第4話 …は?

「………は?」


 気の抜けた声を出したその男子は、拳を壁にめり込ませたままだ。呆然としてしまっているようだった。止めに入っていた男子も、すぐ傍で硬直していた。

 ここは柵外含めてよほど大きな空間になっているのか、まだ僅かに衝撃音が遠くの方で反響している。

 不安定になっていた燭台がストンと落ちた。


 —-カーンン…カラカラカラ…


 金属の転がる軽い音が辺りで虚ろに響き渡り、まもなく蝋燭の炎が消えた。

 薄暗さが増したその場はしばらく静まり返っていたが、動揺を隠しきれない誰かが僅かに震えたような声を挙げた。


「な…何をしたんだ…?」


 一部始終を見ていたので何をしたのかは分かっていただろうが、そのあり得ない光景にこれまでの常識が邪魔をして、行動と結果がうまく結びつかないようだ。己の目を疑って、それ以外は言葉にならなかったのだろう。


「普通にパンチしただけだけど…」


 パンチした男子は、拳を見せながらぎこちなく振り返った。その顔は完全に引き攣っている。彼のテンションは明らかにおかしかった。これで正気に戻っただろうか。


 パンチ男子に怯え出す者が現れたころ、別の方向からボソボソと喋り始めた大人しそうな男子二人の声が聞こえた。

 掛けている眼鏡を上げ下げしている。周辺の見え方を確認しているのだろう。


「なんかさっきから眼が気持ち悪いと思ってたけど、まさかこれ視力上がってる…?うーん…やっぱり変だって。意識すると自分の身体の違和感が半端ない。耳まで良くなってる気がする」

「耳はこの場所のせいじゃないの?ここかなり響くし…。そういえばこんな状況のせいだからだと思ってたけど、気分もいつもより上がっててなんだかさっきから落ち着かない。頭も妙にクリアになっている気がする」

「あとさ、さっきからずっと突っ立ったままなんだけど全然疲れがやってこないんだよね。僕、体力ないからいつもならすぐ座り込んじゃうのに」


 他の皆も思い当たることがあるのか、それぞれ深刻そうな顔つきで真剣に自分の身体を確かめている。他人事ではないと分かり、段々と悲嘆感が漂い始めた。


「あの…さ、まさかとは思うけど、じ…人体実験とか改造?されてたり…?」

「はぁ?アメコミとかの見過ぎなんじゃねーの」

「っ…じゃあなんでこんな…!あり得ないじゃんあんなの!」


 破壊した壁を指差しながら騒ぎ始める件の男子。自分のしたことが恐ろしく感じ始めたのか、涙目になって指が震えている。落ち着かせないと今にも錯乱しそうだ。


「まぁなんでこうなってるのかは俺にもわかんねーけどさ、この場所もよくわかんねぇままだし。それよりお前、その手…大丈夫なのか」


 そういえば…皆の視線がパンチ男子に集中する。

 言われるまで本人も意識していなかったのか、改めて自分の手を動かしてどこか異常がないか確認すると、憮然とした面持ちでポツリと答えた。


「…うん。なんともないみたい。かすり傷すらないよ。……マジでさ…どうなってんのこれ…」


 それを聞いて一息つくものの、皆の顔が晴れることはない。身に感じる言いようのない気持ち悪さと、知らない場所に閉じ込められている状況が合わさって、また強い不安感が押し寄せ始める。騒然となりそうな雰囲気だ。


「とりあえず…さ。このままここにいてもなんもわかんねーし。まずはここから脱出する方法を考えないか?あー…あと、身体がなんかおかしいのは分かったけどよ、悪い方に向かってるやつはいるか?体調が良くないとかさ」


 憂わしげな声でそう言うと、チラッと乃愛の方を見た。先ほどから話していたのは、乃愛と謝罪し合った男子生徒だった。少し前に乃愛が倒れたので、気にかけているようだ。

 しばらく経ったが、誰からも声は上がらない。体調に支障をきたしている人は、今のところいないようだ。


「よし、じゃあ早いとここっから出るとするか。つっても俺になんか案があるわけじゃねぇけど…。強いて言うなら、さっきの馬鹿力であの扉をこじ開けてみるとか?」


 気分を変えたいのか彼は急にスタスタと歩き出し、唯一の出入口となっている扉の前に立った。早速自分で試すつもりのようで、パンチ男子が不安げに声をかける。


「…本気なの」

「あぁマジだっつの。ぶっ飛ばすつもりで本気で殴る。お前ら、一応俺から離れていてくれ」


 先ほど起こった衝撃の光景が頭を過り、女子から小さな悲鳴が上がる。皆バタバタと小走りして、扉から一番離れた場所の入隅に集まった。とりあえず行方を見守ることにしたようだ。


