もんぶらん

島丘

もんぶらん

 アイが半年ぶりに母星に帰省したとき、既に辺りは焼け野原となっていた。


 文明は滅び生命は存在しない。破壊し尽くされた後の世界はもはや終焉しか迎える術がないようだ。


 あまりに突然のことだったので、もしや大規模なドッキリかしらとしばらくカメラを探したものである。当然、カメラどころか人間さえ見当たらなかったが。


 瓦礫の山を越え灰が積もる地面を歩き幾ばく経っただろうか。

 既に夜を迎え、街灯ひとつなくなった世界は真っ暗だ。天上には満天の星空が広がっているが、こんなときでもピカピカと誇らしげに輝いているのがたいそう腹立たしい。


 自分が今住んでる星はどこだろうかと探してみる。

 あっちだろうか、こっちだろうか。わからないなりにすることもないので一生懸命探したが、ついぞ見つけることはできなかった。


 やがて歩き疲れてその場に座り込むと、なんだかもうどうでもよくなりゴロリと背中を地につける。

 ゴツゴツと固くて、冷たくて汚い。とても人が眠れる場所とは思えなかったが、疲れていたのかすぐに意識を失った。


 夢のひとつも見ずに目覚める。昇る太陽は瓦礫の山々に光と影を平等に落とし、終わるしかない世界を見下ろしていた。


 またあてもなく歩き始めたアイは、次の日も、その次の日も歩き続けていた。

 夜がくると眠って、朝になると起きる。日中はずっと歩き続けて、ときどき休憩を挟んで、性懲りもなく生存者を探した。


 どれほど経っただろうか。近所の七階建てのマンションも、幾年前に卒業した古びた校舎も、視線を合わせてくれない先生のいる病院も、モンブランが特別おいしいケーキ屋さんもない。


