番外編2 いつから?
それは付き合い出してから、初めてのデートの時だった。
いきなり、ナオちゃんに聞かれたのだ。
「そういえば、つばめっていつから俺のことを好きなの――?」
えっ、と思った。
こいつは、相変わらず、デリカシーのないことを平気で聞いてくる。
あたしは、どう答えようかとナオちゃんに顔を向けた。
すると、その顔をみるうち、あたしの記憶は遠い中学三年生の冬へと遡っていった。
〇
それは三月の初めのことだった。
春の訪れを前にして到来した寒波は、朝から雪を降らせていた。
あたし達、中学三年生は卒業を間近に控え、その準備に落ち着かない日々を過ごしていた。
あたしがナオヤに呼び止められたのは、放課後の下駄箱の前でのことだった。
「あっ、つばめ。よかった。ちょっといい?」
ナオヤは家が近所で昔から知っている幼馴染である。
明日の合格発表次第では、春からも同じ高校に通うことになる。
「どうしたのさ?」
あたしは、下駄箱から外履きを取り出すと、ナオヤの顔をみずに答えた。
小さい頃から、よく知っているナオヤだったが、最近、ちょっとおかしい。その理由を端的にいうと、あたしがナオヤを異性として意識するようになってしまったのだ。
嫌だなぁ、と思う。
あたしにとって、ナオヤは大切な男友達だ。それなのに、自分の心境の態度に認めてしまえば、きっと彼を戸惑わせてしまうだろう。
ナオヤは優しい。
去年、あたしの母親が死んだときも、ナオヤはずっとあたしを気遣ってくれた。
もしあたしがナオヤを好きになってしまえば、その思いは、彼を戸惑わせてしまうだろう。
それはなんだか彼の優しさに泥を塗る行為のような気がした。あたしを突き放すために、あたしを傷付けない言葉を探すナオヤの姿をみたくはなかった。
あのさ、とナオヤはしゃがみこんで足元に視線を向けたままのあたしに言った。その声はどこか緊張していた。
「――つばめは、初めてのデートで行くなら、どこに行きたい?」
えっ、とあたしは思わず顔をあげた。
ナオヤはわざとそっぽを向いているようだったが、その耳元は寒さのためだけじゃなく、赤くなっていた。
あたしはごくりと唾を飲んだ。
そういえば、もうすぐホワイトデーだったな、とそんなことが脳裏に去来した。バレンタインデーにチョコレートを贈るのは毎年の恒例となっていたが、今年は初めて手作りした。
もちろん手渡す時には、それが義理チョコの範疇を出ないものだと念押ししておいたが、お返しに何か特別な意味を期待していなかったかといえば嘘になる。
それだけじゃない。来週にはあたしたちは中学校の卒業式を迎える。
おそらく高校も同じところに通うことになるとはいえ、環境の変化を迎えるこの季節は、胸のうちに新芽のような勇気を育んでくれるものだ。
もしもナオヤが勇気を出して、誘ってくれたのなら、あたしだってそれに応えなくちゃいけない。
「水族館――!」
あたしは緊張のあまり言葉につっかえながら答えた。
「水族館に行きたい。イルカショーがみてみたい」
「水族館かぁ……」
しかし、ナオヤはあたしの返答に考え込む様子をみせた。
あたしたちの住む町から水族館に行くには、電車で移動しなくちゃいけない。もちろんお金だって、それなりにかかる。
もうすぐ高校生になるとはいえ、少し背伸びし過ぎだっただろうか?
