【第42話】勝負に勝ったのはどちらですか?
「確かに……契約は交わしていませんが……」
「だろ? 先生、考えが甘かったな」
「……ところで阿久野さん、あれが見えますか?」
琴音先生がテニスコートの隅──出入口付近を指さした。
「ん?」
目を凝らしてみると、何かがキラリと光った。
「スマホ……か?」
「はい、そうです」そういって、琴音先生は小走りでスマホを取りにいって、戻ってきた。「ほら、見てください。さっきの試合はすべて動画で撮影させていただきました」
画面には、確かに試合がしっかりと映っていた。
「ちっ……こざかしいことを……。だが、残念だったな。あんな遠くに置いたせいで、音声までは取れてない。これじゃあ、なんの証拠にもならないな」
「いいえ」琴音先生はポケットから、もう1台のスマホを取り出した。「私、スマホ2台持ちなので」
そういってスマホの録音アプリを起動すると、琴音先生と阿久野の会話がはっきりと再生された。
『あなたが負けた場合はどうするのですか?』
『そのときは自主退学して、二度とおまえらの前には現れねえよ』
さすがの阿久野も、これには一瞬言葉を失ってしまったが、まだあきらめない。
「そ……そんな約束が通るわけねえだろ! テニスの試合に負けたぐらいで退学処分になんか、できるもんか!」
いわれてみれば、その通りかもしれない。
日本では、中学までは義務教育だ。
いくら阿久野が悪人でも、さすがにこんなアホな約束を根拠に、中学生を退学にはできないだろう。
法律には詳しくないが、仮に裁判になったとして、試合に負けたら学校を辞めるなんていう口約束が認められるとは思えない。
「………………」
さすがの琴音先生も、ついに黙り込んでしまった。
「じゃあ、俺は帰るぜ。いろいろ治療法を教えてくれてありがとうよ。もしも治ったら、あんたで試してやってもいいぜ、先生」
「……待ちなさい」
琴音先生は小さな声でつぶやいた。
「なんだよ。いい加減にあきらめな。試合には負けたが、勝負に勝ったのは俺だ」
「…………」
先生は何かをいいたそうだ。
……そうか。
そういうことか。
「先生、僕がいいます」
「! カイトさん?」
阿久野が僕をにらみつける。
「今さら、おまえに何がいえる?」
「阿久野先輩、確かにあなたを退学にすることはできないかもしれない」
「やっとわかったか」
「あなたはこの勝負に勝ったら自由がほしいといいましたね」
「ああ。それがどうした?」
「もしも僕たちとの約束を守らないと、今後はむしろ逆に、もっっっのすごく『不自由な生活』を強いられることになると思いますよ」
「なんだと? どういう意味だ!?」
「簡単なことです。もしもあなたが約束を破ったら、さっきの動画と音声をすべてネットに流します。そうなれば、あなたが最低の人間で、しかも若年性勃起不全だということが世間に広まることになります。日本中に……いや、もしかしたら世界中に」
「汚いぞ! これは脅迫だぞ!」
「そうですね。これはまさに、あなたが今までにやってきた、リベンジポルノの手法とまったく同じですね。だから、先生の代わりに僕がいいました。でも──『汚い」なんて言葉、先輩にだけはいわれたくありませんね」
「このヤロー、生意気な口をききやがって……う……うおおおおおおっ」
阿久野はいきなり、琴音先生に向かって襲いかかってきた。
しまった、油断した!
追い詰められた阿久野がとる手段なんて、ちょっと考えればわかりそうなものだったのに。
阿久野は琴音先生に向かって突進しながら、先生の右手に握られているものに手を伸ばす。
僕は必死で叫んだ。
「先生、僕に投げて!」
阿久野の腕が届くより一瞬だけ早く、琴音先生は僕に向かってスマホを投げ、僕はそれをキャッチした。
「くそっ」
まるで苦虫を噛みつぶしたような表情を作った阿久野は、琴音先生の背後に回り込んで捕まえ、懐から取り出したサバイバルナイフの刃を先生の右ほほに突きつけた。
「伊勢カイト! こいつの顔に傷をつけたくなかったら、そのスマホを俺によこせ!」
この期に及んでも、琴音先生は冷静だった。
「阿久野さん、もうやめなさい。あなたがこの学校を去れば、すべてはまるく収まります」
「うるせえっ! 指図するな! 今、主導権を握っているのは俺だ! そのスマホの音声さえ消去してしまえば、こっちのもんだ!」
確かに、阿久野のいうとおりだ。
阿久野を退学に追い込みたいのはやまやまだが、それは琴音先生の美しい顔に傷をつけてまで、というほどのことではない。
そのとき、琴音先生がつぶやいた。
「そうでしょうか?」
「ハア!? 何がだ?」
「こうしたら、主導権はこちらに移ります」
「なッ!?」
阿久野が驚いたのも無理はない。
琴音先生は、自分のほほをナイフに押しつけたのだ。
うすピンク色のほほから、たらりと鮮血が流れ落ちた。
「カイトさん!」
僕はハッとした。
動揺している場合ではない。
琴音先生は、自分を犠牲にして敵のスキを作ってくれたのだ。
では今、僕にできることは……?
「阿久野先輩、スマホ、投げますよ!」
「なにっ!?」
僕はスマホを力いっぱい、ちょうど阿久野の頭上に落ちる放物線をイメージして、空高く投げ上げた。
阿久野は琴音先生の体をロックしていた左腕をあわてて離し、スマホをキャッチしようとしている。
スマホを投げると同時にダッシュしていた僕は、琴音先生を阿久野から引き離した。
その直後、阿久野は落下してきたスマホをキャッチした。
「琴音先生、その傷……」
「たいしたことはありません。まだ若いですから、きっと二週間もすれば、すっかり消えるでしょう」
「でも、もしも消えなかったら?」
「そのときは、カイトさんに責任をとって結婚してもらおうかしら」
「えっ」
「冗談です」
そのとき、阿久野が叫んだ。
「ざれ言はやめろ! このスマホが手に入った以上。もう俺に弱みはねえ! 女子生徒の写真をばらまかれたくなかったら、おまえたちは俺の奴隷になるしかねえんだ! ふははははっ。俺の勝ちだ!」
はあああああ……。
僕は深くため息をついた。
「なんだその、あきれたようなため息は!?」
「すみません、つい。でも、残念ですが、人質がなくなった今、僕はもう怖いものなしです」
「どういう意味だ!?」
「こういう意味です」
僕は猛ダッシュして、数メートルあった阿久野との間合いを瞬時にゼロに縮めた。
「なにを──」
驚いた阿久野が急いでスマホを守ろうとするが、本気になった僕にとって、その動きはスローモーションのように見えた。
僕はスマホを取り戻すと、素早く琴音先生のそばに戻った。
「返していただきました」
「今のは何だ!? な──なんなんだ、おまえは!?」
「ちょっと運動神経がいい、ただの中学1年生です」
「くっ──くそっ……。覚えてろよ! もしも亜鉛を摂っても治らなかったら──そのときは許さん!」
阿久野はそんな捨て台詞を残して、スネオたちとともに去っていった。
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『テニスなんかにゃ興味ない!』を
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この物語は毎日更新していき、
第50話でいったん完結する予定です。
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