第51話

 細かい燕青のことだから本当に皺があったら怒られるかもしれない。莉美は丁寧に畳んだ着物を安全な場所に置くと、すぐに北の城門に戻る。

 先ほどまで城壁にいた数名の兵たちとともに、楊梅が皇太后軍の残党たちを運んでいる。


 そのほとんどが騎馬兵に蹴られたり、人に押し倒されたりして負傷したものたちだ。つまり、自分たちの仲間に踏みつけられ、置いていかれた。

 処刑されると思っている彼らの表情は暗い。怪我の痛みが激しいものは歯をギリギリと噛みしめて額に脂汗をかいていた。


「楊梅様、墨兵たちを使いましょう」


 足の折れた若者を背負ってやってきた楊梅に声をかけると、それもそうだなと彼は一息ついた。

 絵を描く時、上官の言うことをよく聞くようにと思いを込めて描いている。優秀な彼らなら、敵を攻撃するだけではない動きもできるはずだ。

 莉美は墨兵の伝令を呼び寄せると、負傷者たちを集めてくるように伝える。


「ほかに、彼らに伝えたいことはありますか?」

「使える武器はすべて回収。死者たちは城壁脇に並べて数を数え、城外の墓地に埋葬する手はずを」

『御意』

「行け」


 伝令が馬を飛ばし、しばらくすると墨兵たちが武器を回収したり、死者を運んだりし始める。負傷者たちも墨兵たちが手当てをし始めていた。


「……だいぶ手が空くな。助かる」

「楊梅様もお疲れでしょうから、いったん休憩をしたらいかがでしょうか?」

「まだいい。民たちが戻ってくるまでは、わたしも働こう」


 墨兵たちは落款印が押されていない。消えてしまう前に、多くの片づけを済ませる方が楽だ。

 しばらくすると、追走していた兵の一部が、兵糧と大量の通貨の詰まった荷馬車を引き連れて戻ってくる。

 火薬が欲しかったのにと残念そうな楊梅だったが、二重の底の下には大量の塩が入っていた。


 黄龍国には塩湖があるとはいえそれは北だ。南にあるこちらの州にとっては、貴重な調味料の一つだからありがたい。


 日が暮れる前に、南の城門の前で民の帰りを待った。


「勝ちましたね、楊梅様」


 城壁から遠くを眺めていた楊梅に話しかけると、「いや」と言葉を濁す。


「なにかご不満ですか? 圧倒的な大差で勝ったと思うんですが」


 楊梅は莉美の左手を握ると、袖をまくった。


「……!?」

「やはり。自分より重い兵を担ごうとするからだ」


 倒れていた兵を助けようと肩を貸そうとして、持ち上がらずにこけたのだ。その時に擦りむいてしまっていた。


「見ていたんですね」

「こけたところをな」


 莉美は気まずくなって視線を外した。


「一滴も血を流させないと言ったのに……だから、この戦は負けだ」

「な、私の血なんて」

「お前の血の一滴までもわたしのものだ」

「そうだ! せっかく血が出たので、新月と白宝に使ってもいいですか?」


 楊梅はきょとんとする。


「新月も、白宝も、もしかするとまだ間に合うかもしれません! 私の絵を、お側においてもいいと楊梅様がおっしゃってくださるなら……!」


『題名』は彼らに言うことを聞いてもらうために必要で、『落款印』は半日の寿命が終わった彼らを、紙上に絵として固定するものには間違いない。


 だが、生命を持っていられるのは半日であり、消滅するのは免れない。

 しかし、血を混ぜた天天は消えるどころか余裕の表情をしている。であれば、血を混ぜて描いた天天が異質なのだ。


 つまり、莉美の血は絵に描いた生き物たちを、本物にするための手段となり得る。

 今からでも絵に血を乗せれば、新月も白宝もまたこの世界に生まれてくれるかもしれない。


 やってみなければわからないが、行動する価値はあるはずだ。


「許そう」


 莉美はすぐに馬車の中に置いてきた白宝の元に向かおうとする。血が乾く前に城に戻り、新月も助けなくてはならない。

 すると、莉美と名を呼ばれて腕を引かれた。見上げると、笑顔の楊梅と目が合う。


「ありがとう。おかげで、誰一人傷つけず勝てた」

「とんでもありません」


 その時、見張りの兵が声を上げた。開門の声と同時に南門が開けられて行く。


 ――凱泉とともに市民が無事に戻ってきたのだ。


 城に凱泉が戻ってきたのは夜半過ぎ、さらに燕青が『漣芙奪還』の吉報とともに戻ってくるのはさらに二日後となる。

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