第17話 初めてのデート

 馬車の中はルイとニーナの二人きりだった。当然会話はない。

 馬のパカパカという足音が妙に大きく聞こえる。


(何か私から話しかけないと……)


 ニーナは上目遣いにルイの様子をうかがった。

 柔らかな日差しの中、ルイは相変わらず見目麗しかった。長いまつ毛が灰色の瞳に影を作っている。真っ直ぐな鼻梁と褐色の肌が朝日に照らされ、妙に艶かしく見えた。

 意外なことに不機嫌そうな様子はない。

 それでもこのまま無言の状態を続けるのはよくないだろう。会話がないのならば、目下の自分が話題を振る必要がある。

 ニーナは真剣に頭をひねった。

 ところが、先に沈黙を破ったのはルイだった。


「城下町をこうして間近に見るのは初めてだろう。国に入ってからは馬車の窓を閉めているようだったからな」

「はい」


 その通りだった。港でルイに突き放されたことが不安で、移動中はずっと馬車の中に閉じこもっていたのである。

 港で話してからというもの、城に着くまでニーナに関わろうとしなかったルイがそれに気づいていたのは意外だった。

 考えてみると、港から王都まで三日かかったのに、ルイは馬車をおいて先に行くことなく一緒に走っていたのだから、完全にニーナのことを無視していたわけではないのだ。


(自分が求めた婚約者ではなかったことはわかっていたのに。案外慎重な人なのかも)


 あの状況でルイが一人で城に帰れば、あらぬ噂がたったかもしれなかった。

 窓の外に向けられていたルイの瞳がニーナの方へ向いた。


「どうだ。何か感想はあるか? 外国から来た者には我が国はどう見える」

「え……えっと」


 急に感想などと言われてニーナはうろたえた。

 心なしかルイの瞳がキラキラしている気がする。この瞳には既視感きしかんがあった。


(この瞳はそう。陛下と王妃殿下がスープを勧めてきたときと同じ……)


 期待に輝く瞳というやつだ。これは何か言わねばならぬとニーナは窓の外に目を走らせた。


「ああ!」

「何だ? 面白いものでもあったか」


 これだ! というものを見つけて思わず声を上げると、すかさずルイがニーナが見ている先を追うように目をさまよわせた。


「いっぱい水路があります!」

 

 言ってから後悔した。


(つまらないことを言ってしまったわ……)


 水路があるなんて見ればわかることだ。帝国ではあまり見かけないものだからつい言ってしまった。

 ルイの返事はない。戦々恐々としてルイの方を見た。きっとあまりのしょうもなさに呆れているのだろう。


「?!」


 そうでもなかった。ルイはなぜだか満面の笑みを浮かべていた。


「そうだろう。ニーナ嬢はなかなか見る目があるな!」


 褒められた。

 ルイが語り始めた。


「水こそ、我が国の護神なのだ」


 ルイが窓から見える水路を指差した。


「この道の端にも、路地の端にも水路があるだろう?」

「ええ」


 前のめりになりながら話し出したルイに少し驚きつつニーナは返事をした。


「この水路は全て城に通じているのだ。城にはザフィーラ建国の祖、エンデュミオンが神から頂いたと言われる聖杯がある。聖杯からは止めどなく水があふれ、この地の水と混ざり、清めている……王都だけではない。水路は我が国全土に行き渡っている。この島に来るとき、深い霧が出ただろう?」

「はい。悪意のある者は島にたどり着けないと」


 甲板で女騎士から聞いた話を思い出した。確かそう言っていたはずだ。


「それも聖杯の水がなせる技だ。女王の呪いの雨も聖杯の水を汚すことはできなかった。だから雨季でも我々は自由に水が飲めるんだ」


 ルイは今まで見たうちで一番上機嫌に話していた。


「ルイ様はこの国が好きなのですね」

「それは当たり前だろう。元首が国を愛さずしてどうする。まあ、まだ元首ではないが」


(もっとこの町のいいところを見つけて言ってみよう)


「それに道端に物乞いや怪我人がいないのですね」


 これも帝国と違うところだ。帝国では繁華街に行けば、必ず路上に物乞いがいた。足がなかったり、腕がなかったりする人もいた。


「それは戦争がないからだな。我が国は戦争を仕掛けることもしなければ、聖杯のおかげで仕掛けられることもない。戦争は勝てば国に大きな利益をもたらすが、同時に敗戦国の国民は貧民となる……それは後々戦勝国にとっても負担になるものだ」


 言われてみればそうだ。路上にいた人たちは大抵、帝国が新たに得た領土に住んでいた人たちだった。

 その他にも町が清潔であることや、匂いがしないこと、色々なところをニーナは見つけてルイに言った。その度にルイは親切にその理由を解説してくれた。

 おかげで馬車が止まるまで話題に困ることがなかった。


「着いたようだな」


 馬車が止まるとルイは立ち上がった。


「まずは食事にしよう。そのあとは君が刺繍をしてくれた天幕を見に行くつもりだ」

「わかりました」

 

