第7話 でもあれじゃ、テナーっていうより

「なんなのよ、アイツは!」

 御木元が気色ばんでいるところへ、柔道着姿の秋山が顔をのぞかせた。

「なんだよ、どうしたんだ?」

 秋山の呑気な様子が、御木元の神経を逆撫でした。

「アイツよ、あの瀬下とかって奴。合唱の練習中もずっと口パクだしさ、今日なんて注意したのに出て行ったのよ」

 ああ、さっきのあれか。秋山は廊下でぶつかった瀬下の様子を思い出していた。

 この勢いで怒られたんじゃ、逃げ出したくもなるよな。教室に残っている連中も、ちょっと引いてるんじゃないか?

 秋山が見渡すと、御木元の背後で城ヶ崎がうつむいて縮こまっていた。彼女はまるで、自分が悪いことをしたかのように床を見つめている。

——気が弱そうな奴だもんな、でかいけど。

 入学初日から、城ヶ崎のことは目に留まっていた。高1であの身長の女子は、ちょっといない。当然目を引くし、他の生徒が話しかけるきっかけにもなっていた。

「城ヶ崎さん、背高いよね。何センチ?」

「バスケとかやってたの?」

「いいなあ、わたし150しかないからうらやましいよ」

 そんな言葉に、困ったような笑顔を浮かべる城ヶ崎の姿を見た覚えがある。

「そ、そんなことなくて、わたし、ぜんぜん……」

 身長に反して消え入りそうな声で話す城ヶ崎本人そっちのけで、彼女の目の前では「わたし、陸上部だったんだ」「わたし軟式テニス」と、彼女とは無関係な方向に会話が漂い出していった。

 会話のきっかけに利用されただけという事実に腹を立てるというよりも、むしろほっとした様子で、城ヶ崎は無軌道にさまようその会話を見守っていた。

 彼女の心は、見た目よりずっと華奢なんだろう。秋山はうつむいたままの城ヶ崎を見て思った。

 そうだよな。御木元の気迫は柔道の試合だったら褒められるだろうけど、クラスじゃちょっときつすぎるよな。気の弱い奴があの気迫にあてられたら、そりゃたじろぐのも無理はない。

「まあまあ、一人抜けた代わりに一人来たんだから、気にせず練習しようぜ」

「秋山くん、参加できるの?」

「ああ、柔道部、今日の練習は中止になったんだ」

 先輩が骨折して……、というのはいわずにおいた。

 骨折だの脱臼だの、話をするだけで痛がる女子は多い。ましてや目の前の城ヶ崎は、そんな話を聞いたらそれだけでポキッといってしまいそうだった。

「でも、秋山くんバスでしょ。他の男子もみんなバスなのよ。今日参加できる人の中で、唯一のテナーが瀬下くんだったんだけど」

 白組が歌う『空を駈ける夢』は混声4部合唱曲だ。パートは高音部からソプラノ、アルト、テナー、バスに分かれる。男子は下2つのテナーとバスだ。

 体育祭の応援歌とはいいながら意外なほど本格的にパート分けされ、ヘルプをお願いされた音楽科の教師も嬉々として各クラスの練習に駆け付けていた。

 不思議なもので、どこかのクラスだけやけにソプラノが多いなどということはなく、どのクラスも各パートが同じくらいの人数になる。若干の多寡はボリューム調整でなんとかなった。それに「どうしても」という場合には、高校生特有の気合いでどうにかしてしまうものだった。

「まあ、でもあれじゃテナーっていうより……」そこまでいって、御木元は目を伏せた。

「なんだよ、瀬下もほんとはバスなのか?」

 教室にいる全員が、一斉に秋山に目を向けた。

 合唱のパート振り分けは、自己申告制だ。自分ではよくわからない場合には、ピアノを弾ける生徒が確認して割り振る。

 ハルユキとしては、渋々男子の高い方のパート、テナーに手を挙げたのだが。

「あんた、アイツの声聞いたこと……、ないわよね。わたしたちだってまともにしゃべってるのさっき初めて聞いたんだし」

「なんだよ」

 誰も秋山に直接答えようとはしない。御木元も眉をひそめたままだ。

 やがて、教室にいた男子生徒の一人がいった。

「あの声は、なあ。厳しいよなあ」

 それに呼応して、他の生徒も口を開いた。

「気持ちはわからなくもないけど、協力はしてほしいよな」

「でもやっぱキツいんじゃないの、あの声じゃ」

 半分茶化すような口調に、渋面のままの御木元が目を向ける。

「そんなにおかしな声なのか、瀬下は?」

 さっき廊下で話したときにはおかしな声だとは思わなかったが、もしかしたら歌声はひどいものなのかも知れない。

「おかしいってわけじゃないんだけど、なんていうか……」

 秋山の問いかけに、御木元は口ごもった。

「授業中の瀬下くんの声ってさ、聞いたことない?」

「授業中か。オレ、授業中はだいたい寝てるからな」

 御木元は嘆息をもらした。

「まあいいわ。テナー抜きだけど、とりあえず練習始めましょう」

 ポンポンと手を打つと、御木元は手早くスマホをスピーカーに接続して伴奏を流し始めた。

 その様子を見ながら、秋山は感心した。

 手際よくみんなを引っぱっていくさまは、たいしたもんだ。

 御木元は、いまではすっかりクラスの中心になっている。少なくとも、いくつかあるクラスの中心のひとつに。

 変われば変わるもんだな。中学校のときは、オレのことを「あんた」なんて呼んだことなかったのに。

 それどころか、おまえの声を聞くのだって、中学校のときにはほとんどなかったんだぜ。

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