第33話 誰になんといわれても

 第一走者でいきなり差をつけ、第二走者で差を広げ、第三走者で差を詰められても、アンカーで突き放す。

 それが、城ヶ崎のチームの作戦だった。

 その作戦は大いに的中し、第二走者の秋山はかなりの余裕を持って城ヶ崎にバトンを運んできた。

 長距離はともかく、柔道部で鍛えた足腰の瞬発力はリレーでも遺憾なく発揮され、少しばかり舐めてかかっていた他のチームに衝撃を与えていた。

 他のチームも、俊足自慢のメンバーを集めているはずだった。しかし陸上部の、それも中学時代からエース級の選手が二人も揃っているチームは他になく、他の二人が多少遅くてもいい勝負になるとまわりからは思われていた。

 柔道部も、まあ走り込みはしているし、足はそこそこ速いんじゃないの?でも野球部やサッカー部ほど速いわけはないし……。

 それが実際に始まってみると、この柔道部が洒落にならないほど速かった。

 第一走者の小柄な女子生徒は陸上部らしい好スタートを切ると、そのままグイグイとリードを広げていった。公式な大会で使う400mトラックよりずっと小さい校庭のトラックだったが、彼女は身の軽さを活かしてまたたく間にカーブを抜けていった。

 続く秋山はさすがにフォームはバラバラだった。先ほどの彼女と比べると、足の回転も、腕との連動もまるで取れていない。

 いや、取る必要がないほどに、秋山はパワーで地面を蹴り進んでいた。

 これを見た他のチームに焦りの色が浮かんだ。おいおい、二走目で追いつくんじゃなかったのかよ……。

 テイクオーバーゾーンに迫ってくる秋山を見たとき、城ヶ崎は初めてその手首にはめられている水色のリストバンドに気づいた。

——あれに気づかなかったなんて……。

 絵を描くには、特にデッサンをするには、対象をよく見る必要がある。城ヶ崎も目に映るものを詳細に観察するのが癖になっていた。

 それでも、リレー選手として集合しているときには、秋山のリストバンドに気づかなかった。

——あんなに目立つのに。

 細めの女の子のふくらはぎほどもありそうな前腕、その手首にはめられたパステルカラーのリストバンドは、どう考えても秋山には不似合いだった。

 それは、秋山本人も認めていた。

 だけど、それがなんだっていうんだ?

 秋山と可愛いものの組み合わせは、どうやったって似合わない。

 そしてそれを、「似合わない」といってしまえる残酷な正直さを持っているのが高校生だった。

 しかしそれでも、本人がいいというなら、それでいい。

 そんなふうに思えるのも、まだ大人の社会の色に染まっていない彼らの特権だった。

 男なんだからしっかりしましょう、女なんだから可愛くしましょう、就職活動はリクルートスーツでしましょう、面接の受け答えはこうしましょう……、そんなふうに何度も何度も型にはめられ、元の形がわからなくなるまでプレスされて、なにを大切にしていたかすら忘れてしまう、そんな時期を迎える前のむき出しの「そんなことどうでもいい」を、彼らはまだ持っているのだった。

 だから城ヶ崎も、鬼の形相で走って来る筋肉の塊の腕に可愛らしい水色のリストバンドが見え隠れしているのを見て、クスリと笑いはしたものの、おかしいとか、変だとかは思わなかった。

——わたしも、胸を張って絵を描きたいな……。

 誰になんといわれても、好きな絵を、好きなだけ描いていたい。

 体育祭が終わったら、お母さんに絵の道に進みたいっていってみよう。お母さんには迷惑かけないから、なんならいまからアルバイトして画材や授業料も自分で出すから、美大か、そうでなければ絵の勉強が出来る専門学校に行きたいっていってみよう。

 お酒が入っていないときなら、きっとわかってくれる。

 手首のリストバンドが飛んでいきそうなほど激しく腕を振って走って来る秋山を見て、城ヶ崎は思った。

 きっと、誰になんといわれても、好きなものは好きといっていいんだ。

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