第15話 あたし、聞いちゃったんだけどさ
「御木元さんさ、張り切りすぎじゃない?」
その声を聞いたとき、動けなくなった。
放課後の体育倉庫で、体育祭で使う備品のチェックをしているときだった。
——こんなの毎年やらなくてもいいのに。
体育祭で使う備品の多くは、普段の授業でも使われている。だからなにか問題があれば、その時点でわかるはずだった。
とはいえ中には年に一度、体育祭のときにしか日の目を見ないような備品もあって、そうした物の劣化具合は実際に目で見て確認するしかない。
それに、と御木元は思った。
学年主任から直接、他ならぬ自分に依頼されたのだ。
中学時代には、こんなことは考えられなかった。誰も御木元にこんなことを頼みはしなかったし、もし頼まれていてもその役割をまっとうできたかどうかははなはだあやしい。
その頃のことを思い出して、備品をチェックする手が止まった。
引っ込み思案、というのは、肺炎を風邪というのと同じくらい間違えている。
——それくらい、わたしは……。
声が聞こえてきたのはそんなときだった。
倉庫の裏で話しているらしい、楽しそうな声。
意味なんかない、なくていい。ただ明るく楽しいだけの、無邪気で、無遠慮で、むき出しの会話。
薄暗い倉庫から見ると、目がくらむほどに眩しい外の世界。開けたままのドアを通じて、眩しい世界から声が聞こえてくる。
——いまのわたしは、あちら側にいるんだ……。
あの明るく、楽しそうな、それぞれが世界の中心であるかのような彼女たちの側に。
わたしと彼女たちを隔てるものはなにもない。
だから声をかけようと思った。
眩い光の中に顔を出して、「備品のチェック手伝って」「いいよ」そんな会話をしようと思った。
そして入口の縁に手をかけた瞬間、その言葉が聞こえた。
「御木元さんさ、張り切り過ぎじゃない?」
痙攣するように、御木元の手が止まった。
「うんうん、元気過ぎっていうかわざとらしいっていうかさ。ちょっと引く、みたいな」
「わかるー。引くっていうかわたしたち置いてけぼり?みたいな感じ」
自分たちしかいないと思い込んでいるらしい少女たちの声はあくまでも明るく、やわらかく、プレハブの壁を易々と貫いて御木元に迫った。
ときどき混じる楽しげな笑い声は、ヤスリのように彼女の心を削った。
だが、まだだ。
まだみんな、わたしが目立つと、活発だといっているに過ぎない。
——そんなもの、褒め言葉だ……。
彼女たちはクラスの中心にいるわたしを、カースト上位にいるわたしをうらやんでいるだけ。
また笑顔で話しかければ、何事もなかったようにわたしに接してくれる。わたしといてくれる。
そう思ってもう一度、縁にかけた手に力を込めた。
「あたし、聞いちゃったんだけどさ」
踏み出した足が地面に着くより早く、その言葉は御木元の鼓膜を震わせた。
「御木元さんて、中学のとき陰キャだったらしいよ」
鼓膜を震わせたその言葉は、細い針のように御木元の心のどこか、深い深いところに達していた。
細過ぎて、目に見えないくらいのはずなのに、確実にいちばん痛い部分を衝いてくる。
土を踏んだ足が、吸い付けられたように動かなくなった。
過去の自分という亡霊が、「おまえはあちら側じゃないだろう」と、地面に這いつくばってスカートの裾をつかんでいるかのように、身体が前に進まなくなった。
「嘘でしょ?ぜんぜんいまと違うじゃん」
——嘘だよ、そんなの。
「御木元さんが陰キャって、イメージ合わないなあ」
——いまのわたしが、わたしなんだよ。
「あー、でもわかるかも。ちょっと空気読めてないっていうかさ、一人で突っ走っちゃってるときあるじゃん?」
——そんなの、わからなくていい。がんばってることだけ、わたしがみんなの中心にいることだけ、わかってくれればいい。
「わたしも陰キャだからさ、訊いてみようかな?どうやって高校デビューしたんですかって」
笑いながらいうその言葉で、もうダメだった。
「誰が高校デビューよ。やめてよね、もう」
そういって笑いながら彼女たちの前に姿を現せば、それきりですんだかも知れない。
しかし、それは彼女にはできないことだった。
だから御木元は、息を殺して、足音を殺して、心を殺してあとずさりした。
そっとそっと、触れないように。今日まで必死で組み上げてきたものを、ガラスのトランプで作った塔よりもなお脆いものを壊さないように。
原形を留めないほどに飾り立ててきたものがバレてしまわないように。
できるだけ浅く息をしながら、御木元は倉庫の奥に身を潜めた。
自分でも、おそろしいほどに顔が強ばっているのがわかる。
とにかくいまは、隠れなければ。
誰にも見つからないようにしなければ。
昔と同じように、独りぼっちにならなければ。
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