第22話 陽キャのくせに

 翌朝、教室の中は昨日の話題で持ちきりだった。

 とはいえ、問題の相手が城ヶ崎の母親ということもあり、おおっぴらに侮り者あなずりものの悪口をいうわけにもいかず、それは主に城ヶ崎への応援と老教師の意外な活躍を喧伝するという形で現れた。

「わたし、城ヶ崎さんの絵をボードに写すの全力で手伝うから」

「わたしも」

 そんな会話が、城ヶ崎の机のまわりで繰り広げられていた。

 まるで、明日のコンペ提出を前にしてすでに城ヶ崎の絵が採用されることが決まっているかのようだ。

 実際、そうなのだろう。

 他のクラスからどんな絵が提出されるか知らないが、ハルユキが見たあの絵に敵うものがあるとは到底思えなかった。

 とはいえ、当の城ヶ崎はやはり居心地が悪いようで、曖昧に「うん、うん、ありがとう」と返事をするばかりだった。

 それはそうだろう。なにしろみんなの「応援してる」という薄いシャボン玉のような膜を支えているのは、「城ヶ崎さん、かわいそう」という窒息しそうな同情なのだ。

 できれば、もう触れてほしくない……。

 それが正直な気持ちなのではないかと、ハルユキは思った。

 朝、城ヶ崎が登校してくると、ハルユキはそれとなく彼女の様子をうかがった。

——怪我とか、してないよな……。

 あのあと家に帰って、酔っ払った母親が腹いせに暴力を振るったりしていないか、ハルユキはそれを心配していた。

 見たところ、顔に傷やアザなどないようで、彼女の表情もいつもと変わりなく見えたから、ハルユキはほっと胸を撫で下ろした。

 しかし、もう一方の心配は現実のものとなってしまった。

 それが、城ヶ崎を取り巻く乱暴な善意だった。

 悪気がないのはわかっている。それどころか、そこには厚意と優しさしかない。しかしそれが、向けられた人間を逆に追い込むこともある。

 ハルユキは自身の経験からそれを知っていた。

 意外だったのは、率先して善意の鎖で城ヶ崎を締め上げそうだと思っていた御木元がまったくその輪に加わっていないことだった。

 むしろ御木元は、少なくともハルユキから見る限り、その輪の外から城ヶ崎を見守っているだけだ。

 いや、城ヶ崎を見守っているというよりも、向けられる善意に城ヶ崎が傷付いてしまいやしないかと、心配しているように見える。

——だとしたら……。

 と、ハルユキは思った。

——アイツ、そうなのか。陽キャのくせに。

 ハルユキからしてみれば、御木元みたいな陽キャは人の気持ちなんか考えないで、グイグイと前進して行くものだ。

 それが悪いとは思わない。そうやってテンション高く、ウェーイとまわりを引っ張っていくのが陽キャの使命だ。

 しかし御木元は、少し違うのかも知れなかった。

 そういえば昨日、城ヶ崎の母親と対決したときにも、決して感情の赴くままという感じではなかった。さらにそのあとには、まるで腰が抜けたようになっていた。

 そんなことを考えているところへ、秋城連山のもう一方、秋山が柔道部の朝練から帰って来た。

「なに?なんの話?」

 ひそめていても遠慮なく聞こえる太い声で、秋山は御木元に訊いた。

 御木元は少し迷惑そうに説明を始めたが、その声は城ヶ崎を気遣って、誰にも聞き取れないくらいに小さかった。

 その声に合わせるようにして背中を丸めた秋山は、眉根を寄せたり目を見開いたりしていた。

 そして、大きくひとつ息をはくと、「いろいろあるんだなあ、城ヶ崎」といいながら、首から提げたタオルを広げて顔を拭いた。

 その途端、城ヶ崎を取り巻く輪がほどけた。

 城ヶ崎のまわりにいた生徒たちが、実際に位置を変えたわけではない。

 しかし明らかに、クラス全体の意識とでもいうべきものが、城ヶ崎から秋山に移っていった。

「秋山くん、それ……」

 女子生徒の一人がいった。彼女は確か、先日、秋山には彼女はいないのかと御木元に訊いていた生徒だ。

「ん?」