 彼は皆が離れた事を目の端で確認すると、少し下がってから腕を振りかぶった。錠を狙って、叩き潰すつもりのようだ。身体ごとぶつかるように、威勢よく頭上から拳を振り下ろした。


 —-キンッ、キィィン…ガシャャアンガシャガシャッ


 僅かに鋭い高音が聞こえた直後、瞬く間に轟音と衝撃の波紋が伝播した。

 鉄格子全体がうねるように振動している。

 身体もビリビリと震えたように感じた。


 まさか、これが波動か。本当に目の当たりにするとは。

 エネルギーとして実際に見たことはないが、乃愛の頭にあったイメージがそう感じさせた。もしかすると、先ほどの岩壁破壊も同じものだったのかもしれない。

 反響する空間と金属音はかなり相性が良いのか、音圧を受けて頭がグワングワンする。耳鳴りが酷い。


「……」


 今回は前触れがあったからか、皆驚きつつもなんとか動揺を抑え込むことができていた。ただし耳鳴りの影響からか、顔を顰めさせながら小さな呻き声を上げている者が多い。今は誰もが前方の様子を伺うので精一杯のようだ。


 波動を起こした男子はじっと佇んでいたかと思えば、開扉できるか確認をするために動き始めた。しばらく錠をガチャガチャと弄っていたが、どうやら外れそうにないようだ。

 続いて場所を変えながら鉄格子を前後に揺らしていくが、どこにも綻びはありそうにない。特に変わった様子も見られず、ずっしりと構えた柵からはどこか威圧が放たれているようにも感じる。


「…くそっ」


 鉄格子に軽く蹴りを入れたのか、ガシャッと軽い音がした。

 始めからそこまでの期待はなかっただろうが、あれだけの衝撃だったにも関わらず、びくともしていないのがどうにも悔しいのだろう。睨むように前方を見据えている。


「……ん?あれは…。おい、ちょっとこっち来て見てみろよ!」


 後ろに避難していた集団に向かって、波動男子が手招きをしている。

 耳鳴りが治りつつあった三人が前に出て、それぞれ顔を見合わせてから近寄って行った。


「その様子だと無理だったんだな。やっぱそう簡単にはいかないか…」

「あ?あぁ、全くダメージが入っていないみたいだ。これ、ただの鉄じゃねぇのかもな」

「はぁ…じゃあ次は穴掘りでもしてみるか?とりあえず壁は破壊できるみたいだからそっちと、あと試してみるとしたら地面か」

「まぁまだ一発殴っただけだ。何度もやりゃそのうち壊せるんじゃね?」

「ゲェ、それならさすがに俺たちも試すしかないか…あのでかい音は結構堪えたんだが」

「ねぇまさかそれ私も含んで言ってる?あんなの無理よ。本当に全員に馬鹿力があるかもわかんないのに試して怪我でもしたらどうすんの」

「おいおい、じゃあなにか?他人におんぶに抱っこで、お前はそこで何もせずにただ見てるだけのつもりか?」

「あーはいはい、喧嘩はなし。もし一斉にさっきみたいな破壊活動始めたら、脱出前に生き埋めになりそうなんだけど。とりあえず試してみてもいい人だけやってもらってさ。残り組は別の案を考えとくってことで、ね、お願い」

「別の案ねぇ?あんのかね、そんなん。まぁもうそれで俺はいいけどさぁ」

「あのさ、ちょっといいか?その前に見てもらいたいものがあってよ。それで呼んだんだが」

「は?先に言ってよそういうことは」


 波動男子はなぜか風当たりの強さが自分に向かっていることに釈然としないながらも、間延びはしてしまっていたので少しバツが悪そうに本来の用件を伝える。


「あーいや…まぁ、そうだな。この柵の外なんだけどさ。暗過ぎて今まで特に気にしてなかったんだが、目を凝らしてたらなんか見えてきてよ。正面の奥に…地上に繋がってそうな階段がある気がするんだわ」


「「「え!?」」」


 傍に集まって来ていた三人は勢いよく柵にしがみ付き、目を眇めて鋭利な視線をその先に向けた。ガンを飛ばせば遠方がよく視えるようになっているのだろうか。


「…ほんとだ。かなり先の方だけど上り階段みたいなのが確かに見える」

「うーん…100mくらいは離れてそうなんだが…真っ暗なのに…まじで視力どうなってんだ」

「階段が一つだけ…?なんかいかにも上がって来いって感じで逆に怪しくない?」

「てかやっぱここ地下なのか。でもまぁ見る限りそれ以外は何もなさそうだし…とりあえずそこへ行くしかないだろ」

「…そうね。その前にまずこの牢屋みたいなとこから出ないとだけど」


 そこからはガヤガヤと人が集まって、皆で頭を捻る時間がしばらく続いた。

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