第21話

「あ、あの楊梅様……?」


 加減してくれているはずだが、さすがに武人だけあって握力が強い。

 もしかして右手のことを気味悪がられてしまったのか、と莉美は冷や汗をかいた。斬り落とされるか、城外追放かと嫌な予感が頭をよぎる。

 このまま折られてしまうのかと莉美が薄々思っていると、楊梅が口を開いた。


「わたしも一緒に、お前の右手の秘密を解く手がかりを探そう」


 深刻な表情で告げられたのは、莉美の予想とは違う言葉だ。


「楊梅様は忙しいのでは?」

「わたしがこの街でなんと呼ばれているのか知らないのか? うつけだの、ろくでなしだの、ぼんくらだの」

「すみません、どう反応していいのか」


 莉美がたじたじしていると、楊梅は意地悪な笑顔になりながら見つめてきた。


「とにかく手伝いたいのだ。わたしの手助けは迷惑か?」


 莉美はとんでもない、と首を左右に振った。

 だが、城主じきじきに手伝ってもらうなど恐れ多いという気持ちはある。楊梅はそれに気がついたようで、どんと自らの厚い胸元を叩いた。


「困っている臣下を助ける。城主としては当然の行いだ」

「その名目で凱泉様も納得してもらえるのなら」

「お前にとって、よっぽど凱泉は怖いらしいな」

「顔が……」


 仏頂面がひと時も崩れず、いつも怒っているように感じる。腹の底が見えない感じが、なんとも恐ろしいのだ。

 悪い人ではないというのはわかるのだが、まだ日の浅い莉美にしたら怖い。


「まあそう怖がってくれるな。それに、早く莉美に右手を制御してもらわねば困るのは、凱泉とて同じだ」


 もう化け物は生み出してほしくないと言われたくらいなのだから、凱泉もあの『顒』には肝を冷やしたに違いない。


(早く……二ヶ月……)


 莉美は言葉に引っ掛かりを覚える。


「あの、お急ぎの理由って、なにか良くない出来事が起こるとか……?」


 楊梅ははぐらかそうとしたように思う。だが、莉美が覗き込むと、一つ息を吐いた。


「それには答えられない。不確定なことを伝えて、怖がらせる必要はない」


 変に莉美に圧力をかけないようにしてくれているのだろう。莉美は「是」と頷いた。


「では、ぜひこの能力の解明にご協力をお願いいたします」


 ふと場の空気が和む。見つめ合いながら、どちらからともなく微笑みあった。


「ああ。力になろう」


 しかし、窓から差し込む陽の加減を見ると、楊梅は「不味い」と驚いた顔をした。


「すっかり長居をしてしまった。ひとまずわたしは戻る。見送りは良い」

「かしこまりました」


 楊梅が早足に小部屋を去っていくと、途端にしんと静まり返る。先ほどまで賑やかだったぶん、よりいっそう静かに思えた。

 絵に戻った魚たちはおとなしいままだ。今日の奇跡的な出来事が起きた要因を突き止めるべく、もう少しこの場に留まることにした。莉美は手袋をしていない右手をぎゅっと握りしめる。


「なんで楊梅様といると右手が疼くんだろう……」


 自分では制御ができないのに、どうして楊梅に莉美の能力を落ち着かせることができたのか。何故、絵の反応が違っているのか。


「考えているだけじゃ駄目ね。墨を摺ろう」


 気になることと検証しなくてはならないことが多すぎたが、絵が絵に戻ったというのは何よりもうれしいことだった。


 だが、その魚たちは半日を過 ぎると紙から消えてしまった。書桌に残っていたのは、真っ白になった紙だけだ。


 翌朝、その報告を莉美の小屋で聞いた楊梅が、残念がったのは言うまでもない。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る