第2話 男娼姫くんの転生

 果てしない暗闇と、ただ漂っている感覚。

 しかし、怖くも寂しくもなく、どこか懐かしい。

 そんな起きているような、寝ているような時間が続いた。

 永遠かと思うほど長く続いた。

 寒くもなく、暑くもなく、空腹も疲労も感じない。

 時々、最愛の妹のことを思い出す。

 今度、ここへ連れて来てあげよう。

 ここにいれば足が不自由だろうが関係ない。

 いつまでも、ここで二人だけで過ごすのだ。

 そう考えるだけで多幸感に包まれた。

 だから、突然光を感じた時、闇が消え去るのを残念とすら感じた。


「……ゼル、ヘイゼル。聞こえるか、ヘイゼル」

 誰かの声に、嫌々目を開ける。

 しばらく光に目がくらんだが、やがて見えてきたのは、取り囲むように見下ろす大勢の顔だった。

「ヒッ!」

 思わず悲鳴をあげる。

 その中でも、キズだらけで最も怖い顔が目の前まで迫ってきた。

「ヘイゼル! 気分はどうだ? 痛いところはないか?」

 ヘイゼルという名に聞き覚えはなかったが、キズだらけの男の勢いに押されて頷いてしまう。

 すると、こんな恐ろしい男の目から、大粒の涙がポロポロと溢れた。

「良かった……本当に良かった」

 この男だけではなかった。ここにいる誰もが涙を流している。

 中でも、大声で号泣している女がいた。

 キズだらけの男が、その女を呼んだ。

「ミーメ、そんな所にいないで、ヘイゼルに声をかけてやれよ」

 丸くて可愛らしい顔の女は、流れ落ちる涙を拭いもせず、ゆっくりと前に進み出ると言った。

「ヘイゼル、戻って来てくれると信じていたよ。おかえりなさい、ヘイゼル」

 盛大な拍手が起きた。「ヘイゼル様、おかえりなさい!」と、いたる所から声がかかる。

 キズだらけの男が手を伸ばしてきた。

「立てるか? ゆっくりな」

 男に手を引かれ、上体を起こす。

 その時、初めて自分が水槽の中に寝ていた事を知った。

 何人もの人に支えられながら水槽を出る。

 フラフラして、全裸を恥ずかしがる余裕もない。

 幾何学模様の装飾がされた椅子に座らされると身体を拭かれ、ガウンがかけられた。

 周囲を見渡すと、神殿の様な部屋だった。だが、普通なら祭壇がある場所に置いてあるのは、自分が寝ていた水槽だけ。

 状況が理解できずに、混乱が増すばかりだ。

 その時、部屋にいた人々が左右に分かれたかと思うと、中央を王冠かぶった初老の男女が歩いて来た。

 偉い人だと本能で感じ、立ち上がろうとすると、初老の男の方がそれを制した。

「よいよい、勇者殿。蘇ったばかりだ。楽になさるといい。で、どうかな、ご気分は?」

 勇者とは自分の事かと怪訝に思いつつも、敵意は感じないので正直に答えた。

「何が何だか……まるでわかりません」

 だが、王冠をかぶった男は、満足げに頷いた。

「うむ、蘇った直後で、もう言葉を理解するとは。この様子であれば、記憶が戻るのも近いであろう。戦士殿、巫女殿、勇者殿を頼みましたぞ」

 二人は片膝をついた。

 キズだらけの怖い男が言った。

「ハッ! 我が王よ、お任せを!」

 丸顔の可愛い女は言った。

「承知しました。元巫女となった私ですが、できる限りの事をお約束します」

 王冠をかぶった女の方が口を開く。

「しかしながら、勇者様復活の噂を聞き付けた民が宮殿の前に集まってもう三日、そろそろ勇者様にご登場頂かないと、民の方が倒れてしまいます」

 キズだらけの男が気遣うように言った。

「ヘイゼル、どうだ? バルコニーまで歩けるか?」

 バルコニーがどこにあるのか知らないし、一歩だって歩ける自信も無かったが、その顔の恐ろしさに再び頷いてしまう。

「はい、歩けます」

 多くの人々に支えられ、もう一度立ち上がる。そして、ヨロヨロとバルコニーを目指した。

 途中何度もつまずき、そのまま倒れてしまいたいと思ったが、左右をキズだらけの男と丸顔の女にガッチリ抱えられ、それもできない。

 ほとんど引き摺られているだけの状態だったが、それでも見守る周囲の人々の目は尊敬の念に満ちていた。

 そして、訳もわからずにそんな目で見られている事が、恐ろしくて仕方なかった。


 ようやくバルコニーに出た。

 雲一つ無い晴天。

 まぶしさに目が眩み、意識が遠くなる。

 左右から同時に声がかけられた。

「前を向け、ヘイゼル。全国からお前に会いにきているんだ。民に顔を見せてやれ」

「もう少し頑張って、ヘイゼル。あなたがこの国の夢、この国の希望なの」

 ボンヤリとした意識の中を、知らない人物の人生が走馬灯のように過ぎた。

 自分の命と引き換えに魔王を打ち倒し、人類を守った勇者の記憶だった。

 あまりの衝撃に、一瞬で我を取り戻す。

――ウソ……今のって、実在した勇者の記憶?

 目に飛び込んできた光景も驚きだった。

 これによく似た風景を、テレビか何かで見た憶えがある。

 確かドイツのヘレンハウゼン王宮庭園。

 それ以上に広大な庭園一杯に、何千、何万という人々が集まっていた。

 その人々は、先ほどの王らしき人物の話に聞き入っている。

「……こうして魔王が討ち滅ぼされて一〇年、我々は再び苦難の時代を迎えようとしている。しかし、恐れる事は何もない。魔王が復活する時、勇者もまた復活するからだ!」

 怒涛の様な歓声が上がった。

 王が右手を上げる。

観衆は再び静かになった。

「今この時、女神アクアトパースの加護により、勇者は蘇った。皆の者、刮目するがいい。勇者ヘイゼルの雄姿を!」

 その時、更なる熱狂と歓声に、地震かと思うほど大地が揺れた。

 キズだらけの男と丸顔の女に支えられ、前に進み出る。

 知らない所で、事情もわからずに裸にガウン一枚羽織っただけの姿で群衆の前に立つのだ。

 当然、足がすくんだ。

 このフラフラの姿のどこが雄姿なんだろう、と思う。

 キズだらけの男と丸顔の女は、空いている方の手で観衆に手を振っている。

「ホラ、ヘイゼルも手を振ってやりなさいよ」

 丸顔の女が言うので、右手を挙げてみた。

 その途端、挙げた手の平から炎が放出され、遥か頭上で巨大な塊となった。

 そして爆発音と共に空高くへと昇っていく。

 どこまで高く昇ったのか、しばらくの後、空の一点が白く光ると、その白さが空全体に広がった。

 それから遅れて轟音が響く。

 爆発音と炎の熱気に驚いていた観衆は、静寂から熱狂へと切り替わる。

 鳴り止まぬ拍手と歓声。

 王は満足げだった。

「勇者から皆への祝砲である。我がアルフレア王国の民に幸多からんことを!」

 炎を放出した右手は大火傷を負っていたが、痛みを感じる余裕すらない。

 心にあるのは恍惚と恐怖。心臓が早鐘を打っていた。

――アニメで観たぞ。転生だ。これは転生に違いない。ボクはもう男娼の姫くんじゃない。勇者ヘイゼルだ!

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