第三章  楊梅の秘密

第22話

 楊梅はなにかと都合をつけて様子を見に来る。正直勘弁してほしい。雉は駄目だと気付いたということで、兎を持ってきたこともあった。とんだ迷惑だ。

 そして毎日のように当然の顔をして莉美の小屋にやってくる。

 なにやら彼は、朝に莉美が粟を撒いているのが気に入っているらしい。粟を持ってきてほしいというと、袋いっぱい持ってきたのだ。そんなに要らないというのに。


「莉美、今日は非番だろう?」

「はい。ですが作業をしようと思っております」

「根をつめるな。少しわたしの用事に付き合え」


 莉美は茶を用意していた手を止める。これは、付き合わないと今度は狸か猪を持って来られるかもしれない。


「付き添いいたします」

「では城下に行こう」

「凱泉様は……護衛はよろしいのですか?」


 楊梅は要らないと手を振る。


「用事をたんまり押し付けておいたから、出てこられない」


 莉美はなんとも言えない気持ちになると同時に、損な役回りをしている凱泉を気の毒に思った。


「私じゃ、身代わりに斬られるくらいしか役に立ちません」

「なぜ、襲われる前提なのだ。質素な身なりで行くに決まっている」

「それでも楊梅様のお顔は、美しすぎてどうやっても目立ちます」


 楊梅は困ったように眉根を寄せてから、頬杖をつく。


「顔に墨をくっつけて布も巻き付けて行けばよいか?」


 それなら、と頷きかけて、じっとり睨まれていることに気付いた。

 言いすぎてしまったかもしれないが、事実、楊梅ほどの美男子が街を普通に歩いていたら振り返らない人などいないはずだ。


「まあいい。気分転換するのも良いことだ。今までもずっと籠っていたからな。準備を終えたら行くぞ。油条ゆじょう(揚げパン)の美味い店がある」


 美味い物と言われて、釣られないはずがない。莉美はすぐさま支度にとりかかり、それを終えると楊梅の部屋の近くで待機した。

 兵たちや下働きなどが行き来し、すでに朝から騒がしい。


「おはようございます。お出かけですか?」


 ぬう、と横から声をかけてきたのは凱泉だ。莉美は悲鳴を押し殺しながら見上げる。彼の両手には、抱えきれないくらいの書類の山が積まれていた。


「お、はようございます。楊梅様と少々城外に」


 無言で頷かれてしまい、莉美は気まずさで冷や汗をかきそうになる。


「なるほど。気を付けて行ってきてください」


 言葉の端々に威圧感がすごいのだが、莉美は揖礼を返した。


「莉美、待たせた。これなら目立たないか?」


 現れた楊梅は、どこから拾ってきたのだと言わんばかりのぼろぼろの袍を着ている。さらに灰で顔を煤けさせており、首に巻いた布で口元を隠していた。


「楊梅様、いったいどこでそんな襤褸を……!」

「げ、凱泉。莉美早くこちらに来い!」


 素早く莉美の手を掴むと、楊梅は怒った凱泉から遠ざかる。


「莉美、出かけるというのに手袋なんかするな」

「ですが、いつ何時、生き物が生まれるか……」


 外せというなり、楊梅は莉美の手から手袋をはぎ取る。それを凱泉の抱え持つ書類の上に見事に放り投げた。


「凱泉、それは莉美の部屋に戻しておいてくれ」

「…………御意」


 ものすごく不服そうな凱泉を置いて、楊梅は莉美の右手を掴むと小走りになった。

 すれ違う者たちが、楊梅の姿を見てぎょっとする。いくつもの驚いた顔とすれ違いながら、莉美は息切れする前に声を発した。


「楊梅様、手袋あれがないと」

「繋いでおけばよい。はぐれたら困るしな」


 ぎゅっと握ってくる手は温かくて厚い。その手に引かれて、あっという間に城の裏口から外へ出た。


「凱泉様、すごく怒っていたように見えました」

「気のせいだ。いつもあんな顔をしている」


 そうかもしれないが、と莉美はうずたかく積まれた書類を持っていた凱泉を思い出す。横から楊梅に覗き込まれて、慌てて顔を上げた。


「下を向くな。街を見ろ」


 早朝でまばらな人通りだと思っていたのだが、彼に連れられるまま歩いているうちに飲食街に入り込んでいた。そこは、すでに大勢の人々で賑わっている。


「ここは飯荘の集まる通りだ」


 あちこちに売り物を書いた上り旗が掲げられ、立ち上る湯気から煮餅しゃへい水溲餅すいとん、水餃子が茹っているのがわかる。

 さらにはあつものの汁の煮え立つにおいが満ち、韮や葱が油で炒められる香ばしいかおりが鼻腔をくすぐった。


「急ごう。あそこの店は混むんだ」


 あまりにも美味しそうなにおいが店の先々からするものだから、つい歩が遅くなってしまう。

 楊梅は襤褸布を頭から被り、素早く人の波を縫うように歩く。ついていくのに必死になっていると、目的の店に着いた。


 大きな鍋に入れられた油で、狐色をした長細い麺麭パンがぱちぱち音を立てて揚がっている。揚げたてを四つと温かい豆乳を購入すると、店先のいすに腰を下ろす。

 瓦器壺に入って出てきた豆乳を椀によそい入れると、楊梅はそれを莉美に渡した。


「ありがとうございます」

「美味いぞ。出来立てが一番だから、今まで持ち帰ってない」


 早く食べるように言われて、麺麭を千切って豆乳に浸した。それを口に入れると、目を丸くする。


「美味しい!」

「そうだろう。ここの豆乳は、とろみと味が強い。油条は反対にさっぱりしていて飽きが来ない。豆乳はさらりとしたものが良ければ、もう数軒先にある」


 これだけでも十分だと口いっぱいに頬張っていると、楊梅が訊ねてきた。


「莉美はどんな食べ物が好きだ?」

「食べられればなんでも……でも饅頭は好きです」

「それも買おう。わたしは包子パオズが食べたい。菜っ葉の入っていて美味いのが向こうにある。韮と肉の入ったのも食べたい。莉美ももっと食べろ。食わねば身体は良くならぬ」

「そ、そんなには……」


 持ち帰りにすればいい、と楊梅は嬉しそうにしている。


「その油条を食べたら行くぞ」


 どこに、と訊こうとして、莉美はまさかと思って楊梅を見つめた。


「壊れてしまった家々が、お前も気になっているだろうと思ったのだ」

「あの、まさかあの人から……?」

「言っていなくて悪かったな。あれは燕青えんせいという。野良猫みたいなものだから気にしなくていい。ただ、書物に没頭すると仕事をしなくなる。そういう時は尻をひっぱたいてやれ」


 野良猫、と莉美は呟く。あまりにも的確な表現すぎた。


「建物は多くが直っている。その目で見るのが一番だ」


 彼のことを、ぼんくらなどと言ったのは誰だろう。本当は、楊梅はそんな人ではないのは莉美にも理解できている。

 先ほども、城の者たちみんなに、凱泉に書簡を押し付けているように見せていたのだろう。


 可笑しな格好をし、家臣に仕事を押し付け、自分は莉美と遊びに行くどうしようもないでくの坊を演じたに過ぎない。

 そうしなくてはならない理由が、きっとあるのだ。


「楊梅様、ありがとうございます。必ず、この力を制御してみせます」


 莉美のそれに、楊梅は小さく笑った。


 燕青や楊梅の言う通り、すっかり元通りとはいかないまでも破壊された道も家も修繕がなされていた。

 街の人々の様子を、楊梅は深い親しみを持った目でじっと見ているのが、莉美の印象に一番残った。

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