第24話

 燕青は莉美の手伝いをしながら、なにから話そうかと思案した後に口を開いた。


「知っておくといい。今日は現状の朝廷のことを話そう」

「お願いします」

「まず、現皇帝は皇太后様と先の皇帝陛下の長子である璿環様だ。これは知っているな?」


 燕青は地面に木の棒で「文皇太后」と「ひつ皇帝」を横並びに、その下に「璿環」の文字を書く。


「黄龍国では後継者は指名制。とは言っても、実質、黄龍のお印があるから形骸化した任命式が開催されるのみだ。しかし、弼皇帝は後継者を指名する前に、突然死した」


 朝起きたら亡くなっていたそうだ、と言いながら弼皇帝の文字の上に、×が書かれる。


「そこで、次の皇帝を選ばなくてはならない。玉座が空の状態は、好ましくないと言われている。八名いた皇太子たちで、生き残っていたのが璿環皇子と末の玼陽王子だ。もちろん、長兄である璿環皇子に白羽の矢が立った」

「生き残る、とはどういうことですか?」


 燕青はちらりと莉美を見てから、視線を下に戻す。


「皆、原因不明の病やらなにかで亡くなった。息子が皇帝になれば、自分が国母になれると考える、愚かな者などいくらでもいる。お印が現れれば、なお命を狙われる。そいつを殺せば、お印が自分の息子に飛び移るとでも考えているのだろう」


 むごい、と莉美は顔をしかめる。その間に燕青は、木の枝で璿環の横に二十四歳と加える。続いて『玼陽』、十四歳の文字を書いた。


「六男の玼陽しよう皇子は強運だ。いくつもの暗殺をかいくぐり、返り討ちにしてきた。人を妙に引き付ける力があり、機転の速さに定評がある。ただ、目に見えるお印がない」


 玼陽の名前を燕青はトントンつつく。


「龍のお印は、目に見える形だと言われていてな。璿環皇子のそれは、金色の髪の毛だ」

「本当に龍のお力が……では、王の器をお持ちということになりますね」


 そこが問題なのだ、と燕青は眉根を寄せた。


「そういうふうに思えないのが、家臣たちの意見として一致している。それに、手持ちの仙星も一人、もとは弼皇帝の家臣だ」


 莉美は口をつぐんだ。


「状況を悪くしているのは皇太后だ。もともと強欲で派手好き。皇帝が崩御したというのに宮廷内に男娼を囲い、夜な夜な祭り騒ぎときた。彼女を止められないのも、璿環皇子が皇帝の器を疑われる原因だ。このままでは、国力が落ちる」

「誰も、止めないのですか?」

「止めたさ。そして皆、首を刎ねられた」


 口を手でふさいだが、それでも莉美の口から声が漏れていた。


「朝廷に残っているのは、皇太后派閥と中立派が少々。そして数多くの奸臣。反朝廷派閥は首が飛んだか牢獄か、それほど力がなければ地方へ飛ばされた」

「知りませんでした」

「民は朝廷内のことなど関係ない。明日食うものに困らず、普通に暮らせればそれでいいのだから。ただ、この生活もそろそろ崩れるだろう」

「まさか、戦が……?」

「中立派でかつ重鎮の鄧将軍を、阿保な命令で召集した。これは、国の崩壊の合図だ。つまりは楽芙にまで手をかけ始めたということだからな」


 楊梅が留守を預かっていることはわかっていたが、まさかこんな大ごとが裏で起こっていたとは。急に寒々しくなってしまい、莉美は身震いをした。


「今は、飛ばされた反朝廷派の面々が、各州で抵抗を続けている。それでも、皇后派閥の州もある。今のところ、半数以上が皇后派閥に傾いている」


 州内の城郭まちでも、皇后派城郭、反朝廷派城郭とで分かれてしまっている州もあるようだ。


「おかしなことだ。なぜ、玉座に着くと自分が偉くなったと思い込むのか」

「実際、偉いからじゃないんですか?」

「お前、そのあたりは莫迦だな」


 蔑むような目で見られて、莉美はむっとした。


「偉いから玉座に着くわけでも、役人が人の上に立つわけでもない。その器があるから立てるというだけだ。器とは、人々の意見を聞き、それを速やかに実行しより良くするために動く人に備わる」