 ニーナも席をたった。馬車から降りようとして、足が止まる。

 先に馬車を降りたルイがニーナに手を差し出していた。


「あの……」


 手を取ってもいいのだろうか。自分はルイに嫌われていたのではないのか。ニーナはためらった。


「何か間違っていたか? エスコートとはこうやってやるものなのだろう」

「それは……」


 その通りだが、気にしているのはそんなことではない。


「昨日、クリスと練習したのだ。ちゃんと覚えろと言われてな。おかしなところがあったら教えてほしい」


 ニーナは首を振った。おかしいところなどなかった。

 執事に言われて練習した上に、それをニーナに話してしまうなんて、素直すぎる。このような面がルイにあったなんて驚きだ。少し面白かった。


(こんなに堂々としていらっしゃるのに、苦手なこともあるのね)


「おかしいところなんてありません。ありがとうございます」


 頭を下げてから、そっと、ルイの手ひらの上に自らの手を重ねた。


 * * *

 

 食事が終わったあと、ニーナたちはブリジット地区に向かった。ニーナが刺繍をした天幕が取り付けられる地区だ。

 地区の端にある噴水広場にニーナたちが着いたときには、すでに天幕の取り付けが終わり、簡単な祝賀会が催されていた。

 祝賀会では食事と酒が振る舞われたらしく、騒がしく陽気な様子が馬車の中からでも見てとれた。少しニーナの苦手な雰囲気だ。


「降りるぞ」

「はい……」


 しかし、苦手だろうが、怖かろうがそれを口にする勇気などない。ニーナはルイに従い、馬車を降りた。


「殿下! お待ちしておりました」

「ブリジット男爵。天幕は無事取り付けられたようだな」


 ルイが広場に姿を現したことを聞きつけて、ブリジット男爵がルイの方へ駆け寄った。全体的に丸い印象のある男性で、赤銅色の髪は薄くなり始めているのか、頭頂部がうっすらと光っていた。

 ブリジット男爵は人の良さそうな笑みを浮かべた。


「ええ。開閉も確認しました。動作にも異常ありません。これも殿下のご尽力のおかげです」


 ルイは首を振った。


「私は災害対応の総括をしていただけだ。直接の功労者はここにいる」


 そういうとニーナの背を押した。

 笑みで細められていた男爵の目が見開かれる。

 

「こちらがニーナ様ですね。話は伺っております。この度は我が地区の天幕作成に協力していただきありがとうございました。ニーナ様のおかげで通常の四倍の速度で作業が終わったとか」

「あ……いえ……そんな」


 こういうときにも言葉が出てこない自分が恨めしい。


「体調を崩されたと聞いて心配しておりました。この時期の体調不良は命にかかわりますので。ご快癒かいゆされたようで安心いたしました」

「ご心配をおかけてしてすみませんでした。おかげ様で元気になりました」

「全く、今日という日は素晴らしい日ですな。我が地区もニーナ様も全快だ」


 男爵が大きな口を開けて満面の笑みを浮かべた。ニーナもつられて少し笑った。

 それにしても、赤銅色の髪といい、愛嬌のある容姿といい、誰かに似ている気がする。

 ニーナがじっと男爵を見つめているとルイが耳打ちした。


「伯爵はアメリ嬢の父上だ」

「あ……」


 ニーナは納得した。確かに表情豊かなところ以外、似ている。

 男爵が噴水のある方に向かって大きな声で呼びかけた。


「おーい! ジン! ニーナ様が来たぞ」


 人混みの中からジンとサライが姿を現した。


「ジン」


 ニーナはジンへ呼びかけた。会うのは四日ぶりだ。ジンは子ども部屋で世話をしている間、ずっと不機嫌だった。ニーナが何度脛を蹴られたことか。彼を見ていると今でも脛が痛むような気がした。

 ジンはおずおずとニーナへ近づいた。サライがジンの背を叩く。


「ほら、渡すんだろ?」

「うん……」

 

