第31話
*
楊梅は、捨てられた貴族であるかもしれない。
燕青の言葉が気になって仕方がない。それから二日も経っているのに、莉美の頭の中はそのことでいっぱいだ。
「本人に訊けといわれて『はいそうですか」ってなるわけないじゃないの」
どうせなら、変なところで区切らずにすべて教えてくれたら良かったのに。
胸の内で燕青に悪態をついてしまうが、情報提供してくれている事実には感謝をしている。
「でも、貴族だって言われて納得するわ。楊梅様だもの」
あれ以来、燕青はなぜか莉美の元に顔を出していない。燕青から楊梅の情報を聞き出そうと思っていたのに、それもできずじまいだ。
「楊梅様は、なんで捨てられてしまったのかしら?」
もしもともとが貴族だというのなら、楊梅がなぜそれを隠すのか不思議だ。
もしや、断罪された一家の生き残りなのかもしれない。であれば、ぼんくらを演じて目立たないほうがいいのもわかる。
ただ、莉美には人の心配をしている暇はない。
「早く、制御できる方法を見つけないと」
莉美はまだまだ試していないことを紙に書きだした。
時間を無駄にしてはいけない。努力し続けるしかできないのなら、やるしかない。莉美は燕青の言葉を噛みしめた。
「やっぱり、血を混ぜるというのも、一度は試してみたい」
莉美が生み出した『顒』の事件のおかげで、明確にわかっていることがある。
それが、血だ。
(あの時、顒が生まれたのは私の血がまだ乾ききっていない墨についたから)
擦りむいた時の血を吸って、あのとんでもない化け物が生まれた。初めから墨に血を混ぜて描けば、もしかしたら制御できる生命体が生まれるかもしれない。
それに顒は、生まれたあともぼんやりしていたが、莉美の血を求めてきた。
「絵が生き続けるためには、血が必要なんじゃないかしら?」
うまくいけば、それが命令を聞くきっかけになるかもしれない。顒は莉美が逃げたことで彼女を見失い、暴れはじめたのだ。
それを思い出すと、もう少し血を混ぜていたら、言うことを聞かせられたのではないかと思わずにいられなかった。
「妖魔だったから血に反応して生まれたのか、それとも妖魔じゃなくても生命を持ってしまうのか……試してみるしかないわね」
この世に存在していないあやかしの類であれば、いざとなったら急所の眉間を狙えばいい。とはいえ、巨大すぎればそれも無理だし、火でも噴かれたら最悪の結果が目に見える。
「妖魔で試すのは危ないから、神獣だったら問題ないかな?」
莉美は指南書の数々を取り出した。
彼女の荷物は、あの事件後すぐさま城内に運び込まれている。範家に置いてあった荷物も、すべてこちらに届けられている最中だということを凱泉から聞いていた。
手持ちの指南書をぺらぺらとめくっていく。
そこには、おめでたいとされる数々の瑞獣たちの姿が描かれていた。一枚一枚紙をめくりながら、慎重に題材を選ぶことにした。
「大きすぎたら小部屋の中にあふれ出して私が圧死しかねないし、小さいほうが無難よね」
できれば、ちょうどいい大きさの神獣がいい。しかし、姿かたちは載っていても、指南書に大きさまでは書かれていない。
神獣たちの大きさを想像しながら、莉美は気になった生き物の頁で手を止めた。
「可愛らしい見た目ね。大きくなさそうだし、この神獣ならどうかな」
莉美は深呼吸して氣を整える。右手の手袋を外し、気持ちを込めてゆっくり墨を磨ると左手の指先に針を刺した。
(ごめんなさい、楊梅様。でも、試してみなければわからないから)
ぷくっと血の玉が膨れ上がってきたのを確認すると、指先を硯の墨池に入れてよくかき混ぜる。
「どうか言うことを聞いてくれますように」
莉美は筆に墨を染みこませた。
――いつもより筆に力がこもってしまったのは、失敗したくないからだ。室内は暑くないのに、莉美の額には汗が滲む。
恐ろしい集中力で描き上げたのは、狛犬にも似た姿の生き物だった。
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