第14話 月光
噂の令嬢は、天頂に登りつつある月が見守るなか、針仕事に勤しんでいた。
他の針子は寝に行ったのだろう。彼女一人きりだ。ルイはその後ろ姿を見つめた。
(なるほど、確かに月の光のようだ)
プラチナブロンドの髪が月光を跳ね返し、光っていた。まるで、それ自体が月の光かのように。もう忘れようと思っていた記憶が呼び起こされた。
(この令嬢はあの人とは別人だ。でも……こうして見ると髪と目の色だけではない。存在感も似ているのだな)
視線を感じたのだろうか。ニーナがみじろぎした。
ルイは急いで自分の頭に浮かんだ考えを追い出した。今更、バカらしい。あの夜の出会いは無かったことにしようと決めたのだから。
「本当にやっているとはな」
「殿下」
声をかけると、ニーナがルイの方を振り返った。
「なんのつもりだ」
ニーナの顔に怯えの色が浮かんだ。
約半月ぶりの邂逅だった。これまでずっとルイはニーナに会わないようにしていた。
それは自分の失恋を思い出したくなかったせいでもあったし、こうして顔を合わせることが気まずいせいでもあった。
ニーナがザフィーラに来ることになったのは、徹頭徹尾ルイのせいだった。一目惚れの恋に舞い上がって、相手の気持ちをよく確かめもせずに婚約を申し込んだからこうなった。ニーナはそれに巻き込まれただけだ。
にも関わらず、国に来た初日に怒りをぶつけてしまった。
冷静になってみると自分のしたことが情けなさすぎて恥ずかしかった。
(私が怒鳴ったせいなんだろうな……)
かといって、自分に怯える婦人にどう対処したらいいのかもわかない。
ルイはニーナが自分を怖がっているのを見なかったことにした。
「君が来たのは人違いだった。そして、間違ってしまったのはこちらの落ち度だ。だから、君がこんなことをやる義理はない。これは我が国の問題だ」
努めて穏やかに言ったつもりだったが、彼女の表情に変化はなかった。彼女はルイに向かって頭を下げた。
「申し訳ありません」
「なぜ謝るんだ」
こちらが悪いと言っているのに。針仕事をやめろというのも、こちら側の事情だった。ニーナが謝る意味がわからない。
(どうして上手くいかないんだ)
ルイは苛立ちで眉間に皺が寄るのを感じた。
ルイの気持ちを知ってか知らずか、ニーナは曖昧に微笑むと、窓の方へ顔を向けた。
「満月まであと少しですね。このまま作業すれば満月までに間に合うかもしれません」
彼女は呪いのことをある程度理解しているらしい。なおさら苛立ちが募る。わかっているのなら、なぜ夜遅くまで作業をしているのだろう。
「だとしてもやめろ。この時期、女王の呪いは体調を崩したものにも降りかかる。無理は禁物だ」
ニーナの悲しみを訴えるように眉尻が下がった。
「わかりました」
ニーナが立ち上がる。月の光を宿した髪が背中をさらさらと流れた。まるで、彼女の清純さを証明するかのように。
(怖がらせたいわけではないのに……休めと言いに来たはずなのにすっかり嫌われてしまったな)
ルイは倉庫から出ていくニーナを見送った。その背中が見えなくなると、大きく伸びをする。
ルイの夜はまだまだこれからだった。
* * *
次の日、ルイは避難所の視察に出かけた。
城の廊下を歩いていると子どもの笑い声がした。子どもたちが列を作って部屋から部屋へ移動している。
横にニーナが付いて、子どもたちが列から離れないように声をかけていた。時々、子どもがニーナに話しかけたり、抱きついたりしている。その一人ひとりにニーナは笑いかけ、丁寧に相手をしていた。
長雨で澱んだ空気の中、彼女の周りだけゆっくりと、そして穏やかに時間が流れているようだった。
近づいたら、また怖がらせるかもしれない。少し離れたところからルイはニーナの様子を眺めた。
「子どもがよく懐いているな」
後ろに控えていたクリスがルイの隣に並んだ。
「そうですね。最初の二、三日は苦労をしたようですが、今では子ども達からとても慕われているようですよ。どうやら、天幕の刺繍を始めたのはジンという子が原因のようです」
「あの子ども部屋で面倒見ている子どもの一人か?」
「はい。初日にその子が部屋で暴れて大変だったとか」
ルイは首を傾げた。
「それがなぜ刺繍に繋がるんだ?」
「侍女の話では彼女はジンが暴れた理由を家に帰れないことにあると考えたようです。不安で怯えているのではないかと。ジンの家はブリジット地区にあるとか」
「例の天幕が壊れた地区だったというわけか」
廊下を歩いていた子どもたちは突き当たりにある部屋の中へ入っていく。
一番後ろを歩いていた四歳くらいの子どもが転んだ。ニーナが駆け寄る。隣にしゃがんで子どもが立ち上がるのを待ったあと、怪我がないか確認していた。泣いている子どもの背中を撫でて、なぐさめている。
