第12話 家に帰りたい
アメリに、私は手伝いに行くからまた明日会いましょう、と告げたのち、早速ニーナは子ども部屋に向かった。
エステルに会うと、彼女はすぐにニーナへ仕事を与えた。
子どもたちの遊び相手と昼食の手助けだった。
子ども部屋では全部で二十三人の子どもが過ごしていた。年齢はゼロ歳から十歳でまちまちだ。
呪いに罹っている場合は、子どもの世話をすることはできないし、呪いに罹っていなくとも避難所の仕事があるので、大人は子どもの相手をすることができない。そのため、ここでは呪いに罹っていない子を集めて面倒を見ていた。
驚くべきことにゼロ歳児二人と一歳児一人の子どもの相手はガブリエルがしていた。
「どこに行ったんだろうと思っていたら、ここにいたのね」
地震のあと、ガブリエルはいつの間にかニーナの部屋から姿を消してたのである。
『助けを求める声が聞こえてね。国民を助けるのは王族の責務だから』
まさか王族の心得を説かれるとは思わなかった。ガブリエルには乳幼児の心が読めるらしい。大人よりも心が露出しているから読みやすいのだという。
『だから、この子たちのお世話は僕がするのさ』
自分だって世話される側の年齢だというのに、頼もしい限りだ。
ニーナは残りの子たちを集めて、差し当たり全員が一緒にできる遊びとしてお絵描きをすることにした。
部屋に道具がそろっていたのだ。
どうやらこの部屋は元々肖像画を描くのに使われていたようだった。キャンバスや木炭が大量に置かれていた。
きっと夕方までならこれで遊んでいられるだろう。
早速キャンバスを適当な大きさに切って子どもたちに配り、ニーナは言った。
「さあ、みんな自分の一番好きなものを描いてみましょう」
子どもたちは困ったような表情を浮かべながらも、各々机に向かい絵を描き始めた。
六歳以上の年長組は机に向かい、それ以下の年少組は床にキャンバスを広げ、絵を描き始めた。といっても手が全く動いていない子もいたが。
(木炭だけだと黒色しかないから楽しくないのかもしれない)
ニーナは小さな子でも使いやすいクレヨンやクレパスといった画材がないか、部屋の中を探し始めた。
そうやって子どもたちから目を離していたのがいけなかったのだろうか。
小さい子たちが絵を描いていた一画で悲鳴が上がった。
「どうしたの!」
ニーナが駆けつけると、女の子が泣いていた。名前札にリアと書かれている。四歳の子だ。その横では、ジンという五歳の男の子が笑いながら木炭を振り回していた。
「ジンのバカー!」
キャンバスを見るとリアが描いていたであろうクマの絵が上からグシャグシャに塗りつぶされていた。
ニーナはジンが振り回している木炭を手から取った。
「やめなさい。どうしてこんなことをするの」
ジンは黒い大きな瞳を向け、キッとニーナをにらんだ。そして黙ったまま、ニーナの足を蹴った。
「イタ……」
小さいながらも手加減なく繰り出された蹴りはかなり痛かった。ニーナが蹴られたところを手で押さえているうちに、ジンがほえた。
「絵なんか嫌だ! なんも描くものなんてない! 全部嫌だ!」
ジンは他の子から木炭を奪いとり、他のキャンバスもグシャグシャに汚し始めた。
そのせいで今まで見ているだけだった子たちも泣き出した。
「お願い。やめて」
ニーナの言うことなど聞くはずがなかった。ジンはキャンバスをつかむと、振り回しながら色々な場所に叩きつけ始めた。
状況が変わったのは、様子を見に来た年長組の男の子の頭にジンの投げた木炭が当たってからだった。
その男の子は容赦なくジンの頭をゲンコツでぶった。
「いい加減にしろ! みんな我慢してるんだぞ」
すごい怒気だった。
驚いたせいだろうか。いっせいに子どもたちが泣き止んだ。
代わりにジンの目に涙が浮かぶ。
男の子はニーナに頭を下げた。
「すみません。こいつ、地震があってからずっとイライラしてて」
男の子の名札にはサライと書いてあった。サライはジンの兄だった。
誰よりも大きな声でジンは泣き始めた。
騒ぎを聞きつけたのか、恰幅のいい体を揺らしエステルがやってきた。
「あらあら、すごい散らかりようね」
「すみません。こんなことになってしまって」
ニーナが謝ると、エステルは豪快に大きな口を開けて笑った。
「いいのよ。子どもがこれだけ集まればよくあることだもの。さあ、みんな泣き止んで。ごはんの時間よ。おとなりの部屋に用意してあるからね」
今までのことなんてまるで忘れてしまったかのように年少組の子たちはパッと笑顔になると、きゃあきゃあと嬌声を上げながらとなりの部屋へ走っていった。
年長組の子たちも席を立ち、食事へと向かう。
エステルがゼロ歳児の二人を抱えた。
「ニーナさんはここの片付けがすんだら今日は上がりでいいわ。明日もよろしくね」
