クソッタレなこの世界で

@nekogami-r

あったはずの明日


「なぁ、まだ着かねぇのかよ」

「もう少しで中間ってとこすかねぇ」

「えぇー!私もう疲れたんですけどー」

「まぁまぁ、もう少しで休憩所あるんで」

「……」


 文句を言いながらも黙って案内人について行く他の客。


 右手には青い空に青い海。

 左手には薄暗い深くて恐ろしい森。

 この場所は未踏大陸。

 人が入ることを許されないと言われている魔獣の楽園。

 あまりにも危険過ぎるが故に未だに人類が深く足を踏み入れることができていないフロンティア。


 俺達はそんな場所の無限に続きそうなほどに長い砂浜を何日も歩いている。


「本当にこのまま行って南大陸に着くんだろーなぁ?」

「それは保証するっすよ。その後は知らないっすけど」


 俺達が出発した北大陸全土を支配する国、ドッグレールは数年前から他の大陸の国と戦争を始めやがった。


 国名は確か…あぁ、フォートリップ帝国だっけか。まぁいい。


その戦争の影響でドッグレールは貧しくなる一方。

 その上に昔あった犯罪組織の残党が国中を荒らし回ってるなんて最悪な状況。


 他の奴らは知らんが、その上召集令状まで俺の所に送ってきやがった。

 俺はただの農家だぞ?戦争なんて無理に決まってる。

 それに相手はあの帝国だ。

 10年ほど前まで世界最強だったセントレア王国を滅ぼしたのも帝国だ。

 勝てるわけが無い。


 だから、逃げることにした。いわゆる国外逃亡って奴だ。

 逃げるなら南大陸だが、南大陸と北大陸には大きな海を越えていかなくちゃいけない。

 海には陸とは比べ物にならないほどの魔獣がうじゃうじゃいるから行くなら飛ばし屋に空から連れて行ってもらうしかない。


 でも俺は本当にただのしがない農家。

 野菜は育てりゃいいかもしれないがほぼ国に持ってかれるから自分の食べる分以外は残らない。


 つまり、売る分もなくて金もない。


 当たり前だが、飛ばし屋だって一枚岩じゃない。

 アイツらも命をかけるんだからそれ相応の金銭を要求してくるし、ほかの安い飛ばし屋を探すにしたってそもそも見つからないかもしれない上に、飛ばし屋同士で結託してる可能性があるから値段なんてほぼ変わらないって話だ。

 そんな状況で金のないやつが国外に逃げる事なんてはっきり言って無理だった。


 でも、一つだけ飛ばし屋を使わずに逃げる方法がある。



 それは、この未踏大陸を縦断するということ。



 正直、無理だ。不可能だ。絶対に何があろうと俺なんかが、人類が足を踏み入れることすら叶わないとさえ言われているこの大陸を縦断できるわけが無い。


 そこで、どうにか仲間を集めようとしている時に そこで先導している案内人に出会った。

 案内人は『普通ならそんなの無理ですが一つだけ方法があるっすよ?』なんて死ぬほど胡散臭い事を言い出してきたが、その話に乗る以外に選択肢はなかった。


 そうして今に至るのだが……


「こんな危なそうなとこ歩いて大丈夫なのかよ…」

「最初に言ったでしょう?隠れる場所は沢山あっても森の中は魔獣の巣窟だから突破は不可能だって」

「でもよぉ…ここは海辺だぜ?海の魔獣は大丈夫なのかよ」

「まぁ……死んでも恨まないでくださいね」


 死んだらなんのための案内人だよ…


 とは言いつつ、ここ数日間一度も魔獣に遭遇していない。

 まぁ一応そこそこのお金を払ってるわけだしそうでなくちゃ困るんだが、それでも未踏大陸を魔獣に一度も会わずにここまでこれるなんて凄い。


 まぁ、費用も馬鹿にならなかったし、荷物は重いし、もう歩きたくないんだけど。


「それにしても、どうやってこんな場所見つけたのよ」

「ここは昔、件の犯罪組織が魔獣密輸に使ってたルートらしいんすよ。それをたまたま見つけて今有効活用してるって感じっすね」

「へー……なんか一人に壊滅させられたって話を聞いたことあるから大したことない組織だと思ってたのに結構すごいのね」

「一応当時は世界最大の犯罪組織だったらしいですからね。そのくらいするんでしょう」


 ただの犯罪組織の割によくやるもんだ。

 魔獣は高く売れるからそういう連中が開拓しないわけも無しってことか。


 それに、あってないような魔獣協会なんて無駄に会費が高い割に魔獣の品質は悪いわ、高いわ、で最悪だって話だしなぁ…

 まぁ、俺には縁のない話だ。


「さて、そろそろ見えてくるはずっすよ」


 案内人に言われて遠くの方を見てみると一軒の小屋のような建物が見えてきた。


 昨日までずっと野宿だったんだから雨風凌げる屋根があるだけでありがたい。

 あぁー…早く横になりたい


「…あれ……?なんか煙出てません?」


 はぁ…?小屋が燃えてるとかだったらシャレにならんぞ…

 さすがに杞憂だろ、と思って目を細めて遠くに見える小屋をよく見ると確かに煙が上がっている様に見える。

 何かを燃やしてる…?まさか誰かいるのか?


