勇者は男娼と入れ替わる

@neko-no-ana

第1話 勇者ヘイゼルの転生

――これが人生の走馬灯というものか……。


 勇者ヘイゼルは、まぶたの裏に映し出される己の人生を見て思う。

 優しかった母。

 逞しかった父。

 最初の親友だった愛犬パオロ。

 草原を駆け回った少年の頃。

 そして突然、勇者の力の覚醒。

 王都からの招集、家族との別れ。

 それから続いた、ひたすら鍛錬の日々……。

 辛く厳しい鍛錬だったが、仲間と出会い、切磋琢磨した日々こそ宝だったと、ヘイゼルは今思う。

 やがて一人前の勇者へと成長し、長い戦いの日々が始まる。

 魔王城へ向けての旅立ち。

 だが、ヘイゼルは決して一人ではなかった。

 一心同体とでも言うべき仲間がいた。

 途中、魔物に襲われた村を幾つ救ったか、いつしか数えるのすら止めてしまった。


 そして、人類として初めて、生きて魔王城へと辿り着く。

 筆舌に尽くしがたい激しい戦い。

 その末に、勇者一行は魔王を打ち破る。

 人類が未来を手にした瞬間だった。

 だがそれは、大きな代償を払っての勝利だった。


 誰かがヘイゼルの胸を叩いていた。

「……バカッ! かってに勇者が死ぬんじゃないわよ。一緒に帰るって言ったじゃない。バカ勇者ぁ……」

 ヘイゼルは、最後の力を振り絞って目を開ける。

「女神アクアトパースの巫女が……バカを連呼しちゃダメだろ……」

 巫女ミーメの目が見開かれる。その目に狂気が宿った。

「ヘイゼル! 死んじゃダメよ! 今、治癒魔法を!」

 ヘイゼルは、ミーメの後ろに立っていた戦士カイザーを見上げた。カイザーなら、何も言わなくても心が伝わる。

 カイザーはミーメの杖を取り上げた。

「ミーメ、止めるんだ。治癒魔法でも三年かかる。どちらにせよ、ヘイゼルはもう無理だ」

 ミーメは半狂乱で叫んだ。

「上等よ! 三年くらい不眠不休で魔力を送り続けてやるわ!」

「そんなことをすれば、オマエが三日で死ぬぞ。だが、ヘイゼルの命はあと三分だ」

 カイザーはヘイゼルの下半身を指差した。いや、正しくは下半身のあった場所だ。

 ヘイゼルのヘソから下は、魔王と刺し違えた代償に吹き飛んでいた。

「ああッー!」

 ミーメが泣き崩れる。

 神官ハウゼンがミーメの反対側でひざまずいた。

「時間がありません。皆さん、最後に感謝とお別れを……ヘイゼルさん、あなたと出会えて本当に幸せでした。素晴らしい冒険をありがとうございます」

 カイザーは、涙と鼻水を丸太の様な太い腕で拭くと微笑んだ。

「ヘイゼル、あとのことは任せてくれ。オマエがもたらしたこの平和、俺が絶対に守り抜くから」

 ミーメは泣きじゃくって声にならない。

 ハウゼンがミーメの肩に手を置いた。

「頑張って、ミーム。想いを伝える最後の機会です」

 ミームも無理に笑おうとしたが、顔が引きつるだけだった。

「愛してるよ、ヘイゼル。魔王を倒したら、巫女を辞めて、あなたと、平凡な、家庭を、持つのが、夢、だった……」

 ヘイゼルは三人の顔を見上げた。

「みんな、ありがとう……みんなのお陰で、最高の人生だった……」

 もう無理だった。もう我慢できない。三人は号泣した。

「……寒いな……悪いけど、一足先に逝かせてもらうよ……」

 それが、人類を守った勇者ヘイゼル、最後の言葉になった。

 魔王の死滅と共に闇黒の霧が晴れ、遠くに連なる山脈から太陽が姿を現す。

 朝日が一行を照らした。

「勇者ヘイゼルの魂に、女神アクアトパースの加護が有らんことを……」

 ハウゼンの震える声が、主を失って静まり返った魔王城に響き渡る。

 陽の光を受けたヘイゼルの死に顔は、まるで微笑んでいるかの様だった。



 その時、壁に埋め込まれている大型テレビに、下半身が吹き飛ばされた兵士の姿が映し出されていた。

「うわあッ!」

 思わず叫んでしまう。

 続いて激しい爆発音。その後に無数の死体が転がる。

「なぜだ? なぜ人が殺し合っている?」

 ネクタイを締めていた男が、興味無さげにテレビを一瞥した。

「全くだな。いったい何十年戦争すれば気が済むのやら」

「魔王か。魔王だな。魔王が復活して人を操っているのか」

「ははは、魔王か。そうだな、どちらも信じる神様の為に戦っているが、それで多くの人が死んでいる。宗教ってのは、魔王と同じくらい厄介なのかもしれないな。それより、コーラが溢れそうだよ」

