第30話 美貌を奪われて

 ニーナはミーナの死体を抱いて泣いた。まさか、こんな風に別れることになるとは思っていなかった。


「ニーナ……すまない。こうなったのは私のせいだ」

「そんなこと……」

「君は攻撃魔法が消えるだけだと思っていたんだろう?」


 咄嗟とっさのことでそこまでは考えていなかった。


「レプリカだと宝飾士に伝えたのは私だ。本物だと言えば受け取ってもらえないかと思ったんだ……ニーナに危険が迫っているのはわかっていた。どうしても君を守りたくて、『女王の涙』を持たせたかったんだ。絶対に命を守ってくれるだろうから」

「……」


 これ以上泣いていたらルイを責めることになると思い、ニーナは涙をぬぐった。

 誰もミーナを殺したかった訳ではなかった。侵略を受けてすら、ルイはミーナの命を奪わなかった。

 それなのに、ミーナは死んでしまった。ニーナもルイもただ互いを守りたかっただけだった。しかし、『女王の涙』が魔法を跳ね返したということは、ミーナはルイを殺す気だったのだろう。

 涙をぬぐった後も、ニーナはしばらくうつむいたままだった。

 ルイは慰めるようにニーナの背中をなでていたが、突如、その動きが止まった。


「ニーナ!」


 ルイの焦ったような声音を不思議に思って、ニーナも顔を上げた。

 ミーナの体が金色に光っている。光は触れている部分を伝ってニーナの方へ流れ込んだ。

 ルイが呟いた。


「これは……一体……?」


 ニーナにも訳がわからなかった。

 光は全てニーナに移ってしまうと、何事もなかったようにふっと消えた。


(なんだろう……妙に体が軽い)


 それだけではなかった。気のせいかもしれなかったが、光が移る前より、心なしか指が細く、長くなった。コルセットでしっかり締められていたはずのウエストの位置も変わっていた。


「ニーナ」


 ルイに名前を呼ばれて、ニーナは振り返った。目の前にルイの顔があった。何かに驚いているようで、瞳が大きく開かれている。

 少しの間、二人は見つめあっていたが、やがてルイの表情がクシャリと泣きそうな表情に変わった。


「そうか……最初から、ザフィーラに来てくれていたんだな。本当に私は馬鹿者だ」

「ルイ!」


 男性の声が響く。オーギュストが聖杯の間に現れた。


「ルイ……ニーナさん!」


 続いて王妃も現れた。腕にガブリエルを抱いている。

 二人はニーナとルイの元に駆け寄り、その肩を抱いた。


「二人とも、よくがんばった」

「こうしてまた生きて会うことができて、よかったわ」


 はっとしてニーナはガブリエルの顔を覗き込んだ。


「ガビーは無事ですか?」

「ええ、今は眠っているだけよ」


 マリアンヌの穏やかな声にニーナは胸を撫で下ろした。本当に眠っただけなのか少し不安だったのだ。

 オーギュストが最初に腕を解いた。


「この人が女王の生まれ変わりだったのか」


 ニーナの腕の中にいるミーナを見下ろしている。

 オーギュストの問いにルイが答えた。


「はい。ニーナの妹で……帝国の皇太子妃です」

「なんと!」

「ですが……もしかしたら、この顔では帝国に返しても本人だとわからないかもしれません」


 ルイの言葉を聞いて、ニーナはやっとミーナの顔を見た。その顔は生前のミーナの雰囲気はあるものの、華やかさに欠けた。少し似ているくらいの別人だ。


(けれど……)