「あ?……あー、ほんとだな」

「えー?こんなところに来る人なんて居るの?」

「いやそんな訳…」


 案内人はとても困惑しているようで、その他の客たちも不審がっている。

 そりゃさっきの話聞いて人居るなんて分かったら不安にもなる。

 実際俺も不安だ…


「……まさか俺らをはめようとしてたんじゃねぇだろうな?」

「はぁ?!違いますよ!」

「信用なんねぇな…」


 まぁ、当然の反応だな。

 人攫いなんてそう珍しいものでもない。

 俺の知り合いの子供も知らない奴に攫われて今どこにいるか分からない。

 人なんか、信用ならない。


「いや、本当に僕じゃないっすよ!」

「そういう証拠はあんのかよ。証拠はよぉ」

「いや、あの煙こそが確固たる証拠っすよ!」

「あぁ?」

「僕だって馬鹿じゃないっす!もし、人を攫おうっていうならあの小屋にバレないように隠れるように言うでしょうし、そもそも攫うならこんな中間地点じゃなくて南大陸に入る直前か、その後にしますって!」


 あぁ…確かにそうか。

 こんな場所で人を攫うメリットなんてほぼないよな。


 二人の言い争いをこれからどうするか考えながら聞いていると、森から魔獣の鳴き声が響いてきた。


 ウグァー!という野太い獣の声や、キィヤァー!という甲高い女の声のような気色の悪い何かの声が一帯に響き渡り、口論も止まって全員が顔を見合せた。


「とりあえず…行こう」


 全員が静かに頷いて小屋へと向かった。

 小屋に近づいていくとだんだん焼いた肉のいい香りが辺りに漂い始めた。

 久しぶりに焼いた肉の香りなんて嗅いだ気がする。


 だけどそれは危険な香りでもある。

 海岸は比較的安全とはいえ、すぐ近くには獰猛な魔獣たちが俺達を喰わんと狙っているかもしれない。

 火をつけるだけなら威嚇にもなるし暖も取れるから毎夜つける。


 でも、食べ物の調理となると話は別だ。

 未踏大陸でなくたって、何かを調理すれば食べ物の匂いに誘われてそこら一帯の魔獣達が直ぐに集まってくる。

 この未踏大陸なら尚更、発見出来てすら居ない魔獣も集まる可能性がある。


 そして、さっきすぐそこで魔獣の鳴き声を聞いたばかり。

 みんな魔獣の怖さなんてものは嫌という程分かっている。

 戦争には魔獣も使われるし、昨日まで一緒に遊んでいた子が次の日には魔獣に食い殺されたなんてこともざらにある。


 だから、匂いが濃くなるほどに全員の額には汗が滲み、その足取りは慎重にならざるを得なかった。

 家のすぐ近くに着く頃には全員、緊張と恐怖で荒れる息を必死に抑えていた。


「つ、着いた…」

「絶対、中のヤツに文句言ってやる…」

「…賛成」


 軽く息を整えて、全員で扉の前に集まって案内人がトントン、っとノックをする。


「すいません。誰かいますかー?」


 中からは人の気配はしてこない。

 まさか無人か…?