 男が指差す先には、自分が持っているコップがあった。中にはドス黒い液体が入っており、底無し沼に沈んだ獣の死骸から発するガスの様に気泡が出ている。

「何だ、これは?」

「何だって、コーラじゃない。姫くん、好きでしょ」

 ふと気付いた。

 普通に会話しているが、この男は誰だ?

 姫くんとはオレのことか?

 目眩を覚えて頭を押さえると、男が気遣って近寄ってきた。

 黒い液体の入ったコップを受け取ってテーブルに置く。

「どうしたの? また眠れないのかい? 薬出そうか?」

「いや……大丈夫だ。少し休めば」

「本当かなぁ。言葉づかいも変だし、いつもの姫くんらしくないよ……」

 悪い男ではないらしい。本気で心配してくれている。

「……薬が必要なら言ってよ。いつでも処方するからさ」

「ああ、すまない」

「じゃあ行くよ。今日も良かった。またお願いするね」

 そう言って唇を近付けてきたので、驚いて顔をそむける。

「なんだ、仕事が終わったらキスもダメなのかい? しっかりしてるね」

 男は財布を取り出し、紙幣らしき物を何枚も取り出すと、テーブルのコップの横に置いた。

 そして部屋を出て行った。

 再び目眩がして目を閉じる。

――ああ、また走馬灯か……。

 だが、まぶたの裏に映し出されたのは、まるで知らない世界における、全く知らない人物の半生だった。


 いつも泣いている母。

 女癖と酒癖の悪い父。

 足の不自由な妹。

 勉強を諦め、ダンスを諦め、愛する妹を心の支えにアルバイトに明け暮れる日々。

 芸能プロダクションからの思わぬスカウト。

 突然開かれたスターへの扉。

 だが、仕事は身体と引き換えに与えられる。

 若さと美しさに群がる欲にまみれた中年男達。

 やがて拡がる枕営業の噂。

 そして、週刊誌に決定的な証拠を撮られる。

 ……転落。

 以前のアルバイトに戻ろうとしても、もめ事を恐れて雇ってもらえない。

 それでも家族を支えるには金がいる。

 結局、元アイドルの看板で金持ちの男達に身体を売り続けるしかなかった……。


 ゆっくりと目を開ける。

 改めて周囲を見回すと、驚くほど明るくて清潔な部屋だ。

 自分がベッドの上に裸でいるという認識はあった。

 上体を起こして、下半身はシーツの下にある。

 恐る恐るとシーツをめくる。

 小指の一本まで完璧な形で下半身はあった。

「ふぅーっ」

 大きく安堵の息が漏れる。

 男が出て行ったドアの近くに、全身を映せる大きな鏡があった。

 ベッドを降りて近付けてみると、信じられないほど磨き上げられ、寸分の歪みもなく物を映している。

 だが、本当に驚いたのは、鏡に映った自分の姿だった。

 女神像の様な美しい顔、触れば壊れそうな華奢な身体。何より、全身どこにもキズ一つ無いことに衝撃を受ける。

 生きるとは、身体にキズを刻むこと……そう信じていたからだ。

――ここは戦いの無い世界なのか?

 一瞬そういった考えが浮かぶが、テレビでは相変わらず戦争のニュースが流れている。

「……中東で未明に開始された戦闘の犠牲者は二万人を超えており、その半数は民間人の女性や子供とみられ……」

 混乱は増すばかりだ。

 外の空気を吸って落ち着こうと思うが、窓がどこにも見当たらない。

 だが、奥の壁一面がカーテンだ。そこに窓があるに違いない。

 そう思ってカーテンを引いた。

 壁は……全面が透明なガラスだった。

 空に浮いているのかと思った。それほどの高さだ。

 しかし、下界を見下ろして、自分がいるのが恐ろしく高い建築物の一室であることを知る。

 宝石の様な街の光が、遥か彼方まで続いていた。大きな鉄の鳥が、瞬きながら空を横切って行く。

 ここが、死ぬ前にいた世界とは別の世界であると確信する。

――そして、オレはもう勇者ヘイゼルではない。転生なのか、憑依なのか……オレは姫くんという名の男娼だ……。

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