2.蜘蛛の巣の姉妹たち
施設はまさに張り巡らされた蜘蛛の巣のように廊下が交差し、何処までも伸びている。
覚えられるのか少し心配になるその内部を紋白蝶に手を引かれるままに進み始めると、程なくして、ぼくたちは談話室にたどり着いた。
温かな雰囲気の部屋で、机と椅子がいくつか並べられているのだが、今は誰もいないようだった。
「あれ、おかしいな。空蝉が起きたってアナウンス、皆も聞いているはずなのに」
そう言って、唇を軽く尖らせる。
その自然な動作を、思わず真似しようとしてしまった。紋白蝶は自然と出来ているようだが、ぼくの肌では少し難しそうだ。
「ま、いっか。皆が良そうなところを案内しながら紹介していけばいいもんね。ってことで、まずは温室だ!」
元気よくぼくの手を引っ張り、紋白蝶は走り出す。転ばないように気を付けながらついて行くと、すぐに温室とやらにたどり着いた。
談話室から出てすぐ。廊下の突き当りにある日当たりのよい場所。無数の植物が置かれたそこでは、紋白蝶の目論見通り、二人の姉妹がいた。
黄色と黒の配色が印象的な彼女たちは、背丈や恰好こそ違えども、どことなく見た目の雰囲気がそっくりだった。
「良かった。ここに居たんだね。探したんだよ」
紋白蝶がそう言うと、二人はそれぞれ明るく笑った。
「きっと紋白蝶が連れて来てくれるだろうって話していたの」
そう言ったのは、髪を短くまとめた方の姉妹だった。もう片方、髪をおろしている方の姉妹も同じように笑っていた。
「予想通り、紋白蝶に任せていたら良さそうね」
「えー、仕方ないなぁ」
紋白蝶もまた笑い、そして、ぼくを振り返る。
「この人たちは、
彼女の問いに、その二人──花虻と蜜蜂は微笑みながら頷いた。そして、ぼくへと視線を向けると、それぞれ丁寧にお辞儀をした。
「ごきげんよう、空蝉。その様子だと、もう一度、自己紹介をしなくてはいけないようね」
髪を下した方の姉妹が穏やかな口調でそう言った。
「紋白蝶が紹介した通り、私の名前は花虻。ここで植物のお世話をするのが趣味なの。こちらは妹の──」
「蜜蜂よ。あたしも実は目覚めたばかりなの。お姉ちゃんの事は辛うじて覚えていたのだけれど、あとは分からない事だらけ。良かったら仲良くしてね」
そう言って差し伸べられた髪をまとめた方の姉妹──蜜蜂の手は、紋白蝶の手に比べると造りが少し粗く感じた。とはいえ、ぼくよりも品質は良さそうなのは確か。そんな事を思いながら握手に応じると、蜜蜂はホッとしたように目を細めた。
「さ、そろそろ、次の場所に行かないと」
と、挨拶も疎かのまま、紋白蝶に急かされる。花虻と蜜蜂は察したように笑みを浮かべ、二人して手を振った。
次に訪れたのは、図書室だった。入ってみると、三人の姉妹が本を読んでいた。
「見つけた! 三人も!」
紋白蝶が入るなり大声を上げると、姉妹の一人が顔をあげた。赤毛に赤い衣装。目の色もまた赤い。
「ちょっと、紋白蝶。図書室では静かにしなさいって言っているでしょう!」
彼女が声を荒げると、透かさず別の姉妹が本を置いた。
「まあまあ、
苦笑いしながら宥める彼女もまた赤い服を着ている。髪や目は黒で、頭には赤いベレー帽。赤い衣装には黒の斑点があった。
「その通りだよ、秋茜君。特に今のは君の注意の声の方が少々大きすぎるように感じたね。飽く迄も僕の意見だけれど」
そう言ったのはもう一人の姉妹だった。青い短髪に青い服、そして冷たい印象の眼鏡と藍色の目が印象的だった。彼女はぼくたちへと視線を向けてくる。
「それに、紋白蝶君には何か用事があるようだ」
彼女の促しに応じる形で、紋白蝶は口を開いた。
「あのさ、アナウンスを聞いたと思うんだけど、空蝉が──」
と、そこへ秋茜が軽く手を振った。
「はいはい、自己紹介ね。アタシは秋茜。そっちのチビは
そう言うと、興味なさげに再び本へと視線を移した。そんな彼女の態度に面食らっていると、眼鏡の姉妹──瑠璃星が私たちに笑みを向けてきた。
「悪いね、彼女、朝からちょっと不機嫌なんだ。それに、僕と七星君も、ちょっとした勉強の途中でね。何もお構いできないけれど、よろしく頼むよ」
「よろしくです!」
七星にも手を振られ、ぼくはぎこちなく手を振り返した。
紋白蝶はそんなぼくにそっと耳打ちする。
「また怒られちゃう前に、次行こっか」
そして、またしても手を引っ張られながら図書室を後にした。
次に案内されたのは、講堂だった。小規模で舞台も狭く、席もそんなにない。だが、造りはとても立派で、妙に居心地が良い。そんな講堂の舞台上にも、三人の姉妹たちがいた。
ピアノを弾いている者が一人。そのピアノに合わせて歌っている者が一人。そして、演奏に合わせて舞台の中央で踊っている者が一人。紋白蝶と共に席に着き、しばらく見学し、終わった後で紋白蝶に釣られる形で拍手をすると、踊っていた姉妹が舞台から降りて近づいてきた。
「見てくれてありがと。どうだった?」
「上手だったよ」
紋白蝶はそう言ってから、ぼくを見つめてきた。
「この子は
日暮と蟋蟀は舞台から降りてはこなかった。稲子と違ってどちらもクールなタイプらしい。軽く頭を下げると、それぞれ静かに応じてくれた。
「さ、次に行こうか」
挨拶も疎かに、またしても紋白蝶に手を引かれる。
次に向かったのは、美術室だった。入ってすぐに作品の数に圧倒される。足を踏み入れていいのか迷うところだったが、紋白蝶に手を引かれるままに入っていって、さらに面食らってしまった。奥では姉妹の一人が裸になっていた。その前で難しい顔をしながらキャンバスに向かう姉妹が一人。どうやら絵を描いている途中らしい。
「いい作品は出来た?」
紋白蝶が訊ねると、モデルの方は呆れた表情を浮かべた。
「全然みたいね。この体だけど心が風邪ひいちゃいそう」
一方、画家の方は黙ったまま考え込んでしまっていた。紋白蝶もまた苦笑を浮かべながら、ぼくに言った。
「この人は
「へえ……」
思わず感嘆の声が漏れる。全部、というと、相当な数だ。だが、その感心すら、今の金蚊には全く聞こえていないようだった。
「そろそろ行こうか。ごめんね、邪魔して」
紋白蝶の声に手をひらひらさせて応じたのは揚羽だけだった。
さて、外に出ると、紋白蝶は指を折りながら何かを数える。そして、ぼくを見上げて言ったのだった。
「案内はこれで全部かも。でも、まだ紹介できていない姉妹が二人いるんだよね。一人はたぶん引きこもっているんだけど、もう一人は何処だろうなぁ」
そう言って首を傾げるも束の間、紋白蝶はすぐに笑みを取り戻した。
「まあ、いっか。ねえ、空蝉。このまま中庭に行こう。あのね、中庭には記憶の樹っていう大きな木があってね、根元で寝転がるとすごく癒させるんだよ」
満面の笑みで説明する彼女の姿は、見ているだけでこちらが癒されるものだった。
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