【第2話】性教育って何ですか?

保健体育の授業のしょっぱな。

琴音先生は、またしても無言で、黒板にこう書いた。


性交


避妊


中絶


マスターベーション


包茎


「うひょー!!!」

「待ってました!」

「これぞ保健体育の醍醐味だいごみ!!!」


男子生徒しかいない1年C組の教室は、今日イチの盛り上がりを見せていた。


この5つの単語は、すでに思春期を迎えた者にとっては、おそらく常識なのだろう。

どれも見たことはある気がするものの、僕はほとんど意味がわからない。


琴音先生は、そんな盛り上がりをよそに、またしても冷静に話し始めた。


性交せいこう避妊避妊、マスターベーション、包茎ほうけい……。これらの言葉は、実は本来、授業では使えません。学校指導要領にないものは、取り扱えないのです。でも、これらの言葉はすべて、あなたたちが生きていくうえで、絶対に知る必要がある言葉です。だから先生は、こうした言葉を遠慮なく使っていくつもりです。反対意見のある人はいますか?」


「「「異議なーーーーし!」」」


おお、この先生、いきなり生徒たちの心を──いや、下心をつかんだ。


「ありがとうございます。すでにお気づきかもしれませんが、私はみなさんの持っている保健体育の教科書の内容を、完全に逸脱いつだつして授業を進めます。ですから、性教育以外のページについては、ご自分で勉強してください」


ものすごい割り切り方だ。

公立中学って、もっと教科書にガッチリ準拠して授業が進んでいくものだと思っていた。


そのとき、また三太郎が手をあげた。

いやな予感がする。


「ということは、先生! 授業では、セックスのやり方も教えてもらえるんですか?」


どよどよどよ。

ざわざわざわ。


この質問には、さすがに教室が揺れた。

だけど、やっぱり琴音先生は冷静だった。


「さっきもいいましたが、文部科学省が作った学習指導要領の中には『はどめ規定』があり、性行為については取り扱わないことになっています。そんなことを授業で教えたら、おそらく学校にクレームを入れてくる保護者もいるでしょう」


「そっかあ……そりゃそうだよなあ。残念」


本気で残念がっている三太郎に、琴音先生は力強くいった。


「セックスの話は、子どもにこそ必要な、とても大切な知識です。そんなこともわからないで苦情をいってくる、ごく一部の保護者のために、必要な性教育を自粛するなんて、それこそバカげていると思いませんか?」


「じゃあ……もしかして、先生?」


「はい、三太郎さん。私の授業では──もちろん、教えるつもりです」


「マジですか先生! やったーーーーーーー!」


「宇和さん、喜ぶのは早いです」


「へ?」


「世の中には、あなたのように、『性教育』イコール『セックスの話』だと誤解している人が多いようです」


「なっ!? えええええっ!? 違うんですか!?」


三太郎、驚きすぎだ。


「はい、『性教育』イコール『セックス』ではありません。性教育は、体のしくみを学ぶ健康教育であり、性のトラブルから身を守る安全教育であり、人との関わり方を深く考える人権教育でもあります。セックスの話は、その中の一部にすぎません」


「はあ……」


「理解できないようですね。でも、心配いりません。そのために私たち教師がいるのですから。今日から私と一緒に、ゆっくり性について学んでいきましょう。性行為に至る前に、あなたたちが学ぶべきことはたくさんあります」


   *


琴音先生の就任初日の授業は、性教育の意味について知るマジメな内容だったが、琴音先生がものすごく可愛いこともあり、また、ときおり飛び出す三太郎のセクハラ質問が生徒たちの刺激になったりもして、終始とても盛り上がった。