 いやそんなわけない。確かに煙は上がっていたし、今も美味しそうな香りがしている。

 間違いなく家の中には誰かがいるはずだ。


「あのー、入りますよ?」


 案内人がドアノブを握って捻って扉を開けようと…


「……誰?」


 突然聞こえてきた見知らぬ声に驚いて案内人の手が止まる。


 声のした方を見ると小屋の左側、見えていた家の側とは反対側に白い髪の猫獣人の女が立っていた。

 10代くらいに見える小柄な体型に整った顔をしている。

 かなり使い古された灰色のコートのようなものを羽織っていて、訝しげな顔をして俺らを睨みつけるように観察している。


「あ、その…南大陸に行こうとしている途中でして…」


 女の前に出ていった案内人が事の経緯を話すと女は少し警戒を解いたように肩の力を抜いた。


 こっちとしても警戒はしていたが、こんな若い女一人なら心配することもないなと、全員が女に挨拶をして軽い世間話のような事を少しした。

 まぁこんな危ない場所で人に会うなんて思ってなかっただろうし相手も驚いただろうな。


「それでなんすけど…ここで一日休んで行っちゃダメですかね?」

「ダメ」


 即答かよ。

 まぁ女一人で住んでいる家に、女も一人いるとはいえ男三人を入れる訳には行かないか。


 …でも残念だ。せっかく少しはゆっくり眠れるかと思ったのに…


「…まぁ……お昼くらいは…ご馳走してもいいよ」


休めないと知って落ち込み気味だった全員がその言葉を聞いて目に光を取り戻した。


「マジすか?」

「……ただし、家の中には入っちゃダメ。分かった?」


 全員がちぎれるんじゃないかと思うほどに首を縦に振った。

 久しぶりに焼いた塩辛くない美味しい肉が食べられるかもしれない…!

 ……でもまだ不安は残るな。


「けどよ…そもそも料理なんてして大丈夫なのかよ?」


 そうだ。こんなところで料理するなんて正直、正気の沙汰じゃない。

 なにか理由があるのだろうか…


「……ここは大丈夫。他の場所では良した方がいいよ」

「…大丈夫な理由は何よ」

「………ここは…魔獣の巣から遠いから……」


 ……怪しい。

 流石に納得のできる内容では無い。

 別に巣が遠くたって、飯を探しに来る魔獣に見つかる可能性はある。というかそっちの方が高い。

他の奴らも同じことを思っているのか訝しげに女のことを見ている。


 そりゃあ暖かい飯は食いたい。でも、そのために命を賭けろと言われたら大して美味しくない飯でもそれで我慢してそんな危険のない場所で美味い飯を後で食べる。


 俺達は生きる為にこんな場所まで来たんだ。

 こんな所で死ねない。


「親切はありがたいけど…迷惑は掛けられないし僕らはもう行くっす…」

「…そう」

「あぁでも、もし次来たらその時はご馳走してくださいよ。もしかしたらまた来るかもしれな…」

「ダメ」


 唐突に案内人の言葉を遮って、さっきまでのたどたどしい口調ではなくはっきりと自分の意思を口に出した。


「……もう二度と、ここには来ないで」

「え…?それはどういう…」

「死にたいの?」


 女がそう言った瞬間、空気が変わったような気がした。

 ゾクゾクと背中を虫が這っているような気持ち悪さを感じた。

 自分達より背の小さい女だって言うのに、大人四人がそんな女に気圧された。

 今の今まで気が付かなかったが、女の腰には短剣のようなものが二本吊り下げられている。


 だけど、そのせいじゃない。もっと違う根本的な部分で目の前の女に恐怖を、身の危険を感じた。

 女はその奈落のように暗い瞳で俺達を睨みつけながら続けた。


「死にたくないなら二度とここに来ないで」

「え…あ、あはは……冗談は辞めてくださいよ。こんな場所じゃ冗談にもならない……」

「冗談だとでも?」


 短剣へとその細い腕を伸ばし、柄頭を掌で包むように掴んで俺達を威嚇する女。


「あなた達のことなんて正直どうでもいい……でも、私はこの場所に住んで生きていけるくらいには色々できるし、君達くらいならどうとでも出来るんだよ……」

「う……」


 あまりの威圧感に全員が後退りをしていた。

 目の前の女が只者じゃないのはなんとなく理解出来る。

 口答えでもすれば、その瞬間に掴まれた短剣が自分たちの喉に突き刺さるような気がしてならなかった。


「今すぐに、振り向かず、何も考えず、走ってどっかに行って」

「あ…で、でも……魔獣が…」

「確実に死ぬ道と、もしかしたら生き残れるかもしれない道の2つがあって前者を選ぶような愚か者だって言うなら…私は何も言わないよ」


 ほんの少し鞘から抜かれた短剣の銀色の刃が淡くキラリと輝いた。

 ピカピカでは無いくすんだ刃こぼれのしているその刀身を見て、自分達の妄想の域を出なかった危機感がいよいよ真実味を帯び始め、訳の分からない女に対する恐怖は死の恐怖へと成り代わった。


