第9話
「お前の力を必要とする場所が、その身に巡ってこなかっただけかもしれぬ」
「そう、だったんですね……」
だとすれば、こんなことになる前に知りたかった。こんなことになる前に。だがもう遅い。
「そういう可能性もある、ということだ」
巡り逢わせのことは、誰にもわからず研究も進んでいない。
そればかりはいくら卜占師たちに聞いたところで占うことができない。巡り合わせは、神だけが唯一操れるもので、いわば運命だ。
「確実なのは、すべて天の采配ということだけだ」
「……巡り逢わせ……」
呟きながら、莉美は若旦那に言われた数々の言葉を思い出していた。
そのたびに、打たれた頬よりも胸が痛む。金のために飼っていた家畜だと、使えないのなら廃棄するまでだと。
慕っていた人からの言葉は、思い出すだけで心臓を切り裂くようだ。
「お前は良い巡り逢わせになかったのだ、莉美」
「そうですか」
そして、この先もきっとない。莉美の運命は今一番死に近い。仙星だったとして、力が安定しなければ役立たずに変わりはない。
莉美は今でこそ着けていないが、いつも装着していた硬い革をさらに漆で固めた手袋を思い出す。
「絵師として育ったのに。絵が好きでそれしか知らないというのに、絵を描くことができません。描けば人を傷つけ、街を壊す……この手のせいで……!」
振り上げた拳は、楊梅によって止められる。
「何をするのだ。
「死罪を言い渡される身です、いまさらどうしようと関係ありません」
「誰が死罪にするなどと言った」
「しかし……」
莉美は眉根を寄せた。いくら化け物の急所を伝えたからと言って、生み出した本人なのだから褒められるに値しない。
「命が惜しくはないのか?」
「母は死に、父は見たことがありません。慕っていた人ももういません。私の命を惜しがってくれる人はこの世にはいない。こんな役に立たない命など、要りません」
「そうか」
楊梅はそして、口の端を持ち上げた。
「ちょうど良い。要らないのなら、お前の命はわたしがもらう」
「何をおっしゃって……」
当たり前のように平然と言い放たれて、莉美は動揺した。柔らかな声音だが、断固として曲げない意志の強さがこもっている。
「誰も惜しまないというのなら、わたしが惜しんでやる。お前の命は、今はもうお前だけのものではなくなった。この右手も、わたしのものだ」
楊梅の指が右手に絡み、ぎゅっと手を握ってくる。彼の手は大きくて熱かった。見れば、楊梅は爽やかに微笑んでいる。
「今からお前はわたしのものだ。わかったか?」
「塵を拾って、どうなさいます」
「役に立てば良い」
訳が分からないが、莉美は頷くほかない。そもそも、城主の物言いを断ることなど、はなからできるわけがない。
しかし、楊梅の笑顔に毒気を抜かれてしまったような気分だ。
「
「えっ?」
はあ、と呆れたようにため息をつかれて、莉美は目を瞬かせてしまった。
「当たり前だ。わたしのものをわたしが操れずどうする?」
「それは、そうですが」
莉美の手から自身の指を外すと、楊梅は莉美の頭を撫でた。
「この城には大きな
紙魚退治と掃除に雇っていた書庫番が辞めてしまったので、ちょうどいいと楊梅は付け足した。
「――いくつか条件を伝えておこうか」
声を落とされて莉美は身を硬くした。
「一つ。力の制御が効かないうちは、
莉美は頷く。そもそも、仙星であるなんて、自分自身が一番疑っている。誰かに言ったら、それこそ恥をかくだろう。
「二つ。血を使って描くのは禁止」
「是」
「三つ。その能力の制御期限は、時間厳守だ。以上。あとは凱泉に任せる」
突然話を振られた凱泉は、髪の毛一本ほど眉根を寄せたように見えたが気のせいだったかもしれない。
「もし、自分で操れなかったら……?」
「その時は、わたしと一緒に死んでもらう」
さらっと言われたが、重たい響きに莉美は声を詰まらせた。
「冗談だ。失敗することを念頭に置くものじゃない」
「はい。ありがとう存じます、楊梅様」
こうして、莉美は命が助かっただけでなく衣食住までも保証されることになった。
ただし、自分の命は楊梅のものとなってしまったし、力の制御まで二ヶ月という条件が付いたのだが。
ひとまず、落ち着いて傷を治すことはできるようだ。
(仙星だなんて……そんな大そうなものなわけないじゃない)
しかし莉美の疑いの気持ちは、そのうち消し飛ぶことになる。
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