第26話 負ける気がしない

 まだ梅雨入り宣言が出されていないにもかかわらず、体育祭の数日前から雨は降ったり止んだりを繰り返し、当日の朝になってもすっきりと晴れてはくれなかった。

 それどころか、不安になるほど暗い空になったかと思うと、今度はところどころに青空をのぞかせたりと思わせぶりな空模様で、開会式に並ぶ生徒たちは気が気でなかった。

 もっとも、そんなことがなくても校長の挨拶など真面目に聞いてはいなかっただろう。

 特にボードを担当したクラスの生徒たちは。

 なにしろいまこの瞬間にも、応援席のうしろには自分たちが描いた巨大な絵が屹立しているのだ。

 そのボードを立てるために、担当クラスは他の生徒たちよりも早く登校しなければならなかったが、それはむしろ名誉といえた。

 ハルユキは、誰よりも早く登校して準備に取りかかっていた。

 指示を出したり、意見をいったりするわけではなかったが、それでも積極的にボードを立てるという最後の仕上げをする姿に、クラスメートたちは意外そうな顔をしていた。

 しかしそれを茶化したりする生徒はおらず、中にはうれしそうな顔をする生徒もいた。

 その急先鋒が、秋山だった。

「よう、ハルユキ!」

 そういって遠慮なく背中を叩き、「そっち持って」とボードを構成するベニヤ板の一枚をハルユキとともに持って校庭に運び出した。

——いってえな。

 とは思ったが、不思議と嫌な気持ちはしなかった。

 それは、相変わらず秋山の手首にはめられたまるで似合っていない水色とピンクのリストバンドのせいでもあったし、秋山という人間を知ったからでもあった。

——コイツ、ほんとに……。

 あんなふうに、もしかしたら笑われるかも知れないのに、まるで似合ってなんかいないのに、ただ好きだからと堂々としていられる人間がいることが、ハルユキには信じられなかった。

 こうして目の前にいる以上信じるしかないのだが、それでもそんな人間が自分と同じ教室に存在しているというのが、自分と一緒にベニヤ板を運んでいるというのが、まるで他人の人生の出来事のように感じられた。

——オレだって……。

 ハルユキも、自分のしていることが正しいなどとは思っていない。

 口パクでいることが、教室でほとんど話さないことが、正当性を持ち得るなどと思ったことはないのだ。

 すべては自分の小ささのせい、ちっぽけなプライドのせいだと、わかっていた。

 それでもそのちっぽけなプライドは、まだ大人になり切っていない心にはなにより大切で、小さな灯火ともしびとわかっていてもそれに縋らずにはいられないのだった。

「それでは、今日一日、怪我のないように精一杯がんばりましょう」

 開会式の終わりを告げるその言葉で、生徒たちは一斉に応援席に散っていった。

 その様子を、記録係のカメラが熱心に写真に収めていた。しかし、保護者たちが構えるスマホに挟まれたその姿は、なんだか肩身が狭そうに見えた。

 中にはプロ顔負けの望遠レンズで我が子を狙う親もいて、被写体の方は口々に「恥ずかしい」といいながらも、まんざらでもないようだった。

 とはいえ高校の体育祭に足を運ぶ保護者は決して多くはなく、ハルユキの両親も姿を見せてはいなかった。

——高校の体育祭を見に来る親の方がめずらしいよな。

 小学校の運動会から数えれば、もう10回近く体育祭があったのだ。

 そのすべてに来ているのではないにしても、親たちは相当な回数、子供たちの「勇姿」を見ていることになる。

 親自身の年齢とともに会社での責任も増していくだろうし、そうそう学校行事に参加してもいられないのだろう。

 そんなことを思いながら応援席に向かうハルユキを、白い女神が描かれたボードが出迎えた。

 青組は波、赤組は炎、緑組は竜をモチーフにそれぞれのボードを完成させていたが、いずれも白組の女神に太刀打ちできるものではなかった。

 圧倒的、とさえいえた。

 悠然と両腕を広げた白い女神は波を割り、炎を鎮め、竜ですら従えているようだった。

 それはハルユキのクラスの想いの結晶でもあったが、なによりもまず城ヶ崎の画力の賜物といえた。

——負ける気がしない……。

 白い女神は、ハルユキにそう思わせた。

 それを現実のものとするために、力の限りを尽くそうとハルユキは内心に誓った。

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