【第26話】『うつ病』を克服する鍵は何ですか?

小古呂さん、ちゃんと覚えていてくれたんだ。

彼女が取り出したのは、僕が渡したレシートだった。


小古呂さんはレシートを開き、裏に書かれている文章を読んでいる。

あれは、あのとき僕が思いついた、たった1つのアイデアだった。


頼む、効いてくれ……!

僕は目を閉じて祈った。


そのとき、琴音先生の声がした。


「小古呂さん、笑ってる……?」


その声に、はっと目を開く。


「えっ?」

「本当だ!」

「笑ってる……」


新菜と三太郎、そして長内さんも、小古呂さんの様子に驚いていた。


小古呂さんが微笑んでいる。

僕は拳を握りしめた。

こんなにうれしい気持ちは久しぶりだ。


そのあとの試合は、小古呂さんの一人舞台だった。

サービスエースとリターンエースの山を築き、ほとんど相手にボールを触らせないで逆転勝ちしてしまった。


「琴音先生がいったとおりの天才少女ですね」


「そ、そうね……。でもカイトさん、どうして終盤になって、小古呂さんは調子を上げることができたのかしら。あのとき、何かを見て、そして微笑んで……。そしたら、まるで別人みたいに動きがよくなって……」


それを聞いて、思い出したように長内さんがいった。


「さっき、小古呂さんとの別れ際に、伊勢君が何かを渡していたように見えたの。小古呂さんが試合中に読んでいた紙は、ひょっとして、あのときの?」


見られていたのか。

まあ、隠すほどのことではないから、種明かしをしてしまおう。


「うん、そう。もしかしたら効くかもしれないと思って、試合前に渡したんだ」


「何を書いたの?」


「長内さん、笑わないでね。いや、むしろ笑ってくれたほうがいいんだけど。書いたのは、ただのジョークなんだ」


「ジョーク? ジョークを書いて渡したの?」


「うん。小古呂さんって、いつも無表情でしょ。でも、ふと笑った瞬間があって、そのとき僕には、うつ状態から抜けているように思えたんだ。だから、落ち込んだときに笑わせてあげることができれば、もしかして……みたいなことを考えたんだ」


すると、琴音先生が目を丸くした。


「カイト君、その通りよ。笑うっていうのは、人間として、ごくふつうのことだと思うでしょう。でも、うつ状態の人は、それができないの。しかもテニスでは、適度な緊張と適度なリラックスのバランスがとても大切なの。だからプロ選手の中には、ボールを打つ瞬間に、わざと口元をゆるませて、意図的に笑顔を作る選手もいるわ。でも……あの小古呂さんを笑わせるなんて、いったいどんなジョークを書いたの?」


「え……。それ、いわないといけませんか?」


「先生は興味あるわ。ぜひ教えてほしいです」


「はあ……。『僕と結婚してください』って」


「えっ!? なにそれ!?」


その場にいた、みんなの顔がぱっと明るくなった。


「ぷははっ。カイトにしちゃ、なかなか上出来のジョークだぜ」


「ありがと。三太郎にほめられたのは人生初のような気がするよ」


僕たちが観客席で談笑していると、そこに小古呂さんが現れた。


「ありがとう! えっと……伊勢カイト君」


「いいえ。僕もあんなに効くとは思っていませんでした」


それが僕の正直な気持ちだ。

しかし、なぜか小古呂さんはきょとんとしていた。


「効く? 何のこと?」


「レシートの裏に書いた、あれのことです」


「ああ……うん。びっくりしたけど、とても……うれしかった」


「うれしかった???」


「もちろん」


「ええっと……???」


あれは僕なりの渾身のジョークだったのだが、なんだか話が噛み合っていないような気がする。


……待てよ。

レシートには「結婚してください」と書かれていて、それが「うれしい」ということは、小古呂さんはその言葉を「結婚したいぐらい、あなたの大ファンです」というふうに解釈したのかもしれない。


それなら、「うれしい」という言葉も理解できる。

試合中に笑っていたのは、ジョークにウケて笑ったのではなく、うれしくて笑っていたということか。


小古呂さんは、試合の熱気が残っていることもあって、ほおをほんのりとピンク色に染めていった。


「まだ結婚のことなんて考えていなかったけど、真剣に考えてみますね」


「え……ええっ!?」


まずい!

この状況は想定していなかった。

まさか中1の男から「結婚してください」といわれて本気にする人がいるとは!


だが、その言葉を真剣に受けとめて、恥ずかしそうに頬を赤らめている女性に、今さら「ジョークだよ」なんて、とてもいえない。


あまつさえ彼女は「うつ病」なのだ。

もしもジョークだなんて知ったら、どれほど傷つけてしまうだろうか。


八方ふさがりの状況に苦しんでいると、口を開いたのは新菜だった。


「もしかして小古呂さん、本気であのジョー……」


「しっ」


あっぶねえ!

僕は必死で新菜の口をふさいだ。


「僕たち、用事があるのでもう行きます! 2回戦もがんばってください! さあみんな、帰ろう!」


無理やり小古呂さんに別れを告げ、僕たちは有明テニスの森をあとにした。

帰途についた僕たちの背後を、何者かの影がぴったりとついてきていたことには、誰一人まったく気づかずに。


♪∽♪∝♪——————♪∽♪∝♪


『テニスなんかにゃ興味ない!』を

お読みいただいてありがとうございます。


この物語は毎日更新していき、

第50話でいったん完結する予定です。


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