「今日は午前授業だったよな。カイト、帰ろうぜ」


「うん。しかし三太郎、よく物怖ものおじしないで、あんなアホな質問ばっかりできるな。軽蔑けいべつを通り越して、むしろ尊敬するよ」


「琴音先生の授業なら俺、テストで満点とれるかもしれん。俺、テニス部に入ろうかな」


「テニス部? ……ああ、そういえば琴音先生、硬式テニス部の顧問になったっていってたな。でも三太郎、おまえテニスなんかやったことないだろ」


「そこが問題なんだ。どうしようかな。っつーか、俺はテニスの指導よりむしろ、早く先生のセックス指導を受けたいぜ~」


「おい三太郎、女子が戻ってきたぞ。こんな会話、新菜に聞かれたら何をいわれるか」


新菜というのは、クラス委員長の浜尾はまお新菜にいなのことである。

小学1年生からの知り合いなので、三太郎以上に付き合いが長い、幼なじみだ。


小学校では、僕と新菜が付き合ってるというウワサが流れるぐらいに、よく一緒に遊んだものだが、なぜか5年生の最後あたりから新菜が急によそよそしくなり、やがて遊ばなくなってしまった。


「あんたたち、中学生になってもまだ男同士でつるんでるの? 子っどもねえ」


そうそう、いつもこんな感じで僕たちをバカにする。

まるで自分だけが大人になったみたいに。


そして、これにツッコミを入れるのは、もちろん三太郎だ。

自他ともに認める女好きの三太郎だが、新菜とは馬が合わないようで、いつも口ゲンカばかりしている。


新菜はよくハーフと間違われるぐらい目鼻立ちの整った美人だし、スリムなモデル体型だし、女の子としてはかなり魅力的だと思うのだが。


「うるせーよ! おまえなんか高慢すぎて、友だちもいないくせに!」


「おあいにくさま。私は友だちなんか、いらないもん。だって、彼氏がいるし」


「えっ?」

「えっ?」


いつものように新菜のケンカ相手は三太郎に任せておくつもりだったが、さすがにこれには僕も反応してしまった。


「新菜、彼氏できたの?」


「うん、ついさっきね。2時間目の休み時間に、先輩に告られたの」


「先輩って誰?」


「あれ? 珍しくカイトが興味あるの? こういう話、カイトはぜんぜん興味ないのかと思ってたわ」


誰にもいったことはないが、実は僕の初恋相手は新菜だ。

小学校の入学式で初めて出会った新菜は白いワンピースを着ていて、まるで本物の天使みたいだった。


今も、彼女への淡い想いは残っている。

他の誰が誰と付き合おうと興味はないが、新菜は別だ。


「いちおう、新菜とは幼なじみだし、な」


「ああ……そっか。……相手はね、3年生の阿久野あくの晃司こうじさんっていうの。休み時間に階段ですれ違ったときに目が合って、いきなり壁ドンされて『キミに惚れた』っていわれたの。ああ……今思い出してもドキドキしちゃう」


「……。それで、付き合うことになったの?」


「うん。彼、テニス部のレギュラー選手なんだけど、『キミが彼女になってくれたら、今度の試合に勝てる気がするんだ』だって。イケメンにそこまでいわれたら、断れないじゃない」


「そういうもんかな。でも、よかったね。彼氏ができて(棒読み)」


「ええ。だから、これからテニス部の顧問に入部届を出しに行くの。軟式じゃなくて硬式のテニス部がある公立中って珍しいらしいわよ。カイトも入ったら?」


「遠慮しとくよ。僕、テニスは興味ないし。でも、もしかしたら三太郎は入るかもね」


「えっ? なんで三太郎が? やめてよね!」


「なんでだよ! 誰にだって、テニスぐらいやる権利あるだろ!」


「ないわ。テニスは下品な人間はやっちゃいけないの。法律で決まってるの」


「そんな法律あるか!」


叫ぶ三太郎を「フフッ」と鼻で笑って、新菜はくるりと僕たちに背を向けた。


その拍子に、短いスカートがヒラヒラッと舞って、白いパンツがチラリと見えたのでドキッとした。


三太郎にも見えたみたいで、両手で股間を押さえている。


「カイト、今の見たか? あの高飛車女のパンツでも、ちょっとはムラムラしちゃうな」


ああ、なるほど。

この感覚が「ムラムラ」なのか……。

ようやく少し理解できた、中学校生活の1日目であった。


♪∽♪∝♪——————♪∽♪∝♪


『テニスなんかにゃ興味ない!』を

お読みいただいてありがとうございます。


この物語は毎日更新していき、

第50話でいったん完結する予定です。


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