第13話 噂

 ルイは執務室で山のような書類と戦っていた。

 災害対応の進み具合について全体を掌握するようにオーギュストから命じられていたのだ。

 本来、宰相の仕事であるそれはルイがやることではない。しかし、王位を継ぐとなれば、関係各所がそれぞで何の仕事を行い、その結果を宰相がどのようにして資料にまとめ、王へ報告を上げているのか知っておく必要がある。

 というわけで、最近はこの手の仕事がよくルイに回ってきていた。

 おかげで、地震から十日が経ち、行方不明者の捜索を終え、城での避難生活も落ち着いてきているというのに、ルイだけがバカみたいに忙しい。

 目の下のクマも浮かびっぱなしだ。

 雨季のこの時期、誰もが体調を崩さないよう注意し睡眠には気をつかっている。しかし、ルイは少しばかり無理をしても耐えられるのだ。そのため、誰一人としてルイの体調を気づかってくれない。そう易々とは呪われない体質がもはや恨めしかった。

 ノックの音がしたことで、幽体離脱しつつあったルイの意識が現実に戻ってきた。クリスが一杯一杯になっているルイの代わりに、部屋に入るよう返事をした。


「先日の死者数について報告します」


 入ってきたのは厚生省の大臣だった。

 ルイはこめかみをさすった。被災から十日。地震による直接の死者は減ってくるが代わりに呪いによる衰弱死が増えてくる頃だ。


「六名の死亡が確認されました。こちらが死因の内訳です。また、新たに呪いに罹った者が増えておりますので、これに関しても書面にて報告させていただきます」


 大臣が差し出した書類を受け取った。


(医師の所見では六人全員呪いによる衰弱死か……やはり体力のない老人や子どもから死んでいく。新たに呪いに罹っているのもそうだ)


 城は結界のおかげで国中のどこよりも呪いに対して抵抗力がある。しかし、普段のように呪いに罹った者を数人客室に受け入れるのであれば療養先にすることができても、今回のように大量に受け入れては逆にストレスによって呪いの進行が早くなる。客室も使用人部屋も足りず、ダンスホールにごろ寝させているという状況なのだから、それはある程度予測できたことだった。

 さらに、天幕が壊れたせいで家に住めなくなり、呪いに罹らずとも城に避難しなければならなかった者にもストレスは襲いかかる。避難生活を続けることで、明らかに呪いに罹りやすくなっていることが数字から読み取れた。

 それでも、城以外の場所を避難場所に使うよりはマシなのだから仕方がない。

 避難民にとって一番いいのは、呪いに罹る前に家に帰れるようになることだった。


「天幕の修復準備はどれだけ進んでいる?」


 クリスに尋ねて呆れた。それを把握するのが自分の仕事だった。

 書類の塔に手を伸ばす。天幕の修復は建設省の管轄だ。一昨日の夕方、予定表の提出があったとクリスから報告を受けていた。会議に出席していたせいでまだ目を通せていない塔の中にあるはずだ。夕方ということは上の方だろうか。


「こちらですよ」


 クリスがルイの前に書類の束を差し出した。


「すまない」

「いいえ。置いたのは私ですから」


 ふと、クリスであれば自分のように書類の扱いに四苦八苦することもないのだろうな、と思った。クリスは幼い頃から王族の秘書として専用の教育を受けている。ルイが尋ねて、答えが返ってこなかったことなど今までなかった。


(いや……クリスと自分を比べて卑屈になるのは違うな)


 人によって与えられた役割というのは違うものだ。ルイがクリスのように事務に長けている必要などない。


(まあ、この書類の山は自分で何とかするしかないのだが)


 書類をめくると、ありがたいことに、地区別の天幕修理予定が図にまとめてあった。


「次の満月でブリジット地区以外は修理の目処が立たったようだな」


 クリスが書面の端の方を指差す。


「ただし、ブリジット地区の天幕設置は一ヶ月以上先になります。やはり、新しい天幕を作るのに時間がかかるようです。人手が足りていないことが最大の問題ですが」

「一ヶ月か……」


 次の満月で他の地区の者は家に帰れるとしてもまだ避難民が多すぎた。

 私の見込みでしかありませんが、と大臣が口を開いた。


「一ヶ月後となると、最も悲惨な経過を辿った場合、避難民の三割が新たに呪いに罹り、そのうち八割は死亡する可能性があります」


 大臣の言葉にルイは息を飲んだ。


「八割、だと?!」


 あまりに多すぎた。


「修理計画を見直すか、あるいは、避難所の環境を大幅に改善する必要があるな。大臣は現在の状況で一ヶ月以上避難生活が続いた場合の試算を書面で提出してくれ」

「かしこまりました」


 大臣が部屋から去ると、ルイは椅子に体を沈ませた。


「環境改善か……例えば、城の敷地内に仮設住宅を建てる、とか? それで少しでも状況が良くなるといいが。やるならば今すぐ資材を買い取り、満月の日に運び込めるよう手配が必要だな」


 目が痛い。酷使しすぎだろうか。


「その件で少し気になる話を耳にしたのですが……」

「なんだ?」


 クリスの意味ありげな発言にルイは身構えた。まだ問題が増えるというのか。


「その修理計画書には載っていませんが、新しい天幕の作成で進捗状況に異変があるようで」

「……これ以上、作成が遅れるとでも?」

「いいえ。その逆です。もしかしたら、次の満月に間に合うかもしれない、と。不確かな話だったので、計画書には載せられなかったようですが」

「本当か! それは。だとしたら、問題は解決だ」


 ルイが身を乗り出した。

 しかし、クリスの表情は硬いままだ。


「そのことについては追々殿下にも報告が上がってくるでしょう。今殿下に申し上げたいのは、その先の噂の件です」

「噂……?」

「ええ。刺繍に当たっているのは被災地区の針子五人なのですが、もう一人見慣れない女が夜になると作業に参加している、と。珍しい色の髪をした女で、その女は誰よりも遅くまで作業をしているとか。その方のおかげで進捗がいいようです。噂の主について思い当たる節がありませんか?」

「思い当たる節?」

「ある者は蝋燭に照らされる長い髪を見て、月の光のようだと思ったとか」


 ルイの頭にプラチナブロンドの髪を持つ女が浮かんだ。


「まさか。母上からは昼中ずっと子どもの世話をしていると聞いたぞ」

「だから夜になると作業しに来るのでは?」

「この時期に、あんな、体力のなさそうな令嬢が、非常識にも夜なべをしていると?」


 疲れは呪いを呼び寄せる。体力がなければなおさらだ。


「彼女はこの土地の人間ではないので知らないのでは」

「呪われるぞ!」


 ルイが勢いよく立ち上がった。

 クリスがため息と共に言った。


「確かめる必要があると思いますが?」


 ルイは両の手で顔を覆った。めんどくさいことになったものだ。


「わかった。今夜様子を見に行こう」

「それまで休憩でもしたらいかがでしょう。婦人に会うというのに、酷い顔色です。それに少し臭います。風呂に入って、少々横になるのがよろしいかと」


 湯船の準備はできております、とクリスが浴室のある方を指した。ルイの顔が引きつる。


(少しは体調を気づかってほしいなどと、軟弱なことを考えはしたが……今なのか)


 令嬢の件で責められているような気しかしない。

 こんなに出来のいい部下を持つとは、全くもって幸せなことだった。

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