「はい。よろしくお願いします」
明日は来なくていい、と言われなかったことにニーナは一安心した。急いで片付けに取りかかる。
「手伝います」
サライが部屋に残り、片付けを手伝ってくれた。その間、ジンはとなりの部屋に行くことなく、窓際でずっと泣いていた。
片付けが終わると、ニーナはジンの元へ向かった。
「さあ、あなたもお兄ちゃんと一緒にご飯を食べに行きましょう」
「うう……」
ジンは泣いてばかりで動こうとしない。
サライがジンの手をとり、引っ張った。
「おい、行くぞ」
ジンがつぶやいた。
「おうちに帰りたい」
ニーナはジンの頭を撫でることしかできなかった。
* * *
ニーナが部屋に戻ると、アメリが夕食の準備をして待っていてくれた。
「家族のことはもういいの?」
「ええ。無事避難していることはわかりましたし、会うことも出来ました。それで十分です」
アメリがニーナに向かって深く頭を下げた。
「お時間をいただき、ありがとうございました」
「あ、ええっと……」
まさかお礼を言われると思っていなかったので、ニーナは慌ててしまった。
「また明日会いましょう、というのはそういう意味かと勝手に解釈いたしました。間違っていたでしょうか?」
それは単純に、今日のアメリは家族のことで忙しいだろう、と思って言った言葉だった。自分の相手をしている場合ではないだろうと。
(ああ! 私にアメリの行動を決める権限があるから、お礼を言っているんだわ。私が命じなければ、アメリは家族に会えなかっただろうから……時間すら彼女は自由にできない立場だから)
「……いいえ。あなたが家族に会えてよかったわ」
侍女を持ったことがないニーナには、アメリの立場にまで思い至っていなかった。
(私の、主人としての言葉の足りなさを悪く思ってもいいはずなのに。今日はもう上がっていいと言えばよかった)
ニーナの言葉に対するアメリの解釈は常に好意的だった。
いつも軽んじられ、意地悪な見方をされてきたニーナにとってアメリの反応は慣れないものだった。
(アメリといると不思議だわ。まるで自分が高貴な人であるかのような気分になる。どうして彼女は私のことをいい人のように思ってくれるのだろう)
ルイの婚約者に対する態度なのだから丁重であることが当たり前だとわかっていても、アメリの態度をこそばゆく感じた。
アメリがダイニングテーブルの椅子を引いた。
「食事にしましょう」
ニーナが席に着くと、アメリは向かい側に座り、食事が始まった。
初めの頃は、アメリが部屋に持ってきてくれる食事を一人で食べていた。
しかし、アメリの前で一人で食べることに気が引けて、一緒に食べてくれるようにお願いしたのである。
アメリは一度断ったものの、結局ニーナの願いを聞きいれてくれた。それからというもの二人は一緒に食事をしている。
夕食を口に運びながら、ニーナは子ども部屋であったことをアメリに話した。
「ジンのことは私もよく知っています。家が隣でしたので。元気で活発な子ですよ。乱暴な面もありますが、無闇に物を振り回すようなことはありません」
アメリが少し考えるように言った。ジンの昼間の様子はいつものことではなかったのだ。
「きっとお家から離れなければならないことが辛いんだと思うの。お城では心が休まらないのね」
他の子に乱暴してしまったのはよくないが、それはジンが酷く怯えているせいであるようにニーナには思えた。
「いつになったら彼は家に帰れるのかしら」
「家に帰れるようになるには天幕の修理が必要になります。天幕の修理ができるのは、雨に当たっても呪われることのない満月の日だけです。だから早くても二週間後になりますが……」
アメリが首を振った。
「ですが、あの子が次の満月で家へ帰るのは難しいでしょう」
「どうして?」
「彼の住む地区の天幕は支える柱が崩れただけでなく、天幕自体が破れたのです。天幕には呪い避けの意匠が刺繍してあり、そのおかげで雨の呪いを弾くことができるのですが、破れたとなると新しく刺繍しなければなりません。天幕は大きいので、刺繍も当然大きく、かなりの時間がかかります。雨季が終わるまでに完成するかどうか……人手が足りず、作業できる見通しも立たないと聞きました」
ニーナはあることを思いついて食事の手を止めた。
「その意匠ってもしかして月桂樹の?」
「そうです」
(やっぱり。だからマントに月桂樹の刺繍が入っていたんだわ)
「天幕の刺繍はどこで行われているのかしら」
「材料は城門近くにある倉庫に保管してあるという話ですが……まさか、行くつもりですか?」
ニーナは否定も肯定もしなかった。もちろん行くつもりだった。
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