「自分だって、見知らぬ外国に来て大変なはずなのに……」
自然と口から言葉がこぼれた。
暴れた子どもに対して、その不安をくんでやるなど、よほど共感力が高いのだろう。その上で、不安を取り除くための行動を起こしたのだ。
「優しい、のだな」
(それに強い。自分が大変な中でも他人を思いやることができるなんて……まるで伝説に聞く始祖エンデュミオンの妻、セレーネのようだ)
セレーネと言えば月の女神の別称でもある。
「彼女は今日も刺繍に来るだろうか」
クリスが微笑む。
「行ってみたらどうですか? 仲直りしたければ、自分から動くことが肝心です」
ルイは何も言わずうなずいた。
* * *
夜半過ぎ、ルイは天幕が置いてある倉庫へと向かった。
(まさか、こんなに遅くなってしまうとは……昨日注意したのだから流石にこんな夜遅くまで作業はしていないだろうな)
ということで、実のところ一旦はニーナに会いに行くのを次の夜にすることにした。しかし、いざ寝ようと思っても、ニーナのことが気がかりで寝付けない。
(仕方がない。一度見にいこう。作業していないことがわかれば、安心して寝られるはずだ)
こうして寝所を抜け出して来たのである。
昨日の夜と違い外は酷い雨だった。
人々が寝静まった城の中は雨音でいっぱいになっている。暗い廊下を一人、共も付けずにルイは倉庫へと急いだ。
途中、クリスが夜自分に会いに来る時は、温かい茶を持って来てくれることを思い出して、食堂に寄った。食堂には火の番がいて、快くポットに入れた茶を渡してくれた。
(いないことを確認しに行くのに、作業している想定で飲み物を用意していくとは……自分でも意味がわかならないな)
昼間働いているにも関わらず、こんな夜遅くまで作業しているなど絶対に体に良くないのだから、いない方がいいに決まっていた。けれども、いたらいたで、彼女と落ち着いて話がしてみたい、と思っている自分にルイは気がついた。
(雨のせいでじっとりとして不快な夜のはずなのに、愉快だなんて、不思議な気分だ)
予想に反して、あるいは期待した通り、倉庫の中にはポツリと一つ
声が強くならないよう、声をかける前にルイは深呼吸をした。
「精が出るな」
ニーナの肩が震える。こちらを振り返ろうと首が動く。
(お願いだから、怯えないでくれ)
ルイは審判が下るときのような気持ちでニーナの挙動に注目した。
振り向いたニーナの顔には、ルイの期待も虚しく、やはり少々怯えの色が浮かんでいた。
「ごめんなさい。すぐに片付けますから」
ルイの顔を確認するとすぐにニーナが立ち上がった。スカートの周りに散らばっていた裁縫用具を片付け始める。ルイはニーナの隣にしゃがんだ。
「ま、待て。いや、作業はやめた方がいいのは確かなんだが。今日は少し話ができたらと思って来たのだ。隣に座ってもいいだろうか?」
ニーナの手がぴたりと止まる。恐る恐るといった様子で青い瞳がルイをのぞき込んだ。
「わかりました……どうぞ」
ニーナはルイが座りやすいようにスカートの裾を整えた。ルイがその隣に腰を下ろす。
「ザフィーラに来て三週間といったところか。急に災害に見舞われて大変かとは思うが、生活には慣れただろうか?」
ニーナは不安げに眉を寄せたまま、蚊の鳴くような声で答えた。
「はい……おかげさまで。みなさんには良くしてもらっています」
模範解答のような返事が来た。これではいけない。相手の緊張を解かなければ、話にならない。
はっとしてルイは思い出すと、ポットと一緒に持ってきたコップを並べた。
「そういえばお茶をもらって来たのだった。まず一息つこう」
ポットから茶を注ごうとしたときだ。ニーナの手がルイの手に触れた。驚いて肩が揺れる。ニーナの肩も揺れていた。
「あ、その、すみません。殿下に注いでもらうなんて恐れ多いですから。私にやらせてください」
「あ……ああ。それもそうだな。よろしく頼む」
ニーナが茶を注ごうとしたときだ。ニーナの体がルイの方に寄りかかって来た。驚きでさっきよりも大仰にルイは肩を揺らした。
「何もそこまで許した覚えは……」
言い終わるより前に、ニーナの体がルイの肩からずり落ちていく。明らかに様子がおかしかった。
「おい!」
ニーナの顔色を見てルイは声を上げた。頰が赤い。額に手を当てると燃えるように熱かった。
「まさか、熱があるのか?」
「……」
ニーナの返事はなかった。思わず舌打ちが漏れる。
「衛兵! 今すぐ医者を呼べ!」
ルイの怒鳴り声が夜の闇に響いた。
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