第15話 奪われた女
宮廷医師は診察をすませたのち、あっさりとルイに告げた。
「風邪ですな」
少々肩透かしを食らったような気分になりながら、ルイは重ねて質問した。
「呪いは?」
「今のところ問題ありません。風邪と呪い、同時に罹っていれば命に関わるところでしたが」
ルイの口から安堵のため息がもれた。
(熱に気がついたときはどうなることかと思った)
医師の言う通りだった。風邪だけでなく、呪いも一緒に罹っていたならば、早晩死ぬ可能性があった。
この時期に風邪を引けば、ほとんどの者が呪われる。そして、急激に衰弱して死に至る。内心震えながらルイはニーナを部屋に運んだ。
当のニーナは、医師が出した薬の効果だろう、今はベッドでぐっすりと眠っている。風邪だけならば、このまま無理をせず養生すればすぐによくなるはずだ。
下がっていい、と手を振りかけたところで、ルイは医師が何か言いたげな目で自分を見ていることに気がついた。
「どうした? 何かあるのか」
医師はためらうような様子を見せながらも、おもむろに口を開いた。
「本来、守秘義務がある内容に思えますが……婚約者ということでしたら王子殿下には申し上げるべきでしょう。この方はすでに同じ種類の、もっと強力な呪いに罹っています。そのおかげでこの高熱にもかかわらず、雨の呪いに罹らずにすんでいるようです」
ルイは訝しく思い、聞き返した。
「同じ種類?」
「ええ。人から何かを奪う呪いです。雨の呪いが魔力や生命力を奪うように」
「奪う……」
なぜかはわからない。奪う、という言葉にルイは妙な引っかかりを感じた。
「何を奪われているのか、それはわかるか?」
「そこまでは……私にわかるのは呪われているということだけです。呪いを解く方法もわかりません」
「そうか。報告、感謝する」
ルイと医師は共に寝室を後にした。
* * *
ルイは医師と共に寝室を出たあと、居室のカウチへ倒れるように腰を下した。夕方少し休んだはずだったのに、一気に疲れてしまった。医師には帰るように伝える。
居室にはクリスと、ニーナの侍女であるアメリが控えていた。
「あんな高熱を出すまで作業をしているなんて……相当きつかったはずだ。お前、アメリとか言ったな。近くにいて気がつかなかったのか」
アメリがルイに向かって膝を床に下ろし平伏した。
「私が至らず、申し訳ありません」
「体調が悪くても勘付かれないようにしていたのでしょう。夜の作業に行っていたこともアメリさんには隠していたようですから」
クリスがルイに茶を出した。行儀が悪いとはわかっていたが、ルイはそれを一回で飲み干した。大きな音が出るのも気に留めず、勢いよくカップをソーサーに戻す。
「彼女は、なぜこんな風に振る舞うんだ。ここに来たのは、勝手に舞い上がって婚約することにした私が原因だというのに。本来なら私への怒りで部屋に
アメリが平伏したまま、質問してもよろしいでしょうか、と許可を求めてきたので、ルイはもう立つように命じた。
アメリは直立すると、すぐに質問をした。
「ニーナ様は殿下の婚約者ではないのですか?」
「それが、現在は婚約者なのですが……」
クリスの言葉をルイが引きとる。
「人違いだったのだ。私が会うまで、誰もそれに気がつかなかった」
アメリが考え込むように眉を寄せるのをルイはじっと見ていた。やがてアメリは手を上げた。
「ニーナ様について、私が発言してもよろしいでしょうか」
「許す」
「私が見たところですが。ニーナ様は、いわゆる貴族としての気概、プライドというものがほとんどございません。それどころか、ときどき……まるで、平民……いいえ、平民どころか孤児のような寄る方のない表情をされることがあるのです」
アメリがゆっくりと一言一言を選ぶように言った。
「と言われましても、彼女は列記とした貴族の方です。それは間違いありません」
「それが、今回のこととどう関わっているのだ」
アメリの言い方は周りくどすぎてルイには意味がわからなかった。
ルイの疑問にアメリが頭を下げながら答える。
「恐れながら申し上げます。婚約破棄をなされた殿下に対して怒る、なんてことは思いもよらないのではないかと。それは、相手と自分が対等だと信じている者の振る舞いですから」
つまり、どういうことだろうか。婚約破棄をされても怒りすらわいてこないから、身を粉にして体調不良にも関わらず働く……やはり意味がわからない。ルイはだんだん腹が立ってきた。
「こんなに無理をしたのは、私のせいだと言いたいのか?」
「それは分かりかねます」
アメリが怯えたように答えた。
ルイは盛大に息を吐いた。そうしなければイライラしすぎて怒鳴りつけそうだった。
「もういい。お前は下がれ。寝室で看病を続けろ」
「かしこまりました」
逃げるようにアメリは寝室へと下がっていった。
ルイは両の手で顔を覆った。
「私はどうしたらいいんだ……」
「まず、そのすぐ怒る癖をなんとかした方がいいのではないでしょうか」
指の隙間からクリスを睨んだ。
「なんだと?」
「ほらまた怒る。その結果が今だと私には思えてなりませんがね。殿下が月下の君にふられていたことよりも」
クリスが肩をすくめた。
考えてみれば、クリスはルイがどれだけ怒っていても、その結果怒鳴っても、ルイに対して怯えたことはなかった。武道の師範たちはむしろルイに怒鳴るし、オーギュストもそうだ。だから、自分の態度は問題ないと思っていたのだが。
(けれども、婦人は違うのだろうか。ニーナもさっきのアメリとかいう侍女も私に怯えていた……私が怒っているせいか?)