「なるほど」

「勘違いする輩が多すぎて困るな。皇帝も官も、偉いわけでもなんでもなく、国を豊かにする役職というだけ。民がいなければ皇帝なぞ必要ない。民に支えられてこその皇帝だというのに、なにを偉ぶる必要がある」


 燕青は怒ったような口調で続けた。


「それで偉いと思える能無しがいるなんて、俺はそいつの頭が心配になる。偉さとは自分で誇示するものではなく、他人から評価されるものだ」

「燕青様のおっしゃっていることはよくわかりますが、ちょっと、言い方が悪いです。陛下と皇太后様の悪口を言っていたなどと知られたら、牢に入れられてしまいますからね」


 燕青は莉美の注意を無視した。


「そうなったらお前も道連れにしてやる」

「お断りしますよ!」


 莉美は眉を吊り上げた。


「そう怖い顔をするな。冗談だ。俺一人ならば牢くらい抜け出せるが、お前がいたらそれもできない。足手まといは必要ないからな」


 相変わらず、嫌味な言いかたをするものだ。莉美はうっと言葉を詰まらせてしまった。もし自分の力が安定していて、紙に描いた絵を持ってさえいれば、自分だって脱獄くらい……と思って、なぜ捕まる前提なんだと自分を叱咤した。


 燕青は悪餓鬼のような意地の悪い笑みを浮かべていた。


「莉美は運が良い。力を知られたのが皇太后派ならば、反朝廷派を降伏させる道具にされていただろうな。『顒』を生み出せと無茶な命令をされているかもしれない」

「その話は掘り返さないでください……今でも情けなくて心が痛むんです」


 自分の能力の制御ができず、怪我人を出してしまったことを莉美は悔やんでいる。建物はすぐに直ったが、人の身体はそう早くはいかない。


「心を痛めている暇があるなら、どうにかできるようにすることだ」

「わかっています。でも、悪だくみに使われるような能力じゃありませんから、ご心配には及びませんよ」


 とそこまで言ってから莉美ははっと気づいた。


「もしかして、私の力を悪用しようとしている人がいるということですか?」

「お前が仙星だと気付かれたら、そうなる可能性が大いにある」


 それで、楊梅は莉美に力の制御を早くするように言っているのだ。制御できれば、万が一最悪の状況になっても、莉美自身で回避できるものがある。


「仙星に思われないように、楊梅公はお前を守っている」


 莉美は頷いた。


「この城郭もしかり」


 規律に厳しい鄧将軍が表向きには健全な街を作る。一方で留守の間はぼんくら楊梅に任せると、そのゆるみから抑制されていた悪が噴出する。

 そしてその時を機に出てきたもろもろの悪事を処理することで、街の平穏を保っていた。それを何年も続けることで、つまり楊梅が愚息であることが知れ渡ることで、この街から悪が消えていく。


 彼が城下で遊ぶのは視察も踏まえているからだ。本当に頭が悪く何も考えていないのならば、囲碁の対戦回数の細かな数字など、忘れるに違いない。

 なめられるような行いをし、皆にわざと己をなめさせているだけだ。彼の本質を理解するのは、信頼できる人だけでいいということだろう。


 だから、莉美には彼の行動も言動もちぐはぐに見えた。つまり、莉美には本質をわかってもらってもいいという、彼の気持ちの裏返しだ。


「楊梅公は愚図だが、莫迦じゃない。お前がそれを一番わかっているだろう」


 莉美の命を預けさせておいて、そういう回りくどいことをする。信頼しろとただ命ずればいいだけなのに。


「……ええ」


 しょんぼりした莉美を見るなり、燕青は「ふむ」と腕組みし、すう、と息を吸い込んでから目を開けて青空をにらんだ。


「ああ……風向きが変わる。雨が来そうだ」


 今日の話は終わりだ、と燕青は話をぶった切って立ち上がるなり、裏手から帰ってしまった。


「雨なんて降らなそうだけど……?」


 莉美は青空を見て首をかしげていたのだが、突然の通り雨がやってきたのはそのすぐ後だ。

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