第17話
楊梅は場所に頓着している様子はない。仕方がないので、この部屋で一番綿が入っている
すばやく炭を火鉢に入れて楊梅の近くに持っていく。こんなところに城主がいるのがあまりにも不思議で、莉美は夢なのかと自分の頬をつねったのだが、もちろんしっかり痛かったし夢ではなかった。
「先ほどは、餓鬼たちに粟を撒いていたんです」
「昨日取り逃がしたのか?」
「いえ。せっかく生まれたのに、私の身勝手によって命を奪ってしまったので」
「ああ、なるほど。それでお前は好んで化け物を描くのか」
莉美は驚いた。まさか、自分の悩みを的確に言い当てる人物が現れるとは思ってもみなかった。
「自分で生み出したものを、自分で殺さなくてはならない……まさしく苦行だな」
莉美は竈の火を調整し、薬缶を沸かし始める。
「だがそれは、餓鬼たちの運命だっただけのことだ」
「そうかもしれませんが、私がそうしたいのです。粟はしばらくすると消えます。雀が食べているのだと思いますが、それでも、私の中の気持ちが収まるので」
「まるで神だな」
楊梅の言葉の意味がわからず、莉美は「神?」と聞き返した。
「生命を創造するのも、命が尽きることも、人にはどうにもできないことであって神の領域だ。お前が行っているのは、神の所業に近い」
「本物の神様に失礼ですよ。でも、これが神の力だというのなら、なおさら早く制御しなくてはいけませんね」
「そうだな。これではお前の絵をいつまでたっても観れない」
嫌味なのかと思ったが、存外楊梅は本当に観たいらしい。大真面目な顔つきをしていた。
「今日は別の方法を試しますので、必ずご命令通りに力を安定させてみせます」
「その意気なら良い。俯いていたので、てっきりめげているかと思ったのだ」
莉美は口元がほんの少し緩んだ。
「これくらいでめげません」
「めげているなら、また雉でも持ってきてやろうかと思ったのに」
「私を狩りにお出かけする口実にしないでくださいませ」
あはは、と楊梅は笑った。
「では、今日は餓鬼以外になにを描くか決まったのか?」
茶を出そうか迷っていると楊梅が尋ねてくる。
「魚を描いてみようと思うんです。たとえ生まれたとしても人に害を及ぼさず、飛び回って逃げないでしょうから」
「それは、食べられるのか?」
「いえ、食べてみたことがあるのですが、墨の味です」
楊梅は残念そうな顔をしたが、まあそうかと納得した。
「今日はお前の絵を観にいきたい」
「駄目です!」
拒絶されるとは思っていなかったらしい楊梅は、きょとんと目を円くした。
「力が安定しないうちはいけません。楊梅様に餓鬼や魚が飛び掛かったり、墨だらけのお姿になったりしたら、私は凱泉様にきっと殺されます」
「なんだ、それは?」
「なんとなくなのですが、墨が一滴でも楊梅様のお顔に付着しようものなら、三日三晩鞭で打たれかねません」
こうでも言えば引き下がるだろう。
「そんなことになったらたぶん死にます」
凱泉が怖いのはもちろんだが、城主を墨だらけにしたら、今度は墨で遊んでいると言われるのが目に見えている。
そしてそんなことが噂されたら、おそらく本当に凱泉に睨まれることは間違いない。視線だけで人を殺しそうなのだから、勘弁だ。
莉美の表情があまりにも面白かったようで、楊梅は声を出して笑い始めた。
「凱泉は厳しいし顔が怖いと有名だが、鞭で打ったりはしない」
楊梅には、どうやら遠回しな言い回しも冗談も通じないようだ。集中できないから、来ないでくれと言った方が良かったかもしれない。
「本人には言わないでください。もちろん、ここに立ち寄ったこともです。知られたら、一刻(約三十分)はお小言をいわれてしまいそう」
「秘密にしておこう」
こうして髪を解いて笑っている楊梅の姿は、身分の違いを感じさせない。飾り気のない人柄であるのが身に沁みるほど理解できた。
だからなおさら、彼が悪く言われるのは不思議だった。
「ひとまず、わたしが墨で汚れたとしても自身の責任であると、凱泉にはよく言い聞かせておく」
たっぷり言い聞かせておいてほしいと莉美は願った。
「もう行く。そろそろ戻らねばうるさい凱泉に気づかれる」
「お気をつけて」
「あ、それと一つ。凱泉は鞭で打ったりはしないが、投げ飛ばすことはしょっちゅうだ」
莉美の血の気がさっと引いたところで、楊梅は目元を緩ませる。からかっているのだと気がつき、莉美は少しだけ口を曲げた。
見送ろうとした莉美を、寒いからと小屋の中に戻るように楊梅は促した。
「では莉美、また後ほど会おう」
「後ほどですか?」
「ああ。お前が能力を早く制御できるように、はっぱをかけに行く」
「来ないでほしいんですが……」
なんてことだと莉美が眉根を寄せると、楊梅はにやっと笑った。
「それはまあ、口実にすぎん。墨で描いた魚が動くところが見たい」
「動いたら絵ではないですし、失敗です」
「今日は特別、失敗してもよい」
悪戯っぽい笑顔になりながら、楊梅は莉美の小屋を後にした。莉美はというと、楊梅の笑顔にほだされるどころか引きつっていた。
「どうしよう! そんなこと言われたら、余計に失敗できないじゃない!」
墨で汚れた楊梅と、鬼よりも恐ろしい顔をして鞭を構える凱泉が頭の中に想像できて、莉美は生きた心地がしなかった。
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