第13話
翌日、莉美は窓を開け放ち、床の掃き掃除を行っていた。
身体を動かしているほうが、気がまぎれるというのもある。昨日は失敗と同時に自分の存在を認められた気がして嬉しくて、あまりよく眠れなかった。
与えられた麻の袍と袴はこの屋敷の中では一番簡素なものだが、今まで着ていたつぎはぎだらけの破れかぶれのものとは比べ物にならないほど贅沢だ。
おまけに朝餉と夕餉はたんまり出てくるし、
「まるで極楽ね、ここは」
戸を開け放ちながら入り口を乾拭きしていると、
彼は
見上げるような身長も、莉美を怖がらせるには十分すぎた。助けてくれたとはいえ、顔を見るたびに緊張してしまう。
「おはようございます、凱泉様」
「調子が戻ったと
「大丈夫です」
ならば良かったと凱泉は頷いた。
表向きには府庫番として雇われることとなった莉美は、本日が初の出仕日になる。乾拭きしていた布を仕舞うと、椅子に腰を下ろしていた凱泉と向き合った。
「では、本日より仕事をしてもらうわけだが、その前に」
凱泉は切れ長の目をすっと細める。
「莉美殿は、楊梅様に命を預けている身。ですから、くれぐれも主の迷惑になるようなことはしないようご注意願います」
すごまれてしまい、莉美は拳一つ分後ろに身を引いた。
「も、もちろんです」
凱泉はまさしく軍人という風体と物言いの上、さらに真顔を崩すことがない。真っすぐな性格なのはわかるが、いかんせん怖い。
「特に、この城から逃げようなどとは思わないことです」
「わかっております」
軍規が染みついている凱泉としては、まずは立場をわきまえさせるのが新人の正しい教育法のようだ。
「それから、決して目立たぬようお願い申し上げます。あなたの仙の力は、まだ誰にも知られるわけにはいきません」
「やはり本当に、仙星なのですね」
「違いありません。わたしもそう思います」
そうなると、莉美の能力を知っている範家はどうなるのだろうか。あの一件のあと、彼らはどうなったのだろう。
凱泉は莉美の胸中を読んだように「範家には金子を渡してあります」と口にした。
「金で容易に買収されてくれて助かりました。万が一外部に漏らすようなことがあれば、命はないと伝えてあります」
金子よりも、そちらの方が口留めとしては効果があっただろう。いずれにせよ、彼らが言わないでいてくれるのならありがたい。
これで、莉美が仙星であることを知るのは、実質、楊梅と凱泉のみということだ。
「それでは、府庫に案内します。鍵はわたしに必ず返すようにしてください」
道を覚えるように言われ、莉美はあちこちに視線を向けながら比較的近い場所にあった府庫に案内された。
「作業とともに、その右手の謎も解明する予定でしたね……ここに、道具と紙はいくらでもあります。好きに使って良いとのことです」
一通り書庫内のことを伝えてから、凱泉はさらに奥の小部屋に莉美を連れた。
小さな窓が一つあるだけの埃っぽい部屋だが、使って良いと言われた硯や墨は、部屋の規模からは到底考えられないほどの一級品だ。
莉美は驚愕の表情のまま、硯を持ち上げる。
「これも、本当に使って良いのですか!?」
驚いたのも無理はない。名工と呼ばれた職人の作った幻の硯が、探せばいくらでもあちこちに置いてあった。
「もちろんです。ですが、先日のような巨大な化け物を生み出すのはいけません」
「あんなことはもうしません。生み出してしまったとしても、もっと小さいものにします」
「できれば化け物の類は生みださないでほしいのですが」
凱泉は硯にはしゃぐ莉美を見ながら、大きなため息を吐いた。
「では頼みましたよ、莉美殿」
「ありがとうございます」
さっそく紙魚退治の作業に入る莉美を見届けた凱泉は、踵を返して戻っていった。
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