今まで気に留めたことがなかったが、そうかもしれない。
ルイは怒気を落ち着かせるために大きく息を吸って、吐いた。
「ともかく、ニーナ嬢に大事がなくてよかった。熱に気がついたときは血の気が引いたよ。様子を見に行って正解だった」
「左様でございますね。それで、仲直りはできたのですか?」
今度はルイが肩をすくめる番だった。
「できたと思うか? ニーナ嬢の熱がわかってそれどころではなかったさ」
「それは残念でしたね」
クリスがなぜか悪戯げに微笑んだ。
「でしたら、次の満月の日、彼女を貴賓としてエスコートなさってみてはどうでしょう。良い機会になると思いますよ」
ルイは首を振った。先程、声をかけたときの怯えた顔が頭にちらついた。
「それは……無理だろう。彼女は私を怖がっている。それに婦人をエスコートするなどやり方がわからない。一緒に仕事をするというのならまだしも」
「これを機に覚えればよろしいでしょう。婦人とうまくやっていくことも国家運営には大切なことですよ。もちろん、仕事以外の場面での話です。それに」
クリスが腰に手を当て仁王立ちした。
「怖がられているのでしたら、なおさらやるべきでしょう。まさか印象最悪のまま彼女を帝国に帰すおつもりですか?」
ルイは言葉に詰まった。確かに今の印象のままニーナを帝国に帰すのは気が引ける。
(が、しかし)
ルイはこめかみをさすった。
婚約破棄をしてからというもの、ルイの女性への態度に対するクリスの小言は爆増した。女性への態度、と言っても相手はニーナくらいしかいないのだが。
「お前、最近私に対して踏み込み過ぎじゃないか?」
「それは殿下が思っていた以上に……色々心配な感じでしたので。私の仕事は殿下をあらゆる面でサポートすることですから」
あらゆる面ねえ……とルイはクリスに胡乱な目を向けた。クリスの顔はニヤついている。どう見ても面白がっているようにしか見えない。
「これからエスコートのいろはを私が手を取り足を取り教えて差し上げますよ」
「……それは、どうも」
これ以上断ってもおそらく無意味だろうと感じて、ルイは首肯した。ここまでクリスがしつこく言うということは、国王の意向も絡んでいるに違いない。
それに、ルイ自身、ニーナに興味があった。まともに話せるようになると言うのなら、がんばってみてもいい。
(それにしても……)
ルイは首を捻った。
(他国にザフィーラ最悪の魔女だった女王より強い呪いをかけられる者など存在するのだろうか。まさか、ニーナは女王と何らかのつながりがあるのか?)
間違えて来ただけの令嬢だと思っていたのに、急にわからないことだらけだった。
「それで陛下たちには婚約破棄の件、いつお伝えしましょうか?」
「二ヶ月後にしよう。その方が彼女も過ごしやすいだろう」
ただの外国人のお客より、ルイの婚約者のままであった方が。
「でしたら、アメリには婚約破棄については他言無用であると言っておきましょう」
よろしく頼む、と言って、ルイはカウチから立ち上がった。
そろそろ空が白んでくる頃だった。そろそろ寝なければ朝の勤務に差し障る。
クリスにブランチまで執務室に来なくてもいいように伝え、ルイはニーナの部屋を出た。
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