癒しの空間に違いない。
その中央。まさに、昨日のぼく達が座っていた辺りで、倒れている姉妹がいた。ひと目見たその光景が俄かには信じられず、ぼくはそのまま近づいていった。ガラスの壁に手をついて、現実を受け止めようと凝視を続けた。
「紋白蝶……?」
倒れているのは、紋白蝶だった。
衣服が割かれ、散らばっている。
まるで翅を千切られて、無残にもバラバラにされてしまった蝶のようだった。そして何より息が詰まったのは、彼女の倒れているその体の酷い有様だった。
片腕が取れ、地面に転がっている。他にも体のあちこちから体の内部を支える金属の骨格が突き抜け、ところどころ肌が捲れて臓器のようなその中身が飛び出してしまっていた。
その顔は昨日よりもさらに蒼白で、目は見開かれたままぴくりとも動かない。生きた人間のようだった彼女が、まさしく人形に戻ってしまっていた。
壊れている。
壊されている。
そのショックが後から後からこみ上げてくる。だが、あまりに現実味がなかったせいだろう。悲鳴を上げる事も出来ぬまま、ぼくはただただ混乱していた。
「いったい……何が……」
状況を把握できず、戸惑うしかないぼくの隣に、いつの間にか別の姉妹がいた。蛍だ。昨晩、素っ気無い態度で立ち去った彼女が、ぼくと同じようにガラスに手を突いて、紋白蝶を凝視していた。
「まだ、終わっていなかったのね」
蛍はそう言った。
「まだって何?」
彼女にそう訊ねた時、再びチャイムの音が鳴り響いた。起床の合図でも、就寝の合図でもないその音が鳴り終わると、聞きなれない女性の声のアナウンスがあった。
『緊急事態発生。姉妹の一人である紋白蝶が昨夜のうちに何者かに破壊されました。遺された姉妹たちは速やかに会議室へ移動してください』
「会議室……?」
力なく繰り返すぼくに、蛍がそっと話しかけてきた。
「皆について行って。後の事は、そこで説明があるから」
静かに急かされ、ぼくは恐る恐る頷いた。
会議室は、談話室のすぐ近くにあった。
談話室の横を通り過ぎる際、ぼくはふと昨日の事を思い出してしまった。昨日の事が遠い過去のようだった。
昨晩のうちに何があったのか。これは悪夢なのだろうか。分からないまま、ぼくは他の姉妹たちに続く形で会議室へと入っていった。
円卓に椅子が並べられている。席は決まっているようだ。名札と共に端末が並べられ、不気味に光っていた。
何の説明もないうちに、数名の姉妹たちが当然のように席に着いた。だが、ぼくを含む数名は、どうすればいいのか分からずに周囲を窺っていた。
「名前のある所に座って」
そう言ったのは、蛍だった。その声に、恐る恐る他の姉妹たちが従う。ぼくもまた自分の名前を探し、席に着いた。蛍の隣だった。全員が席に着くと、再び先ほどの声でアナウンスが聞こえてきた。
『これより臨時の試験を行います。姉妹たちで話し合い、誰が紋白蝶を壊したのか、その犯人と思しき人物を一人、端末にて投票してください。投票された人物は、今夜中に蜘蛛の糸で吊るし強制停止いたします。正しい犯人を当てたならば、試験はその時点で終了といたします。誤っていた場合は、明日も誰かが壊される事となるでしょう。それでは、試験を開始します』
アナウンスが途切れ、ぼくを含む数名の姉妹たちは困惑の表情を見せた。何が始まったのだろう。ただただ戸惑うぼく達に、姉妹の一人である瑠璃星が告げた。
「聞いた通りだ。状況が飲めない姉妹諸君には、僕が説明しよう」
そして、彼女は語りだした。
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