第16話 満月の日

 朝、ニーナは目を覚ました。

 実家にあった自分の部屋とはあまりに違う華やかなベッドの上で腕を伸ばす。安静を命じられてから四日目。ずっとぼうっとして過ごしてきたけれど、久しぶりに頭がスッキリしている。

 測らなくてもわかる、もう熱は下がったに違いなかった。


 「……?」


 けれども、それだけではない。ここ数日と明らかに違う何かをニーナは感じた。自分の気分だけではない、部屋の印象すらなんだか爽やかだ。


「あ!」


 部屋がいつもより明るいのだ。カーテンの隙間から強い光がこぼれていた。吸い寄せられるように窓辺へ向かった。窓を開けると清涼な空気がニーナの頰を撫でた。

 金色の太陽が城下町を照らしている。驚いたことに天幕が閉じていた。まるで昨日まで町に充満していた呪いを払うように路地の隅々まで光が行き届いている。さらに町が途切れた先の平原、さらに遠くにそびえる山の稜線まで鮮明だ。

 大きく息を吸った。少し冷えた空気が体を満たした。 


「気持ちがいい」


 どれだけそうしていただろうか。ノックの音に意識が呼び戻されるまで、ニーナは窓の外の景色を眺めていた。


「おはようございます。ニーナ様」

「おはよう、アメリ」


 ノックの主はアメリだった。


「今日で安静は終わりの予定ですが、ご気分はいかがですか?」

「とてもいいわ。空も飛べそうなくらいよ」


 アメリは水桶とタオルをサイドテーブルに置くと一礼した。


「私は朝食の準備をしてきます」


 * * *


 朝食は穀物と干した果実をトロトロになるまでミルクで煮た病人食だった。けれども昨日までと違い、両面をカリッと焼いたハムとゆで卵がついている。

 ニーナはゆで卵を口に含んだ。ほんの少し塩味がついていておいしい。


「こちらはニーナ様が安静にされている間に届いたものです。今日になるまで渡さないようにルイ様から命じられておりました」


 アメリがキャンバスの束を一つに丸めて紐で括ってあるものを机の上に置いた。


「ルイ様が? どうして?」

「私の勝手な想像ですが、渡せばニーナ様が安静にしていられないのではないかと心配されていたのではないでしょうか」

「そうなの……」


 自分が倒れたせいでかなり心配させてしまったようだ。倒れた日、ここまで運んでくれたのもルイだとニーナはアメリから聞いていた。


(怖かったり、優しかったり、よくわからない人……)


 紐を解くと七枚のキャンバスが現れた。内容は絵だった。画材はクレヨンやパステル、油彩とそれぞれ違った。その上手さもまちまちだったが、驚くべきことにどの絵にもニーナが描いてあった。


「どうして私が描かれているの?」

「お礼だそうですよ。天幕を作ってくれたことへの。ブリジット地区の子たちからです」


 ニーナは首を傾げた。


「どうしてみんな私が天幕の刺繍をしていたことを知っているのかしら……」


 隠れてやっていたはずだったのに。


「ジンとサライには私から話しました。二人には知っていて欲しかったので。それで、二人がお礼に何かしようと話していたところを他の子にも聞かれたようで、結局、全員が知ることになったみたいです」

「だからって、こんなことをしてくれるなんて……どうしよう」


 こんなことをしてもらう価値が自分になるなんて思えない。

 

「お受け取りください。天幕が完成したのはニーナ様の献身のおかげです。ありがとうございました」

「そんな……献身だなんて」


 アメリが目を細めた。


「今日、天幕の取り付けです。これでみんな帰れます」

「では、今夜は満月なのね」

「はい。雨季の中であっても、自由に動くことのできる特別な一日です」


 ニーナは絵を一枚一枚丁寧に眺めた。絵の裏に描いてくれた子の名前と手紙が添えられている。


「あれ?」


 最後まで絵をめくってニーナが声を上げた。


「どうしました?」

「ジンの絵がないわ」


 アメリから聞いた話の流れならば、ありそうなものだった。


「おかしいですね。一番はりきって描いていたのに」


 その時だ。部屋にノックの音が響いた。

 ニーナが返事をしたあと、アメリがドアを開ける。ドアの前にはルイが立っていた。

 ルイの後ろからクリスが顔を出す。


「おはようございます」

「おはようございます、殿下。クリス様」


 ニーナは突然の来訪に驚いてしまって、本当は立つべきなのに、あいさつを口にするだけで精一杯だった。


「ニーナ嬢、出かけよう。私が街を案内してやる」

「殿下、もっと優しく」


 クリスがルイにささやくような調子で注意していた。全部ニーナたちにも聞こえていたが。


「え、あの。殿下と私が一緒に……ですか?」


 あまりに信じがたく、ニーナは聞き返してしまった。

 カーテシーはしない、言われた事を聞き返す。すでに二つも失礼を働いてしまったが、ルイにそれを咎めるような様子はなかった。


「そのつもりだ」

「外でお待ちしております」


 頭を下げたあと、クリスがドアを静かに閉めた。

 ニーナは両手を頰に当てた。 


「どうしよう。まさかお誘いがあるなんて」

「外出着に着替えましょう」


 アメリがワードロープの扉を開ける。中には帝国から持ってきたミーナのドレスが並んでいた。どれも鮮やかな色をしていて、改めて自分には似合わないとニーナは思った。


「私は……行ってもいいの?」


 間違えて来ただけの偽りの婚約者なのに。ドレスと同じで、分不相応だった。


「殿下からのお誘いを断りますか?」

「それは……」

 

 断るなどできるわけがない。考えただけで恐ろしかった。


「ならば行くしかありません。きっと大丈夫ですよ。さあ、ドレスを選びましょう」


 暖色系のドレスが良さそうですね、とアメリがドレスの準備を始めた。流れに身を任せるほかなさそうだった。


 * * *


「終わりました。お入りください」


 数十分後、アメリがルイたちを部屋に呼んだ。

 部屋の中央で震えながらニーナはルイを迎えた。

 アメリが選んだのはよりにもよってマゼンダ色のドレスだった。髪は大きめのカーラーで巻いて、薬で固めたあと、左肩に流した。大きな花型の銀細工に無色のトパーズをあしらったピアスがアクセントだ。

 姿見すがたみで見たとき、自分のあまりに派手な出立にニーナは気を失いそうになった。帝国では絶対にしなかったような着飾り方。本当に似合っているのか泣きそうになるニーナに、アメリはお美しいですよと優しく微笑んだ。

 そして今に至る。

 ルイは少し考えるような様子でニーナを見ている。

 ニーナは不安で目が回りそうだ。

 

(やっぱり私と一緒に歩くのは嫌なのかも……こんな綺麗な人だし、私が隣に並んでいいとは思えない)


 外行き用に身だしなみを整えたルイは、皇宮の庭であったときと同じく、神話に出てくる神様のような迫力があった。


「少し気になるが、まあいいだろう。明るい格好なのは評価できる」

「恐れ入ります」


 ルイに対して、アメリが満足げに返事をした。


「行くぞ」

「はい」


 断頭台に向かうような気分でニーナは返事をした。

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