「っ!!!」


 遂に、女の客がその恐怖に耐えきれずになり、声にならない叫びを上げながら逃げ出した。

 それを皮切りに、他の客も案内人も、もちろん俺も走り出した。


 その家が確実に見えなくなるまで一度だって振り向かずに力の限り走り続けた。

 足が棒のようになって動かなくなり、砂まみれになりながら砂浜に横になった頃、気が付けば高かった太陽は地平線へと消える寸前だった。


「な、なんだったんだよあいつは……!説明しろよ…!」

「し、知らないっすよ…!俺が一番驚いたっすよ…!」


 息も絶え絶えに言い争いをまた始めた二人に嫌気が差しつつも、それを無視して横になって空を見た。

 まばらな雲に模様付られた朱色の空に心を静めて、ついさっきのことを思い出す。


『死にたいの?』


 白い髪の不思議な女だった。

 なんであんなところで一人で過ごしてるんだろう…


「……いや…そもそも一人だったのか……?」


 よくよく思い返すとおかしいような気がしてくる。

 未踏大陸に住んでいる。この時点でかなりおかしいのはそうだが、あの時肉を焼いたような香りがしていたのは間違いない。

 料理中だったのは間違いないはずなんだ。

 それなのになんであの女は外にいたんだ…?


 それに……俺達を追い返す時にあいつは"俺たちを見てなかった"


 比喩とかじゃなく、案内人が今度来た時の話をし始めた時に少し驚いたように目を見開いて、俺達の後ろ……家の方を見ながら俺達を追い返した。


「……犯罪組織の元密輸ルート上にある家に住んでいる変な女か……」


 いくらでも嫌な想像がができてしまうな。

 まぁ、俺達には関係の無いことだ。

 案内人の話的にはもう既に半分は超えた。

 もう少しで……平和な南大陸だ……


「もう!あんたら辞めなさいよ!魔獣が来たらどうするわけ?!」


 ついに痺れを切らした女の客も言い争いに参加し始めた。


 全く…勘弁してくれよ……

 ここは泣く子も黙る未踏大陸だってのに……


「うるせぇ!料理してたって来ないようなやつが音如きで寄って来るかよ!」

「念には念でしょ?!私はこんなとこで死にたくはないわよ!」

「俺だってそうに決まってんだろうが!」

「そうは見えな」 ズシャン!



「……は?」



 女の反論が最後まで紡がれる前に、その言葉を思考していた頭の上半分が消し飛んだ。

 女の体は少し遅れて来た衝撃によって弾かれたように横に倒れ、仰向けになった。

 残った脳がこぼれ、血液が溢れ砂が血に染る。

 ピクピクと痙攣する体だけを見ればまだ生きているようにも見えるがその上には大切な物がなく、鼻より上の部分が綺麗に無くなっている上に、釣られた魚のように口をパクパクと声を出すことも無く動かしている。


 今…何が起こった……?

 何が通った……?


「魔獣っす!!」

「伏せろ!」

「……っ!!」


 その声と同時に地面に伏せると近くをビュン!っと何かが通ったのを感じた。


 危ない…もう少し遅れてたら俺やられてたかも…


「大丈夫………か……」

「あ゛……あ゛あ゛あ゛……」


 顔を上げて客の男の方を見ると、自分と同じように伏していた。

 その背中の肉を削がれて、痛みに顔を歪ませながら。


「早すぎる…こんなの避けられない……!」

「も、森の中に逃げ込むしかないっす!急いで!!」


 クソっ!!

 森の中が危険だって言うのは100も200も、一万だって承知の上だ。


 でも、こんななんの障害もない広々とした所で今みたいに伏せていても目の前の男みたいに背中を抉られて死ぬだけだ。

 急いで出来るだけ身をかがめて体を小さくして森の方へと走る。


「ま、待て……!!おれもっ……!!」


 迷っている暇なんてなかった。

 自分と他人。現状の原因。助ける義理もない。

 逆に囮にでもなってくれればいいと本気で思った。


 森までの距離は10mも無い。けれど、無限のように感じる。

 飛び込むように、森の茂みへと頭から突っ込み体にいくつかの傷を作りつつも森の中へ逃げ込むのに成功した。

 良かった…生き残れた……


「あぁああああああああああああぁぁ!!!!!」


 そんな安堵も安堵も束の間、砂浜に一人取り残された男の方を見ると、そこには悲惨な景色が広がっていた。


「やめろおおぉぉ!!!!いだあああぁぁ!!!」


 仰向けにされた男の手を押さえつけてその嘴を男の眼窩へと差し込む人と同じくらいの大きな鷹のような魔獣。

 男は身をよじって抵抗をするも、そんなものはなんの意味もなく魔獣は生きたまま男を啄み、喰らう。

 そんな光景に良心の呵責を感じなかった訳じゃない。

 でも、自分とてこれからあれより酷い死に方をする可能性は十二分にある。


 聞こえる男の悲痛な叫びを背にして、案内人と一緒に森に入り過ぎず、出すぎないような境界のギリギリを走って逃げた。


「ああもう!なんでこんなことになるんすか?!」

「あんたらの馬鹿な喧嘩のせいだろうが…!!」

「前にここを通った時はあのくらい大丈夫だったんすよ!!」


 前もあんなことしてたのかよこの馬鹿は…!

