第23話


 *



 府庫の掃除係として仕事をし始めてから、あっという間に十五日以上経過している。紙魚退治や掃除は日々順調だ。

 しかし、魚の大群が紙に戻ったあの日以来、力はまたいつもと同じように暴走を繰り返している。一向に進展はないとも言い切れた。


「……居るなら一言、お声掛けいただけませんか?」


 悩みは尽きないのだが、さらに莉美を困らせているのは、まるで猫のようにふらりとどこからかやってくるこの男だ。


「声を掛けたら、忍び込んだ意味がないではないか」

「燕青様は、いつもどこから現れるのです?」


 李燕青は、いつものように縁に腰を下ろしながら勝手に書物を読んでいた。

 彼も、楊梅の侍従だと知ったのはつい先日のことだ。侍従というよりも、密偵に近い存在らしい。

 彼の読書中は邪魔をしないことを条件に、手掛かり探しの約束は継続中だ。


「塞がれたら困るから教えるものか」

「ということは、塞げる入り口があって、そこから入られているってことですね?」

「ふん、お前は妙なところで頭が回るな」


 十分読み終わったのか、燕青はぱたんと本を閉じると日干ししてある書物を室内に戻す作業を手伝い始めた。

 莉美の見立て通り、燕青は相当な知識人だ。

 読んだ本の内容をすらすら言われて舌を巻いてしまった。十五の莉美と同じくらいに見えるが、実際には凱泉と同じく二十二歳だという。


「今日読んだ書物には、お前の手に関して役立つ情報はなさそうだったな」


 彼と莉美の同盟は成功しており、燕青は書物を読みたいだけ読むと、莉美に城内のことや知識を話してくれる。

 時々、城外の様子も教えてくれるのはありがたい。

 燕青によると、城内では初めのうち、新入りの莉美がどんな人物か興味を持っていたようだ。しかし凱泉が「ただの拾い物」と言ったことでそれも収まったらしい。


 拾い物。つまり、またすぐ捨てるかもしれないという意味が込められており、大した娘ではないと皆興味が逸れたということだ。

 いまでは、ぼんくら楊梅の気まぐれで貧乏人を拾ってきたと言われているらしい。

 墨まみれでそれどころではなかったのだが、その姿が逆に良かったようだ。真っ黒になってぶつぶつ言いながら歩いていれば、誰が見ても可笑しな娘に見えたことだろう。


「良かったな、貧乏人が染みついていて」


 燕青はへらりと意地悪く笑う。彼はきれいな顔をしているが、いかんせん口の悪さが意地悪な顔に投影されていてもったいない人物だ。

 肖像画でも描いてやりたいが、今の段階で、本物と同じように厭味ったらしいのが出現したら最悪だ。


「ついでに楊梅公は、能力のない者しか雇えないと一部で囁かれている。そう言っている自分たちが一番の能無しだとは、微塵も思わないのが頭の悪い奴らの証拠だな」


 至極まともなことを、燕青はさらっと嫌みで言ってしまう。


「ひとまず、早くこの能力をどうにかしたいです。どこかに行けば力が落ち着くとか、書いてないんでしょうか?」

「書いてあったとしても、書物はあくまで補助にしかならない。大事なのは、そのあと自分が知識とどう向き合い、使っていくかだ」


 確かにそうだ、と莉美は頷き返した。


「しかし、その膨大な知識を使って幽霊騒ぎを起こしたのが燕青様だとは」


 府庫に出るという幽霊の噂は、莉美を隠したい楊梅に対して、読書を静かに楽しみたいという燕青が提案したことだったというのだからとんでもない悪人だ。

 ただ、おかげで莉美が仙星だという噂は、凱泉の一言もあってものの見事に消し飛んでいる。


「人の恐怖心に対する知識を得たので、試しただけのことだ」

「そう言われてしまえば、咎めようがないですね」

「逃げ道は必ずつくるのが、戦いにおける常套手段だぞ。覚えておくといい」

「戦いなんてあるんですか?」


 燕青は眉根を寄せると、莉美の顔を見て重たいため息を吐いた。


「あるに決まっている。まあ確かに、静かなここで過ごしていればわからないことが多いか。それに、城主様はお前に圧力をかけたくないんだろう」

「……でも、私は知りたいです」


 楊梅がちぐはぐな理由を知りたい。


 期限を決めて何に焦っているのか、莉美を何から守ろうとして、何から遠ざけようとしているのか。

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