すると、ナオヤが顔をあげて言った。
「映画でもいい?」
「え――?」
「初めてのデート。映画じゃ嫌かな?」
「えっ、ええー……」
ぐ、ぐいぐいくる……。
まさかナオヤにこんな強引な一面があっただなんて初めて知った。ナオヤのことなら知らないことなんてないと思っていたが、やはり男の子と女の子では違うものなのだ。
「やっぱり、駄目かな?」
ナオヤがしょんぼりしたように、あたしの顔色をうかがう。
あたしは首がちぎれるような勢いで、左右に振った。
「嫌じゃない。全然、嫌じゃない。ナオヤがいいんだったら、それでいい」
あたしがそう答えると、ナオヤはホッとしたような顔をみせた。
「そうか。わかった」
それからナオヤは、ありがとう、とお礼をいうと、校舎の中へと戻って行った。
えっ、と言葉が続かず、あたしはその場に立ち尽くした。
どういうことだろうか。
頭のなかには大量の「?」マークが未消化のまま浮かぶ。デートの誘いだったはずなのに、あたしが了承すると同時に、肝心のナオヤはどこかへ行ってしまった。
普通は、デートといえば、お互いの合意がとれた時点で日時や詳細を示し合わせるものじゃないのだろうか。それが古来より連綿と続くデートのお作法じゃなかったのか。こんな流派は、あたしの知っている少女マンガのどこにもなかった。
それともナオヤも緊張していて、大事なことを、すっかり忘れているだけなのだろうか。
そうこうするうち、廊下の向こうから男子の「わっ」という歓声が聞こえた。
あたしは思わずびくりと反応すると、物陰に身を隠した。
なんとなく後ろめたい感覚があって、ここにいることを誰にもみられたくなかったのだ。
するとクラスメートの皆川君が大声で喋っているのが聞こえた。
「そうか、映画かぁ。さすが山本。幼馴染だけあるな」
あたしは、はっと息を飲んだ。
ナオヤの声は、すぐその後に続いた。
「おい、それより約束通り、ラーメン奢れよ」
「わかった、わかった」
男子たちの一群は、そんなことを話しながら下駄箱で靴を履き替えると、あたしに気付くこともなく、校舎を出て行った。
あたしは呆然とその姿を見送る。
どういうことだろうか。
いや、どういうこともなにも、今の会話を聞けば、おおよその見当はつく。
おそらくナオヤは、あたしが初デートでどこに行きたがるか、男友達と賭けていたのだ。
そしてナオヤは、それを映画だと予想していた。
だから、あれだけ映画をゴリ押ししてきたのだ。
そう考えると、全ての辻褄があう。
(ガ、
あたしは思わず頭を抱えると、その場にうずくまった。
そういうのは、賭けの対象にしちゃいけないものでしょうが。なんで高校生になろうかというのに、そんなこともわからないかな。中学三年生って、もっと成熟しているはずじゃないの。男友達といつまでもバカみたいに笑って、楽しそうにしてさ。ちょっとは成長してよ。人の純情弄ぶなよな、バカ!
翌日、あたしは風邪で寝込んで学校を休んだ。
きっとそれは冷え込みの厳しい日に、寒々とした下駄箱にずっといたことだけが原因ではないに違いない。
あたしは蒲団のなかで熱にうなされ、体調のつらさだとか、もうすぐ卒業する寂しさだとか、新生活への不安だとか、やるせない怒りだとか、色々な感情でごちゃまぜになりながら、それでもナオヤに期待を裏切られたショックを、まるで大切な宝物のように、汗ばんだ手の中でぎゅっと握りしめていた。
その日の深夜、あたしは喉が渇いて目を覚ました。
どうやら、少し熱は下がったらしい。
あたしは火照りの残った頭のまま、上体を起こそうと、暗闇に向けて手を伸ばす。すると手の平から、ずっと握りしめていたものが、ぽろぽろと零れ落ちたような気がした。
あっ、心の中で叫んだ。
――そうか。あたし……
やっぱりナオヤのことが好きなんだ。
あたしは起き上がるのを諦めて、力なく枕に体重を預ける。
こんな認め方、したくなかったな。
ナオヤのこと最低だと憤っているくせに、嫌いになれる気なんて、ひとつもしない。
つまりは、それくらいに彼のことが好きだったのだ。
やだな。あんな鈍感な人間を好きになってしまうなんて、きっと苦労するに決まっている。あたしは今のつらさを全部ナオヤにぶつけてやりたいような最悪の気分のまま、脳裏にのべつまくなしに浮かび上がる様々な考えを振り払うように目をつぶった。
朝起きれば、この煩わしい熱がどこかに消え去っていることを願いながら……
翌日、あたしはまだ微熱が続いていて、高校の合格発表を見に行くことができなかった。
それでもナオヤからメールがきて、無事に二人とも合格して、春からは一緒に同じ高校に通うことになったと知った。
なお、あたしがこの時に抱いた「苦労するだろうな」という予感は、この後、何度も現実のものになって襲いかかることになるのだが、それはまた別の話である。
〇
――いつから俺のこと好きなの?
