ティナのトラウマ?
属領となった元帝国の二領の東に隣接するベールゴミ辺境伯領、そこの領主館で情報収集を行っていたドローンから得た情報の扱いに、アルは悩んでいた。
その情報は、お家騒動。
辺境伯家の現在の当主は、前当主の弟。
十二年前に前当主が急逝したため、幼い継嗣に代わって継嗣の叔父が中継ぎで領主となっていた。
継嗣は次期辺境伯となるべく帝都で勉学に励んでいたが、成人を迎えたために爵位を受け継ごうと、叔父に共に登城することを求めた。
ところが叔父は、すでに自分の子を継嗣として届け出ており、皇帝にも認められていると返事をして来たのだ。
自分が帝都で勉強している間、叔父が辺境伯領を治めてくれていると感謝していた元継嗣は、この時初めて叔父の裏切りに気付いた。
慌てて亡父の元部下たちに手紙を出すも、その多くは叔父に懐柔されていて、叔父を支持するとの返事を寄こした。
元部下たちが心変わりした原因は、元継嗣が十二年間も辺境伯領に帰らなかったためだ。
だが、これも叔父の策略だった。
最初何年かは長距離移動での幼い継嗣への負担を理由に帰郷を断念させ、身体が出来上がって来ると、途中経路の治安悪化やスタンピードの予兆、災害による街道の復旧遅れなどを理由にして断っていた。
すべて、元継嗣を気遣うそぶりで。
もしこのことをティナが聞いていたら『多分最初に帝都に行く時も、わざと悪路選んだり、盗賊に情報流してるかもね。頑固な忠臣をお供に付けて、継嗣が死ねばラッキーで、頑固な忠臣が減るだけでも儲けものなんじゃない? 継嗣に長旅の過酷さを植え付けられるし』とか言っただろう。
裏切られたと知った元継嗣とその側近たちは帝都で怒り狂い、さんざん故郷の叔父を罵ったっことで帰郷しなかった理由をアルは知ったが、領主という職務への適性を考えると、アルはどちらが良いのか判断が付かなかった。
叔父が元継嗣を騙して爵位を簒奪したことは、叔父が一方的に悪い。
だが、元継嗣も、成長するにつれて帝都で貴族の悪い面や計略的な行動を見てきたはずだ。なにせ帝都では、汚職や策謀による他者排除が横行しているのだから。
爵位を簒奪された元継嗣やその側近たちは完全に被害者だが、叔父を信じ切って故郷の状況を全く把握していなかったことは、いずれ一家の長になる継嗣として、その継嗣を支えていく家臣としての資質に問題があるのではないだろうか。
現状では叔父である現辺境伯が家臣も兵も財産すらも掌握しているため、元継嗣が爵位を取り返す見込みはほぼ無い。
だが、ティナが元継嗣に味方すれば、爵位の奪還はなるだろうし妖精王国への臣従も期待出来る。
しかし叔父に付いた家臣たちを処分すれば、その後の統治は困難を極めるだろう。なにせ元継嗣は、故郷の運営を全く把握出来ていないのだから。
この件を報告してティナが元継嗣側に付いた場合、またティナは忙しくなってしまう。
ティナはスローライフをしている方が幸せそうだと感じているアルにとっては、報告を躊躇する大きな理由になっていた。
そしてもうひとつ、アルが報告をためらう理由があった。
その辺境伯領には、ティナが居た修道院があるのだ。
新たな属領となった場所の隣接領ということで、アルは辺境伯領の情報収集密度を上げていた。
これは、ドローンを防衛戦力として待機させておくだけではもったいないからと、小型ドローンの展開範囲内にある領の情報収集をさせたからだ。
その結果、例の修道院は現辺境伯が建設許可を出し、帝国内の貴族から処分したい者を受け入れることでかなりの金額を得ていることが分かった。
貴族家としては、家から犯罪者を出してしまうと家名に傷が付く。
そのため犯罪を犯した者が近親者にいると、罪を訴えて司法に判断を委ねることはせず、素行不良で修道院に送ったとして処分していた。
ティナのように、なんら罪も無くあの修道院に送られる者は少数派だ。
ティナが死に対する感情を摩滅させるほど死者が多かったのは、あの修道院が犯罪を犯した貴族女性の処分場となっていたからだった。
そしてティナは、あの修道院に対して深く考えることをしない。
本来のティナの性格なら、ティナと同じような境遇の少女があの修道院で殺されることなど許さず、アルに修道院の監視を命じるはずだ。
ところがティナは、あの修道院に対して積極的に何かをすることは無く、まるで処理が終わった場所のように、アルが話題にしなければ忘れているような反応をする。
たとえ話題に上っても、いつもさらっと流してしまうのだ。
アルの分析では、肉体的・精神的トラウマを忘れようとする、心の防御反応の可能性が高い。
今回辺境伯領に関われば、現辺境伯が修道院に処分対象者を斡旋している事実を知ることになる。
果たしてそれは、ティナのトラウマを刺激することにならないだろうか。
普段のティナは修道院の事を忘れているから、ティナが修道院に対して詳細に分析力を発揮することは無い。
だがティナが辺境伯家に関われば、ティナは持ち前の分析力や計画性を発揮して事に当たるだろう。
その時、ティナ自身があの修道院に関わることを無意識に避けていたために、阻止出来るはずだった犠牲者の存在に気付くのではないか。
ティナは子どもを助ける目的でついでに大人を救うことはあっても、見ず知らずの大人を助けることを目的として動いたことは無い。
だが、見ず知らずの子どもを助けるためには、積極的に動く。
そんなティナが、自分があらかじめ行動しなかったことで罪の無い子どもの犠牲者が出ていたと気付けば、深く傷ついてしまうだろう。
未来予測、ティナの行動原理分析、人の感情分析のデータを蓄積してきたアルはその可能性に初めて気付き、修道院を継続調査していなかったことを、深く後悔した。
慌てて修道院に派遣した小型ドローンの映像では、未成年の存在は確認出来なかった。
ティナの行動拠点がシュタインベルクに移ってから修道院の監視を外したが、その後四年ほどの間に、子どもの犠牲者がいたかどうかは詳しく追跡調査をしなければ分からない。
データ不足でティナの精神的ダメージを算出出来なくなったアルは、シュタインベルクやバンハイム共和国に展開していた小型ドローンの25%と医療ポットを乗せた小型ローバー二機、ティナとアルフレート移動用のクール君二機、はつため君一機の緊急投入を決め、情報収集に注力した。
今まで帝国方面にこれらの機材を振り分けなかったのは、単にエネルギーコストの問題。
小型ドローンを減らした地域では、中型や大型のドローンの稼働率アップで屋外情報収集や治安維持は可能だし、足の遅さはクール君に乗せてカバーできる。
クール君は移動速度が速いため、ティナが必要としたら呼び戻せばいい。
医療ポットを乗せた小型ローバーは、ほぼ使われていない。
はつため君一機も、新たな属領に建設した充電塔が利用出来るようになったので浮いてくる。
これらすべては、エネルギーコスト増大を無視するなら、運用方法を変更しても問題は無い。
ティナの精神負荷増大の可能性、その顕在確率さえ演算出来ないままに、かなりの戦力を投入した過保護なアルだった。
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