俺は床に広げられた仮装衣装に向かってあごをしゃくる。


「それを着ろと?」


 俺が問うと、三田はパッと顔を輝かせた。まさに、えさを皿に盛って差し出したときの豆柴そのものである。最近髪色が抜けて明るくなってきたこともまた、豆柴らしさに拍車をかけている。

 馬鹿で、単純すぎる。でも、豆柴はかわいい。


「そう、俺たち3人でサンタとトナカイになったら面白いんじゃないかと思って」


 赤と白のサンタ服上下・帽子・付けひげが1セット。茶色のトナカイのつなぎが2着。

 状態は悪くないが、新品ではなさそうだ。


「それ、三田が買ったの」


 中井の問いに、三田はゆっくりと首を横に振る。


「ううん、もらった」


 中井は鼻で笑う。


「体よく押しつけられたわけだね」

「中井」


 俺は押し殺した低い声で制するも、案の定、三田は傷ついたようだった。

 

「わざわざ伝えることはないだろう」


 俺の言葉に、中井は「へえ」と感心したように目を丸くしてみせた。


「やっぱり君は優しいや」

「あのなあ」

「優しくて、甘すぎる」


 ***


「僕は自分の外見に自信があるし、スポーツ万能だし高学歴だ。おまけに中井物産の社長の息子とまできている。これ以上ないくらい完璧な男だろ」


 中井がそう言っていたのは、新興宗教かNPOだかの皮をかぶった詐欺グループを豚箱に突っ込んだ夜のことだった。

 どう逆立ちをしても三田がだまされているとしか思えなかった俺は、三田を説得して学内相談所やら交番やらに連れて行った。教務は忙しかったのか相手にされず、交番ではタチの悪い冗談だと思われ追い返された。たかが並の大学生にすぎない俺と、馬鹿なぼんぼんだけでは所詮そんなものらしい。

 

 なんで三田みたいに馬鹿で優しいやつがこんな目に遭わないといけないんだよ。


 不安そうに「やっぱり気のせいだよ」としょぼくれた豆柴を横に、俺が世間を恨みながら空を見上げていたところに通りがかったのが中井である。当時、俺は中井のことを比較的のまともそうな三田の友人としか思っていなかったが、その認識は改める必要があった。もちろん、今ではただのいかれた野郎だと思っている。


 家の顧問弁護士だか知り合いの警察の重役だか知らないが、金と人脈を駆使して詐欺グループを一瞬で潰した中井は、床で丸まって眠る三田にタオルケットをかけてやりながら続ける。


「事実だからね。でも僕は自分がクズ人間だとも理解している。仮に今、君を殺さないと僕が殺されるようなことになれば、僕は躊躇なく自分が助かる道を選ぶね」


 どんな仮定だよ。


「いやだなあ、そんな怖い顔をしないでくれよ。たらればの話じゃないか。あくまでも僕がクズ人間だっていう話だよ」


 中井は俺たちの真ん中で寝息を立てる男に一瞬目をやると、洗剤のCMに出演できそうな爽やかな顔で快活に笑う。


 CMは演技だ。企業から金をもらった役者が、商品の魅力をアピールするために演技をしている。役者がその洗剤を家で使っているかどうかなんて、1ミリも関係がない。


 でも俺は中井に聞いてみたくなった。


「じゃあ、三田のことなんて助けなければ良かっただろう。お前も知っているはずだ。あいつは三田忠の社長の息子。いずれお前の敵になる」


 中井はすっと目を細めると、暗い窓の外に目をやった。


「三田は馬鹿だからね。次男だし出来が悪くて疎まれているみたいだから会社を継ぐことはまあないだろうけどね」


 三田が馬鹿なのは間違いない。


 絶対に踏み倒されることが目に見えている金を他のやつにほいほい貸すし、明らかに詐欺とわかる街頭募金に諭吉を数枚入れようとするし、新幹線の自由席に立っている知らない婆さんにグリーン席をタダで譲る。この間は具合が悪い人を介抱しているうちに、財布がなくなったと言っていた。


 マジで馬鹿すぎる。

 馬鹿すぎて、馬鹿すぎて、腹が立つ。


「でも万が一のこともあるからね。今のうちに恩を売っておこうと思ってね。これで僕たちの会社は安泰」


 中井はそれまでと変わらぬ洗剤CMの笑みで言い放った。


 だが、俺はそれが作り物の台詞だと知っている。

 俺はその後中井と酒を飲み交わした。中井を潰すのは骨が折れた。そろそろ俺も限界を迎え吐き気を感じ始めたとき、中井は言っていた。


「自分にない輝きを持っている友人ってさ、まぶしくてたまらないんだよ。三田にはそのままでいてほしいんだよ」


 俺がそれに対してどう答えたかは覚えていない。中井は翌朝には何事もなかったように澄ました顔をしていたし、俺は頭痛がひどかった。でもそれ以来、中井との距離はわずかに縮まったように思う。

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