そう尋ねてきたナオちゃんの、ちょっと緊張したような面持ちが、まるであの日初めてデートに行くならどこに行きたいか聞いてきた表情に重なってみえて、余計なことを思い出してしまった。
過去のこととはいえ、思い出してくると、いまだにムカムカしてくる。
しかも、ナオちゃんが余計なことを言い触らしたせいで、あの後、卒業式までに、何人かの男子から映画に誘われたのだ。それを全て断るのがどれだけ大変だったことか。
「どうしたの――?」
と、不穏な空気を察したのか、ナオちゃんが顔をのぞきこんでくる。
「教えない!」
あたしは思わずそう答えると、ナオちゃんを置き去りにして、つかつかと歩き出す。
「どうしたんだよ。ちょっと待ってよ」
「知らない!」
ナオちゃんはわけがわからないという様子だったが、ちょっとくらい困らせてやったってバチは当たらないだろう。
これが仕返しだとしても、あの時のあたしのショックと比べれば、軽いものだ。
あたしは自分の気持ちのなかに、ナオちゃんに恋したせいで振り回されてばかりいる自分が「悔しい」という感情があることに、あえて目を向けないようにした。
〇
――俺は突如として、怒りだしたつばめを慌てて追いかけた。
相変わらず、女心は難しい。
そんなにまずいことを聞いてしまったたのだろうか?
そういえば――と、俺は足早に歩きながら、ふと思い出す。
中学卒業の直前、クラスメートの男子連中から、「つばめをデートに誘うなら、どこがいいかを聞いて欲しい」と頼まれたことがある。
あの当時、つばめへの自分の気持ちを必死に否定しようとしてい時期だったから、表面上は平気なふりをする他なく、強引なお願いを断り切れなかった。
それでも、俺は「こんな奴らに大事な幼馴染を任せるわけにはいかない」とばかりに、嘘にならない程度に、つばめの希望をわざと曲げて伝えたのだ。
その結果か知らないが、つばめを映画に誘った男子はあえなく全て玉砕したらしい。
今から思うと、俺がつばめを好きだったからこそ、そんな真似をしたに違いないのだが、そう考えるとあの時の連中には随分とひどいことをした。
でも、もしあの時、クラスメートがちゃんと水族館に誘っていれば、つばめはどう答えただろうか。
イルカショーを観たがっていたくらいだから、もしかしたらデートの誘いを受けていたかもしれない。
そうしたら今日という日が、また違うものに変わっていた可能性だってあったのだ。
俺はそんなもうひとつの未来に思いを馳せながら、こんな風につばめに振り回される日々も、ある意味で幸せなのかなとしみじみ思う。
「おい、ちゃんと説明しろよ」
俺はつばめの背中を追いかける。
空は晴れていて、今日こそは絶好のデート日和である。
世界は今日も終わることなく、俺たちの日常は続いていく。
どうにかつばめに追いつくと、俺たちは、うだうだとつまらない言い争いをしながら、それでも二人で一緒に水族館の入場ゲートを通り抜けるのだった。
キスをしなければ世界が滅ぶのに、幼馴染はじらしたがる 円 一 @madokaichi
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