【第38話】助けてくれたのは誰ですか?

そのときだった。

耳鳴りと重なるようにして、鈴を転がすような美しい声が聞こえた。


たった2、3時間前に聞いたばかりなのに、なぜかなつかしい。

世界で一番、大好きな声。

琴音先生の声だった。


「何をしてるんですか!? やめなさい!」


琴音先生らしからぬ、強い口調だ。

耳鳴りがしていても、はっきりと聞こえるほどに。


僕は、今にも暗闇の底に落ちていきそうだった意識を必死でたぐり寄せる。

スネオは僕の服を脱がせるのをやめて、阿久野に駆け寄った。


「あの女、教師みたいだけど、阿久野どうする?」


「ちっ。よりによって顧問かよ」


「テニス部の顧問か? ヤバいんじゃねえの?」


「いや、問題ない。俺に任せろ」


阿久野はそういって、悠然とテニスコートの出入口に近づいた。


「これは涼咲先生、おつかれさまです」


「これはどういうことですか? とりあえず鍵を開けなさい。どうして内側から鍵がかかっているんですか?」


「おや、どうしてだろう?」


とぼけながら、阿久野は南京錠を開けた。


テニスコート出入口の南京錠は、いつもは当然、扉の外側からかけられている。

それをわざわざ内側からかけ直してあるのは、外から人が入れないようにするためか、あるいは内側の人物を閉じ込めるためだ。


いずれにせよ、本来の目的ではないのは琴音先生の目にもあきらかである。

先生は、扉が解錠されるやいなや、僕のもとに駆けてきた。


「カイトさん! 大丈夫ですか!? 何があったんですか!?」


「うぅぅ……」


返答しようにも、全身の痛みでまともに口をきけない。

僕が苦痛と格闘している間に、阿久野が答えた。


「ただのテニスの練習試合ですよ。今日はちょっと厳しくやりすぎました。すみません、先生」


「練習試合ですって? テニスで、こんなに全身傷だらけになるわけがないでしょう! そもそも阿久野さんは退部になったはずですよね。それに、そこにいる、あなたたちは誰ですか? この学校の生徒じゃありませんね?」


そう問われても、スネオたちは半笑いを浮かべるだけである。

僕は痛みに耐え、なんとか上半身を起こした。


「琴音先生……僕は……なんとか大丈夫です」


「カイトさん! 無理にしゃべらなくていいです。これは彼の復讐なんですね?」


無言でうなずく。


「わかりました」


僕のうなずきだけで、琴音先生は、いま起きていることのすべてを悟ったようだった。

すっくと立ち上がると、毅然きぜんとした口調でいった。


「できれば警察ざたにはしたくありませんでしたが、ここまでエスカレートしてしまっては──仕方がありませんね」


琴音先生が、スカートのポケットからスマートフォンを取り出す。

すると、すかさず阿久野も同じようにズボンのポケットからスマホを取り出した。


「先生、110番するつもりかい? だったら、こっちにも考えがある。今までに撮りためた画像を全部、ネットにばらまいてやる」


「! なんて卑怯な……!」


「どうする先生? そのスマホをポケットに戻すのか、かわいい女子生徒たちのエロ画像をばらまくのか?」


琴音先生は、ふるえる手でスマホをポケットに戻した。


「いい子だ、先生」


阿久野をにらみつけ、琴音先生は怒り心頭の表情でいった。


「もはや部を去ったとはいえ、あなたは名門と呼ばれるわが校テニス部のレギュラー選手だったのでしょう。テニスは正々堂々と戦う、紳士淑女しゅくじょのスポーツ。そんな卑怯ひきょうな手を使って、恥ずかしくないのですか?」


阿久野はフン、と鼻で笑いながら答えた。


「べつに。そもそもテニスなんて、ぜんぜん紳士淑女のスポーツなんかじゃねえよ。どうしても勝ちたい相手には、試合の前の日にちょっとケガをしてもらったこともある。選手本人がアウトかインかを判定する、セルフジャッジっていうのも、いいルールだよな。きわどいボールは全部アウトにしてやったよ。どんな汚い手を使っても、勝てばOK。それがテニスだ!」


「あなたという人は……。テニスプレーヤーの風上にも置けない人ですね。いいでしょう。ならば、今回はどんな汚い手を使っても結構です。テニスで勝負しましょう」


「はあ? あんたと? あんた、テニスの経験あるのか? っていうかよォ、今の状況わかってんの先生? エロ画像はこっちの手の中にあるんだぞ。俺が戦う理由なんて、何もねえよ」


「そうでしょうか? さっきはちょっと考えてしまいましたけど、よくよく考えたら、そんな画像、私には関係ありません」


「なんだと? どういう意味だ?」


「ネットにばらまきたければ、どうぞやってください。じゃあ、警察を呼びますね」


琴音先生は再びスマホを取り出した。


「ちっ、開き直りやがったな!」


僕にはわかる。

ハッタリだ。

今の琴音先生の言葉は、絶対に本心ではない。


しかし、阿久野は琴音先生をよく知らない。


いや、僕だって、そこまでよく知っているわけではないのだが……少なくとも、今のがハッタリで、琴音先生が誰よりも生徒思いの先生だってことぐらいは、よく知っている。


「もしもし、警察ですか?」


「わかった! やめろ!」


琴音先生はコクリとうなずいて、スマホをポケットに収めた。


「では、勝負を受けてくれますね?」


「ちっ……。いいだろう。だが、勝った場合には、それなりの報酬をもらうぞ」


僕はゴクリとつばを飲み込んだ。

きっと阿久野はまた、琴音先生にアレを要求してくるに違いない。

こいつは、そういうやつだ。


アレとは、もちろん──セックスだ。


♪∽♪∝♪——————♪∽♪∝♪


『テニスなんかにゃ興味ない!』を

お読みいただいてありがとうございます。


この物語は毎日更新していき、

第50話でいったん完結する予定です。


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