第14話

 今日は、幸いにも青空が広がっている。虫干しをしようと書庫の窓を開けて、桐箱に入れられている書物に手を伸ばした。

 いくつか箱を開けて確認してみたが、どれもこれもきれいなままで紙魚のしの字も見当たらない。前任者がきっちり管理していたのがうかがえた。


 莉美は大きな府庫内の奥から手をつけることにした。

 書物を箱から取り出して丁寧に干す作業を始めていく。さらに掃除を終えたところで、一息つくために書物の一冊を手に取ってみた。


 達筆すぎる文字で記されているのは、どうやら兵法らしい。どのような兵糧がいいのか、どういった食べ物が野戦の時に採取できるか、兵や馬の選び方など様々だ。


「そうだ、鄧将軍って千年も前の大戦の時の武将だ」


 語り継がれているということは、それだけ大きな功績を残した人物だということでもある。

 この黄龍国と、白龍国、黒龍国の北側には、国として属していない広大な平原が広がっている。白龍国は平原とは大河で分断されているため、実質的に地続きなのは黄龍国と黒龍国だ。


 この平原から、五龍国に属さない流浪の民や遊牧民たちが攻めてくることがある。黄龍国では蛮族とひとくくりに言われている。


 ある時、この平原で一つの国が興り、豊かな土地と人を求めて黄龍国に押し入ってきたことがある。それを最前線で食い止めたのが後の大将軍鄧婁極とうろうきょくだ。


 いつの間にか莉美は書物を熟読してしまっており、慌てて顔を上げた。歴史を学ぶことは重要だが、今はそれよりも自らの力に関係ありそうな事象が書かれているものを探したほうがいい。


 なにしろ、自身の能力を制御するまでの期限がある。

 怪我を治していたこともあり、残りは一ヶ月半。急ぐに越したことはない。

 広い書庫内を歩き回りいくつもの桐箱を開けて確認していると、やっと建国時の事柄について記されている木簡にたどり着く。


「……この辺りに置いてあるのね。覚えておかなくちゃ」


 莉美はさらに数巻ほど内容を見て、建国神話について詳しく書かれている木簡を発見した。

 賢人に関する記述が書かれたものは隣に置かれていて、頭を抱えたくなるほど膨大な量だ。


「読み切る以前に、私の寿命が尽きるかも」


 きりの良いところまで仕事を終えると、莉美は書庫の奥にある小部屋に向かった。

 午前中は言われた通りの内容の仕事を、午後は力の制御方法の解明に費やすと楊梅とともに決めたからだ。

 そのことからも、莉美の力の解明に楊梅はかなり積極的であることが伺える。


(だけど、昨日は嬉しかったけど悔しかった)


 環境が変われば力を抑えられると思っていたため、胸中にあった淡い期待が立ち消えたような気持ちがぬぐえない。

 ただ、それ以上に力が役に立つだろうと言われたのは嬉しい。楊梅の言葉は、頑張る原動力になっていた。


 気を取り直して、作業がしやすいように小部屋の中を片付けた。


「やってみたいことがたくさんあるのよね……まずは、場所が変われば生まれないのか? というのをここでも試してみないと」


 必要とされている場所でなければ仙の力が安定しないのなら、家以外で描いたらどうなるのかを確かめるのは重要だ。


 現に二度、失敗している。一度目は範家の面々と泊っていた邸宅で、二度目はつい昨日の自室としてあてがわれた部屋で。どちらも『餓鬼』、『蟻』が生まれてしまっている。


 では、府庫ならばどうだろうか。


 さらに、筆や硯、墨などを変えて作業する。一つ一つ、可能性を求めてやっていくしかないのだ。

 莉美は姿勢を正して机の前に腰を下ろし、分厚い革の手袋を外した。自身の持ってきた道具を並べ、墨を磨ってみる。


 今までと違った場所で準備をしているせいか、心が浮つく感じがする。墨もいい具合に磨れたような気がした。


「さてと。虫網は用意した、入口の戸は閉めた。これで、鬼が飛び出してきても問題ないはず……よしっ!」


 紙に文鎮を乗せ、莉美はまず小さな鬼を描く。莉美はいつも描き初めにはこの『餓鬼』を描くことから始めるようにしている。


 彼らは妖怪と言えどそれほど悪さをしない。ただお腹が空いているので、粟粒でも与えれば喜んで消えるし、そもそも力がないので放っておけば自然に消滅する。

 何万回と描いているので、もはや目をつぶって描けると言っても過言ではない。莉美は半分目を閉じたまま、浸した筆先の感触を頼りに絵を描き始めた。


 しばらくすると、まっさらな紙の上に憎たらしい顔をした餓鬼が姿を現す。十五の少女が描いたとは思えない精巧な筆致と、豊かな表現力――。


 生命を宿してしまうという能力さえなければ、彼女の絵は歴史を揺るがしてもおかしくないと、母は常々口にしていた。

 莉美は見たものはほとんど生き映したように描くことができるし、想像上の生き物もまるで存在しているかのように表現できる。


 感動を呼び込む表現力と伸びやかな筆致は、今まで描かれてきたどの絵とも違う。

 莉美の絵を見たものはそのあまりの精緻さに息を呑んで驚くはずだが、母親以外に作品を見せたことのない莉美としては、他の人の反応を知る由もない。


 しかしそれは、まさしく別格と呼ぶにふさわしい。


「できた!」


 描きあがった餓鬼の絵を前に立ちあがり、用意しておいた捕虫網を手にする。


「いつ出てきてもいいわよ……墨が飛び散るのは毎回毎回嫌だけど」


 莉美の願いが届いたのか、出現する時はわりと早く現れる餓鬼は、今日はまだ姿を見せないようだ。しばらく待ち構えていたのだが、紙から生命が生まれる気配はなかった。


「……もしかして、成功!?」


 莉美は別の紙に、日付とともに試したことをさらさらと記録する。


「今日はいつもと場所が違った。時間は同じなのだし、この場所が良いのだとしたら問題はすぐに解決するかもしれない」


 莉美が浮かれていると、横からキキキキという笑い声が聞こえてきた。はっとして見ると、すぐそばで餓鬼が足を広げながらしゃがみこんで、にやついた目で莉美のことをあざ笑いはじめた。


「……あっ――!」


 そうして、餓鬼を捕まえようとした莉美が真っ黒になるまで、たいして時間はかからなかった。

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