 いや、とりあえずいい。今は一刻も早くあの魔獣から逃げる事と、森から出なくてはいけない。


「クソ…暗くて足元がよく見えない…」


 すぐ近くが開けた場所と入っても森の中。

 あまり雲は無いが月光とて大した光量はない。申し訳程度の光は木によって遮られているし、足元にはたくさんの草が生い茂ってる。

 足元には気をつけよう…


「ウキャアアアアアア!!!」


 突然鳴り響く気色の悪い何かの叫び声。


 なんなんだよ本当に…

 昨日までは至って平和だったはずだ。

 森の中とはいえ通る予定だったところとの距離はせいぜい十数mだぞ?


「なんの声すか?!」

「そんなの知るわけ無いだろ!」

「そうすよね!もう少ししたら砂浜の方に出ましょう!」

「ああわかっ、ゴフッ!」


 クソ…こんな時に転んじまった……

 足元には気をつけてたはずなのになんでだ…

 何かに躓いたような感じもしなかったし、突然足の動きが鈍くなったような…


「だいじょ…うわっ!」


 少し前で案内人も転んだ。ここら辺は転びやすい地形かなんかなのか…?

 いや、そんなことはどうでもいい。

 早く立ち上がらなくちゃ……


「あ、れ?」


 体に力が入らない…

 なんで……なんか変な毒でも食らったか……?

 いいや、そんなわけない。変な香りもしなかったし、何かが刺さったりもしてないはずだ。

 確かに森に逃げ込む時に多少の切り傷は作ってしまったが、あれは北大陸にもあるようなどこにでもある草だったはずだ。


 …まさか……


「ウキャアアアアアアア!!!!!」


 さっきと同じ何かの叫び声が、さっきよりも近くの場所で響いた。


 まずい……何かが来てる……

 クソ…!はやく…早く動かなくては……!


「えっ…」


 体から一気に力が抜けた。

 体勢すら維持できなるほどになんの力も入らない。

 辛うじて少し指を動かせるが、腕が鉛のように重たい。

 体なんて上に人が何人も重なって乗っているかのように重たい。


「鳴き……声…」


 嫌な予感はどうやら当たってしまったらしい。


 普通の家畜と魔獣とでは明確に区別されている。

 それは何かしらの魔法を扱うかどうかだ。

 魔獣は種ごとに異なる人間には扱えない魔法を繰り出すことが出来る。

 有名な魔獣で言えば、神話に出てくるドラゴンは火を操ることが出来たそうだ。


 そして未だ姿の見えない今も俺らに近づいてきている魔獣はその鳴き声に何かしらの魔法を込めて、俺らに力を入れられないようにしてるみたいだ…

 ザッザッ、と何体もの人では無い四足歩行の何かの足音が幾つも重なって聞こえてくる。


「あ、あああああああ…!!」


 先にやられたの案内人だった。

 ここからじゃその状況までは見えないがぐちゃぐちゃ、と案内人が食い荒らされる生々しい音が鮮明に聞こえる。


 あぁ…やっぱり未踏大陸なんかには来るんじゃなかった……


 唸り声のような案内人の叫び声が段々と薄れていき、バキボキと骨を砕くような音がなり始め、自分の顔まで血が飛んできた。

 その血が肌を伝っていく感覚と共に自分の中で恐怖心が次第に大きくなっていった。



 次は自分だ、と。



 そう思った途端に、冷や汗がぶわっと身体中から吹き出した。

 死にたくない。

 こんな最後は嫌だ。

 魔獣に食われるなんてそんな悲惨な最後なんて…


 心臓の鼓動が段々と早くなっていく。

 息も走っていた時より激しくなっている。

 ぐちゃぐちゃという咀嚼音が聞こえなくなり、こっちに近づいてくる何体もの足音。


「嫌だ…死にたくない……」


 そんな自分勝手な願いは叶う訳もなく、草を掻き分けて眼前に現れたのは、毛が無くピンク色の肌が見えている目が真っ白な犬のような魔獣。

 今の今まで"食事"をしていたから、口の周りだけはピンクではなく赤黒く変色していて、口の端から食べカスの皮のような薄い何かが垂れ下がっている。


「グルルル…」


 あぁ…クソッタレめ……

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