第35話 立て!城ヶ崎!

 大差で城ヶ崎にバトンが渡ると、ハルユキのクラスの興奮は最高潮を迎えた。

 いいぞ、いける。

 クラス対抗男女混合リレーは配点が大きい。

 ここで1位を取れば白組の総合優勝がぐっと近づく。

 だからこその盛り上がりだった。

 その盛り上がりが絶頂を迎えるさなか、全員の注目を集めている中で、城ヶ崎は転倒した。

 カーブの頂点で、残り半分というところで、城ヶ崎は盛大に転んだ。

 クラスのテンションが下がる音が聞こえるようだった。

 決して城ヶ崎を責めてはいない。責めてはいないが、それでも……。

 肩を落としたり、天を仰いだり、ハルユキのまわりの生徒は思い思いに落胆を露わにしていた。

 ここまで来て、これかよ……。

 城ヶ崎も悪くない走りを見せていたのに。

 多少もっさりしてはいるけど、それでも長い足を活かして着実に距離を稼いでいたのに。

 男子の場合、身体の大きさはほぼそのまま運動能力に正比例する。ところが女子の場合には、身体の大きさはむしろ運動能力には逆効果だ。

 それは筋肉量の違いによる。

 筋肉の量が多ければ、骨格の大きさは武器になる。しかし、筋肉量が少なければ、骨格の大きさは重量となり、枷となり、足の運びを鈍らせる。

 城ヶ崎は必死に、その枷を振りほどくようにして足を運んでいた。

 はた目にも、苦しげなのがわかる。

 そのぶんだけ、懸命に走っているのがわかる。

 なのにその道半ばで、城ヶ崎がくずおれるように転倒した。

——なんだよ、なんでそうなるんだよ。

 ハルユキは転倒した城ヶ崎の姿越しに、カーブの向こうの人影に気づいた。

 そこに立っていたのは、城ヶ崎の母親だった。

——あれを見たのか。

 生い茂る葉の下で、影に潜むように佇んでいる母親の姿を。

 ハルユキには、城ヶ崎の動揺が手に取るようにわかった。

 起き抜けに冷水を浴びせかけられるようなものだ。状況が飲み込めず、純粋な驚きだけが頭の中を占拠する。真っ白になる。

 いまの城ヶ崎が、まさにそれに違いない。

 怒るより、悲しむより先に、混乱して、当惑して、自分の中が空っぽになってしまう。だってそんな状況に対処するには、彼女はまだ15年しか生きていないのだから。

——お母さん、おまえを邪魔したいんじゃないんだぜ。

 何十年も生きてきて、オレたちの倍以上生きてきて、期待すること、夢見ることの辛さを知ってしまったんだ。

 知ってしまって、どうすることも出来なくて、せめて自分の娘だけはそんな思いをしないように、願っているだけなんだ。

 それを上手く伝えられる大人もいるのだろう。いや、それが大人というものなのだろう。

——だけど、城ヶ崎のお母さんには出来なったんだ……。

 そう思い至った瞬間、ハルユキの脳裏に一枚の絵が浮かんだ。

 城ヶ崎の絵を知ってから、ハルユキは興味本位で図書館にある美術の本を何冊かめくってみた。

 その一冊に、その絵はあった。

 ダ・ヴィンチやエル・グレコ、フェルメールといったいわゆる美しい絵の中に、まるで間違いで紛れ込んでしまったかのような真っ黒い絵。

 輝かしい名画の光に挟まれた、闇のような絵画。

 初め、ハルユキはそれがなんの絵なのかわからなかった。黒を背景にしたゴツゴツとした褐色は不規則な形をした岩山のように見え、ところどころに白や鮮明な赤が踊っている。

 しばらく漠然と眺めて、それがなにを意味しているかに気づいたとき、ハルユキは声をあげそうになった。

 褐色の岩山と見えたものは白髪を振り乱した裸の老人の身体であり、その顔はこぼれ落ちんばかりに目を剥いていた。そして赤は、首と腕をなくした子供から流れ落ちる血の色だった。

 老人は子供の身体を握り潰しそうなほど強く掴み、その指先は背中に深く食い込んでいるようだった。

 喰っているのだ、子供を。

『我が子を喰らうサトゥルヌス』と、タイトルにはあった。

 解説によれば、自らの子供に殺されると予言を受けたサトゥルヌスが5人の子供を次々と貪り食ったローマ神話を題材としたものだという。

 そのストーリーだけでも十分に怖ろしかったが、ハルユキはその下に加えられた一文に戦慄を覚えた。

「殺さなければ、子供たちを殺さなければ。さもなくばもっと怖ろしいものに、子供たちが殺されてしまう」

 そのときは、なにをいっているのかわからなかった。

——どうして子供を殺さなくちゃならないんだよ?

 背景にあるローマ神話なら、かろうじて理解できた。我が子とはいえ、自分を殺しに来られてはたまらない。だから先に命を奪う。

 しかしわからないのはその下の言葉だ。

「さもなくばもっと怖ろしいものに、子供たちが殺されてしまう」

 なぜ?と、そのときは答えが出なかった。

 しかしいま、ようやくわかった。

 どんな時代であれ、いや古代においてはなおのこと、親殺しは重罪だ。だからもし子供が自分を殺すようなことがあれば、その子供は怖ろしい刑罰——おそらくはむごたらしい死刑に処されるだろう。

 火あぶりや磔刑、手足を縛った縄を牛や馬に引かせて八つ裂きにする、生きたまま全身の皮を剥ぐなどという方法もあったらしい。

 我が子をそんな目に遭わせるわけにはいかない。

 そのためにサトゥルヌスは、自分の子供を次々と殺したのではないか?自分の身を守るためというよりも、子供たちを守るために。

 そして同じく古代では、死者を喰らうことでその魂を自分の中に取り込むという考え方があったという。

 それならば、子供たちの魂を自らの中に生きながらえさせようという目論見もあったのではないか。

 もしかしたらサトゥルヌスの行為は、恐怖からというより愛情からのものだったのかも知れない。

 だから城ヶ崎の母親も、と考えるのは甘過ぎるのだろう。世間知らずにもほどがあるのだろう。

 しかし、大人というものが高校生が思っているよりもずっとずっと弱くて、不完全で、不器用な存在なのだとしたら?

 小さな子が泣くことでしか気持ちを表現できないように、大人も自分の感情や心を上手に扱えないのだとしたら?

 だから酒に溺れることでしか、自分を欺せないのだとしたら?

 夢を遠ざけることでしか、子供を守れないのだとしたら?

 それしか術を知らないのだとしたら?

——だったら、そんなものに屈服する必要はないじゃないか。

 城ヶ崎の母親はいっていた。

「あの子、なにをやってもダメなのよ」

——そんなの、親に決めさせなくていいじゃないか。

「わたしと同じで」

——同じかどうかなんて、わからないじゃないか。

 城ヶ崎には、城ヶ崎にしか描けない絵があるじゃないか。

 そんなところに寝転がって、「やっぱりダメだ」を受け入れる必要なんてないじゃないか。

 だから、

「立て!城ヶ崎!」

 ハルユキは全身を声にして叫んだ。

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