「そのタオルって、秋山くんの?」

 女子生徒が指さすそれは、ふわふわモコモコとしていて、いかにも吸水性の良さそうなタオルだった。

 しかし、ふわふわモコモコしているのは、その材質だけではなかった。

 手に持っているからはっきりとはしないものの、そこに描かれているのはこれまたふわふわモコモコしているウサギのイラストだった。

「うん、そうだよ」

「そ、そっかあ、可愛いタオルだね……」

 それを聞いた瞬間、秋山の顔にパッと笑顔が広がった。

「そうだろ!可愛いよな、これ!」

 まるで一本勝ちでもしたかのような秋山の笑顔とは対照的に、話しかけた女子生徒の顔はこわばっていた。

「それって、誰かからもらったりしたの……?」

 無理に笑顔を浮かべて、女子生徒はいった。

「いや、このあいだ遠征に行ったときに見つけてさ。速攻で買っちゃったんだよね」

「そうなんだ」

「うん、他にもいろいろあったんだけどさ、遠征先で飯食ったら金がなくなっちゃってさ。悩み抜いた末にこれにした」

 うれしそうに説明する秋山は、まるで彼女を押し倒しそうな勢いだったが、ふと真顔に戻って続けた。

「オレが持ってると変かな?」

「ないない、そんなこと全然ない!」

 その言葉は、秋山の迫力にいわされているようには聞こえなかった。

「いいと思う!そのタオル、すっごく可愛い」

 少なくともハルユキが見る限り、その女子生徒と秋山がこんなにたくさん言葉を交わすのは初めてだった。

 彼女には、それがうれしかったのだろう。

「そうか?そうだよな?可愛いよな?」

「うん!」

「こういうのもあるんだよなー」

 いいながら、秋山はいそいそとカバンからなにかを取り出して手首にはめた。

 それは水色とピンクのパステルカラーで彩られたリストバンドで、そこに描かれたウサギは、秋山の太い手首で引き伸ばされて得体の知れない生き物に成り果てていた。

「どう?似合う?」

 まるで少女が髪飾りを自慢するように、秋山はリストバンドを女子生徒に見せつけた。

「いや、似合ってはいないだろ……」

 どこからともなく声がした。

 秋山は虚を衝かれた顔をした。

 それを見たハルユキは思った。

——これは、怒る……。

 もし女子が「似合う?」と訊いてきたら、それに対しては「似合う」としか答えてはいけないことくらいは、ハルユキも知っていた。

 たとえそれが小学生であっても、「似合わねえよ」などといおうものなら、帰りのホームルームで吊し上げを喰らう。

 秋山相手の場合は、どうだ?

 秋山は先ほどのセリフをいったとおぼしき男子生徒の方にゆっくりと顔を向けると、渋い顔をして笑った。

「だよなあ、似合いはしないんだよな」

 その言葉で、教室中に笑いが起こった。

「でもさあ、いいんじゃない?そういうの持ってても」

「そうだね、そこまで堂々としてるといっそ清々しいよね」

「わたしもそこまで踏ん切れたらなあ」

「どういうこと?」

「わたし顔丸いからさ、ロング似合わないんだけどずっと憧れてるんだよね」

「あー、でもやる勇気はない、みたいな」

「そうそう」

 しばらく教室は、「これやりたいけど勇気がない」の告白大会になった。

 其処此処で、「えー、意外」と「でもいいじゃん」の応酬が繰り広げられ、気がつくともう誰も城ヶ崎に注意を払っている生徒はいなかった。

 もしこれが、秋山が狙ってやっていたのだとしたら……。

 ありそうもないと、偶然だろうと思いながらも、ハルユキはその可能性を完全には排除しきれないでいた。

——そういえばアイツ、廊下でぶつかったときもオレの声を気にしてないみたいだった……。

 応援歌の練習をサボろうとして御木元に咎められ、教室を飛び出した日のことをハルユキは思い出していた。

——まいったな、デカいのは背だけじゃないのかよ。

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