 ジンがキャンバスを一枚差し出した。

 そこにはクレヨンでニーナの似顔絵が描かれていた。さらに絵の周りには押し花がたくさん貼ってある。


「これは……」

「うち、花屋なんです。それでこいつが押し花を貼ることを思いついて……どうしても直接渡したいって聞かなくて今日になりました」


 サライが説明した。


「ありがとう。ジン」


 ニーナはジンに笑いかけた。しかし、ジンはなぜか泣きそうな顔でニーナを見上げていた。


「どうしたの?」


 ニーナが尋ねるとジンは黒い大きな目を揺らした。


「俺が……俺が家に帰りたいなんて言ったから、倒れたのか? ニーナは外国のお客さんだったのに、関係ない人だったのに。俺のせいで……ごめんなさい」


 言い終わると、ジンの目からは涙がこぼれた。ニーナの心がチクリと痛んだ。


「そんな、誰かから怒られたの? ジンのせいで私が倒れたって」


 ジンは泣きながら首を振った。


「俺がそう思った。それなのに、いつも、ニーナのこと蹴った」


 ニーナは息を飲んだ。

 確かに刺繍をしたのは彼の言葉がきっかけだったが、まさか、自分が倒れたのを気に病んで泣く人がいるとは思いもよらなかった。

 ニーナはしゃがんだ。ジンとニーナの目の高さが同じになった。


「とても心配させてしまったのね、ごめんなさい」

「うう……」


 ジンの口から嗚咽がもれる。ニーナは話を続けた。


「でもね、倒れたのはジンのせいではないわ。私が何かしたかったの。ここにいてもいいって思えるように。ジンは私が何をすればいいか、教えてくれただけよ。ありがとうね」


 ニーナはジンの頭を撫でた。


「こんなにいい日だもの。みんなで楽しく過ごさないと、もったいないわ」


 サライがしゃがんでジンの肩に手を置いた。


「そうだぞ、ジン。それに、ごめんなさい以外にまだ、ニーナ様に言わなきゃいけないことあるだろ?」

「うん……」


 ジンは自分で涙をぬぐった。


「ありがとう、ニーナ」

「どういたしまして」


 ニーナが言葉を返すと花が咲くようにジンが笑った。ジンが笑ったところをニーナは初めて見た。


(がんばってよかった。刺繍をしてこんなに満足できたことは初めてね)


 ニーナの気持ちがゆるんだ。心の中に温かいものが流れ込んできていっぱいになる。

 ザフィーラに来てから、大変なことばかりだった。いきなりの婚約破棄に、呪いの雨。どれもニーナにとって恐ろしいことだった。特に婚約破棄は思い出すと今でもジクジクと胸が痛む。

 けれども、もしザフィーラに来なかったならば、この笑顔を見ることは叶わなかっただろう。


(彼が家に帰ることができて、本当によかった)


 ジンとサライは頭を下げると噴水前の人混みの中へ戻っていった。

 ルイの視線を感じて、ニーナはルイの方を振り返った。

 ルイがニーナのことをじっと見つめていた。


「殿下……?」

「ああ」


 ニーナの呼びかけが聞こえているのかいないのか、よくわからない返事が返ってきた。


「私の顔に何かついていますか?」


 ルイははっとしたように肩を震わせた。


「そんなことはない!」


 一瞬にしてルイの頰に朱が差した。

 ブンブンと大きく手を振って否定をしたあと、咳払いをする。顔色が戻ってから、ルイはなぜか少し気恥ずかしそうに言った。


「いや、まあ……本当に嬉しそうに笑うのだな、と」


 どうやらニーナは嬉しそうに笑っていたらしい。ジンだけではない。ニーナもまた自然に笑顔をうかべていたのだ。


「彼の元気そうな様子が見られてよかったです」

「そうだな。君の優しさに救われた」


 ルイは深呼吸をするとニーナに向き合った。


「私からも礼を言う。ありがとう」


 そして、ニーナに向かって礼をしたあと、微笑んだ。

 その微笑みは普段のルイの言動に似合わず慈愛を帯びていた。昼下がりの陽光ように暖かだった。

 ニーナはそれを見て胸が痛くなった。両親ですら自分にこんなに穏やかな瞳を向けてくれたことはない。そういうものは全て美しいミーナのものだった。

 なぜだか、真っ直ぐ見ていられなくて、ニーナは下を向いた。


「どうした。疲れたのか?」

「いいえ……」


 本当のことなど言えるはずもない。ルイの笑顔を見て、胸の奥がツンとして悲しい気持ちになってしまった、などとは。自分でも意味がわからなかった。


「そろそろ帰ろう。病み上がりだからな」


 帰りの馬車の中、行きと同じく二人に会話はなかった。

 けれども、気まずさを感じる余裕もないほどに、ニーナはルイの微笑みを何度も思い返していた。


 * * *


「遅くなりましたが、先日は私を部屋まで運んでくださってありがとうございました」


 馬車を降りるとニーナはルイにお礼を言った。

 早めにブリジット地区を出発したはずだったが、時は夕暮れ、空は茜色に変わっていた。

 

「ああ。これからは気をつけてくれ。命に関わるからな」

「はい」


 ニーナは素直に返事をした。もうルイのことが怖くなくなっていた。嫌われていないこともわかっていた。

 ニーナの隣に立つ馬車につないである馬にも声をかけた。


「あなた達も運んでくれて今日はありがとう」


 返事をするように馬がいななく。ニーナは馬の首をゆっくりと撫でた。


「馬が好きなんだな」

「はい」


 ニーナは動物全般が好きだった。美しさでニーナを差別しないからだ。特に馬のことは好きだった。心を込めて世話をすればこちらのことを覚えてくれる。子爵家にいた馬はよくニーナに懐いていて、それがニーナの癒しになっていた。


「もしかして、ニーナは乗馬ができるのか?」

「少し」


 馬屋で世話係に少し教えてもらった程度だったが。


「もしよかったら、なんだが……」


 ルイが落ち着きなく目を瞬かせながら言った。


「次は馬に乗って農園地帯に行かないか? とても綺麗なところなんだ」

「はい!」


 きっと次も楽しい時間になるだろう、とニーナは思った。

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