 ここには自分しかいないのだ。自分だけがいるのだ。


 とうとう諦めたアイは、その夜、天を仰いで泣き喚いた。

 静かに浮かぶ月に向かって、そんなにデカくて眩しいんなら何とかしろよとがなりたてる。


 朝がくると、今度は太陽に向かって怒り散らした。そんなにデカくて眩しいんなら何とかしろよと、喉が枯れるまで叫ぶ。


 泣いて怒って叫んだアイはすっかり満足して、今度は荒廃した世界を一頻り楽しむことにした。

 家の残骸を投げ飛ばし、鉄の棒を振り回し、大声で歌って下手くそなダンスを披露した。気にする人目もない世界で、アイだけが自由だったのだ。


 楽しいはずなのに、涙がポロポロとこぼれていく。楽しい楽しいと口に出しても、実際どれほど楽しくても、一日に一度は必ず塞ぎ込んでしまう日々が続いた。


 そろそろ帰ろう。故郷も思い出も忘れて、今の生活を続けるしかない。

 アイはようやく、母星を去る覚悟を決めた。帰り道は死ぬほど退屈だった。


 生存者を探すという目的も、誰かが生きているかもしれないという希望もない。

 透明な荷物を切り離した体は身軽で、浮き輪のようにぷかぷか軽い。けれども少し時間が経てば、湧き上がる感情が重しとなって再び暗闇へと沈んでいく。


 とうとう底に辿り着くと、アイは立ち止まり、子どものように泣いた。

 重しは涙に溶かされて、心はまた海面へと浮かび上がる。そうして再び歩き出し、沈めばまた立ち止まって、海水を地上に恵んでやった。


 あともう少しで終わる。あともう少しの辛抱だ。そう自分に言い聞かせながら、朝も昼も夜も歩き続ける。


 乗ってきた一人乗りの宇宙船が遠くに見えてきた頃、アイは一冊のノートを拾った。

 まちなかひろと。歪なひらがなで書かれた名前には覚えがある。


 ろまんというケーキ屋を営んでいた夫婦がいた。二人の名字は町中まちなかで、大翔ひろとは二人の幼い子どもの名だ。


 モンブランが美味しくて、チーズケーキがいまいちだった。けれど、ひろとくんはチーズケーキが一番好きだと言っていた。

 足が早くて上の歯が抜けていた。膝をよく擦りむいていた。スキップを何度も披露して、褒めてあげると恥ずかしそうにはにかんだ。


 他愛ない思い出が溢れ出す。ひろとくんも、もうこの世界にはいないのだ。


 ノートには魚の絵が描かれていた。見たことがある。ケーキは描かないのと聞いたら、ふてくされて逃げてしまった。

 空白の目立つノートをパラパラ捲っていくと、あっという間に一番最後のページに辿り着いた。魚群から少し離れたところに、生物らしからぬ絵が描かれていた。


 下が短い台形の上に、もくもくした山が乗っかっている。頂上には太陽が上っていた。たぶん、きっと、モンブランだ。


 紙と裏表紙の間には、短い毛が挟まっていた。



「もんぶらんってなに?」


 トヒロがそう尋ねると、カシャンと何かが割れた音が聞こえた。


 見るとお皿が割れている。花柄の綺麗なお皿は、バラバラになって床に落ちていた。

 こうして見るとガラクタみたいだな、と指先でつっつく。


「危ないわよ」

「なにが?」


 何も危なくなんかないのに、どうしてそんなに慌てるのか。トヒロには不思議で堪らなかった。


 アイは時々こういうことを言う。トヒロは怪我も病気もしようがないのに、危ないからやめなさいと注意してくるのだ。

 最初は従っていたトヒロも、今はもう言うことを聞いていない。危ないものかと皿の破片を摘んで、指先ですり潰す。


「もんぶらんってなに?」


 もう一度尋ねると、アイはまた聞こえていないフリをした。箒とチリトリを手に、危ないから離れなさいと言う。

 それが気に入らなくて、トヒロは破片を投げつけた。


「いたっ」


 アイから赤色のオイルが滴り落ちる。皆とは違う不思議な色だ。

 奇妙で綺麗だから、トヒロはひっそり気に入っている。僕も同じオイルが欲しいと頼んだこともあるけれど、アイにはいつもはぐらかされていた。


「おしえてよ」


 アイの顔が歪んで、唇が震える。ちがう、と聞こえた。何が、と尋ねる前に、アイはわっと泣き出した。

 髪をぐしゃぐしゃにして頭を振り乱して、何度も何度も叫んだ。違う、違うと。こんなはずじゃなかったと。


「あんたは大翔くんじゃない!」


 アイは変なやつだ。トヒロのことをヒロトと呼び、危ない危ないと何かに怯え、誰もいないのに謝っている。

 オイルは赤色で、皮膚は柔らかい。ツルツルの目玉から流れるオイルだけが透明なのも不思議だ。


 実は学校の先生に聞いたことがある。先生曰く、アイは別の星の生物らしい。そしてトヒロは、アイが母星の人間を素材に使って生まれたと言う。

 素材には何を使ったのか気になって聞いたときも、アイは誰かに謝っていた。


「もんぶらんってなに?」


 アイが自分の部屋に大事に大事に保管しているノートを、トヒロはこっそり見たことがある。

 どれもこれも見たことがない、汚くてわけがわからないものばかりが描かれたノートだ。けれど最後のページに描かれていたもんぶらんだけは気になった。


 もんぶらん。もんぶらんって、あれ、どうして名前を知っているのだろう?

 アイの母星の文字なんて知らないのに。そもそもノートには、絵しか描かれていなかったのに。


 もんぶらんって、なんだっけ。


「ねぇ、アイ」

「……美味しいの」


 アイの両目からは透明のオイルがだらだら流れている。一度口にしたけれど、よくわからない味がした。


「チーズケーキより、美味しいのよ」


 トヒロはちーずけーきを知らない。もんぶらんもわからない。けれどどうしてか、それだけは否定したくなった。


 もんぶらんの方がおいしいよと言ってやりたかった。


 トヒロは結局言わなかった。アイがまたごめんなさいと謝り始めたからだ。こんなつもりじゃなかったのに、と。


 じゃあ、どんなつもりだったんだろう。


 トヒロはその夜、夢を見た。薄茶色のふわふわもくもくした山の夢だ。てっぺんには茶色いツヤツヤした星が乗っている。山からは甘い香りがした。かぶりつく直前に目が覚める。


 おかしいな、と自分の体をぺたぺた触る。夢なんて見ないはずなのに、匂いなんてわからないはずなのに。もんぶらんなんて、知らないはずなのに。


 考えてもわからなかったので、トヒロは再びスリープモードに入った。今度見るならちーずけーきの夢が見たいな、と目を閉じる。


 あれ、ちーずけーきって何だっけ?

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もんぶらん 島丘 @AmAiKarAi

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