兵の農民化と食料増産
「伯爵閣下、移住する兵の最終送り出し、完了いたしました」
「そうか、ご苦労。だが、伯爵閣下呼びは何とかならんか。どうにも慣れん」
「慣れていただかねば困ります。あなたは首都の、いえ、東都の代官なのですから」
「…私は元は平民だぞ。しかも圧政に反逆して、王族や貴族を殺した軍人だ」
「東都の民や兵にとっては、閣下は救世主なのです。今もバンハイムが王国のままだったら、いったいどれほどの餓死者を出したことか」
「救世主は無いだろう。バンハイム共和国を妖精王国に売った売国奴と言われた方が、はるかに気が楽だ」
「今の東都の状況を見れば、妖精王国への臣従が正解だったと誰もが思っていますよ。ほとんどの者が国の将来を見通せぬ中で、閣下だけが熱心に妖精王国への臣従を説かれました。閣下の先見の明が、バンハイム共和国の民を救ったのです」
「他力本願で、身売りしたのにか?」
「この地に住む者の大半は、国名などどうでも良いのです。飢えず、貴族の横暴や魔獣の脅威に怯えない豊かな生活が出来ているのですから、民は万々歳です。その証拠に、東都は笑顔で溢れていますよ」
「戦友たちに移住や転職を強いたのにか?」
「妖精王国の庇護でランダン王国の脅威はほぼ無くなり、兵は食料を浪費するばかりでした。兵士側からすれば、働かずに食事をするのは、かなり心苦しいのですよ。なにせ兵のほとんどが平民で、子ども時代から働いて粗食を得ていた者たちですから。しかも移民先はかなりの厚遇で迎えてくれますから、よろこんで移動して行きましたよ」
「妖精王国、私が思っていた以上にすごい国だったな。平然と何万人もの食料を融通出来、住居付きで甜菜や綿花の育成方法を指導してくれ、森での魔獣討伐には死与虎すら倒せる機械妖精がサポートに就く。呆れるほどの厚遇だ」
「東都内や街道でも機械妖精たちが悪人や魔獣から民を守り、これまでに経験したことのない治安の良さ。学舎というもので食事まで提供して子どもたちに文字や算術を教え、親は子に習う始末。しかも税負担が三割しかありませんから、これこそが国の在り方なのだと教えられているようです」
「そうだな。だが、一番驚異的なのはホーエンツォレルン公爵だ。スタンピードの折に見せた驚異的な戦闘力を持ちながら、映像で話すたびに感じる深い思考力と洞察力。その上であの性根の良さだ。あの愛らしく小さなお身体の中に、いったいどれほどの能力が詰め込まれているのやら。対応するこちらが、同じ人族として恥ずかしくなるほどだ」
「私も数回映像会談に同席しましたが、あの方は本当に人なのでしょうか? 実は天使でしたとでも言われた方が、よっぽど納得出来てしまいます」
「そうだな。それに補佐のアルフレート殿もすごいぞ。計算能力や瞬時の判断力などが、ずば抜けている。もし敵側の指揮官だったらと思うと、勝てるイメージが全く湧かん」
「噂によれば、自治領のシュタインベルク侯爵も、少女でありながら大人顔負けの思考をなさるとか。妖精王国に深く関わると、頭が良くなるのでしょうか?」
「止めってくれ。軍の情報分析官であるお前が言うと、冗談に聞こえんぞ」
「失礼しました。確証が無いのに、なぜかそう思えて仕方無いのです」
「まあよい。非才の我々は、せいぜい頑張るしか無いからな」
「閣下が非才って、他領の代官たちが泣きますよ」
「…他領の代官たちと話して安心感を覚える私は、多分非才だぞ。国のトップを務められるのは、ホーエンツォレルン公爵のようなお方だろう」
「…和平条約すら結んでいないランダン王国に、ちょっと同情してしまいます」
「通商条約も、ランダン王国が申し出て来るまではだんまりだそうだ。砂糖と綿製品が欲しいランダン王国は、下手に出て条約を申し入れて来るはず。バンハイム王国時代にランダン王国に売っていた小麦の額より、よほど大きな収入を得ることになるだろうな」
「王国東部を占領されたのに、戦争もせずに以前より収益を上げるわけですね。西部での甜菜と綿花の栽培は、その準備ですか。どこまで深く考えられているのでしょう。怖くなってきましたよ」
「いや、バンハイム全体が妖精王国に臣従したのは予想外だったはずだ。本来はバンハイム共和国が販売先だったのではないか?」
「…バンハイム全体が臣従したために、国内だけでなくランダン王国に売る分が必要になった。そのためにここで余っていた兵を栽培に使い、原料を増産。シュタインベルクは加工の人材を難民でカバーして増産体制を確保。状況や人をこれほどうまく活用されては、軍の戦略家が真っ青ですよ」
「共和国の代表から東都の代官になって、私は安堵しているよ」
「閣下が国の代表を退いても安堵出来るほどのホーエンツォレルン公爵の能力…。さらにランダン王国に同情したくなりました」
「単なる勘だが、同情の必要は無いだろう。おそらく双方に利が出る形で交渉されるのではないかな」
「……それが出来てしまいそうなところが怖いです」
「伯爵閣下や救世主などと呼ばれたくない気持ち、少しは理解出来たか?」
「…上がすご過ぎると、重すぎる異名は恥ずかしくなりますね。ですが閣下は、閣下なりに誇れる業績を残されています。伯爵閣下と呼んでも差し支えないかと」
「…まあ、救世主よりかはだいぶましだな」
「では、これからも伯爵閣下で」
「……仕方ないか」
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