 幼い頃のミーナに似ている、とニーナは思った。


「何があった……っ!」


 オーギュストの目が今度はニーナの顔に釘付けになった。マリアンヌも同じだ。目だけでなく、口もポカンと開いたままになっている。

 まさかと思い、ニーナは自分の顔に触れた。しかし、当たり前だが触ったくらいでは自分の顔が変わったのかどうかよくわからない。


「ニーナの呪いは美しさを奪われる呪いだったのです。皇太子妃が亡くなることで呪いが解けました」


 ルイの言葉でニーナは自分の容姿が変わってしまったことをはっきり自覚した。

 オーギュストが困ったようにヒゲをなでる。


「そ、そうか……帝国の皇太子妃は類稀たぐいまれな美貌の持ち主だと聞いていたが、そういうことか……ニーナさんの妹君だ。もし、帝国が引き取らなかったとしても亡骸なきがらは丁重に弔おう」

「ありがとうございます」


 ニーナはオーギュストに床に額をつけて礼を言った。ミーナのしたことを思えば、あまりに寛大な扱いだった。

 マリアンヌはオーギュストにガブリエルを任せると、ニーナの手を取った。


「さあ、ニーナさん。一緒にこちらへ。ルイも行きましょう」


 マリアンヌとルイ、ニーナの三人は祭壇に向かった。

 ニーナ以外の二人が砕けた聖杯の破片を集め、割れ目を合わせ、一つにした。


「ニーナさんにも手伝ってほしいの。聖杯に魔力を注いで。そうすれば、元通りになるから」


 マリアンヌの呼びかけに応え、ニーナも聖杯に手を添えた。


「では、ガビーと魔法の練習していた時のように、意識を聖杯に集中させて」


 ニーナは目を伏せて、力を注ぐのに集中した。不思議なことに、聖杯に自分の魔力が溜まっていくのがわかる。ガビーと魔法の練習をしていても、こんな風に自分の魔力を意識できたことがなかった。これも呪いが無くなったおかげかもしれなかった。


「さあ、目を開けて」


 マリアンヌの声にニーナは顔を上げた。

 聖杯からヒビが消えている。

 底から水が湧き始めた。

 ルイがの残っていた台座に聖杯を置くと水があふれ、床の溝を通って塔の下に流れ始めた。

 変化は劇的だった。水の結界が遠くまで拡がっていくのをニーナは感じた。途切れていた線がつながって、全てが丸く収まったような感覚だ。

 マリアンヌが微笑んだ。


「ありがとう。ニーナさん」


 オーギュストが大きく両手を広げた。


「これで侵略のために我が国へ侵入した兵は国境の外へ追い出されたことだろう。さあ、これから忙しくなるぞ。復興だ!」

「見てくれ、火が弱まっていく」


 ルイがニーナの肩を叩き、崩れた壁の向こうを指差した。

 赤く染まっていた地平線がいつもの色を取り戻していくところが遠くの空に見える。


(……全部、終わったのね。もう大丈夫)


 気が抜けたせいだろうか。もう膝に力が入らない。

 ルイが抱き止めてくれたところで、ニーナは気を失った。


 * * *


 ダンスフロアの脇にあるバルコニーで、ニーナは夜の風に当たっていた。

 大きな窓からもれるダンスフロアの明かりがバルコニーを煌々こうこうと照らしている。おかげで、曇りで月も星もない夜だというのに、全く明かりに困らない。

 今日はニーナの歓迎舞踏会だった。

 式の主役が会場から出て一人夜空を見上げているだなんて、あまりいいことではないことくらいニーナも理解していた。ここザフィーラにはニーナを馬鹿にする人などいないし、そうでなくとも美貌を手にしたニーナを以前のようにけなす人などいない。

 にも関わらず、ニーナは人が多く集まる場が苦手なままだった。

 むしろ、美しくなったせいで余計に注目を集めるようになり、昔より一挙手一投足いっきょしゅいっとうそくに気をむようになった。

 これ以上自分を見ないで欲しい、その一心でニーナは舞踏会を抜け出して来たのである。いくら容姿が良くなろうと性格まで変わってしまう訳ではない。自分のために舞踏会がもよおされることに憧れたこともあったはずだが、現実はこのようなものだった。


(ルイ様には悪いけれど……これ以上は、もう)


 辛いと思ったら倒れる前に自分で対処できるようになったことが進歩と言えば進歩だろうか。

 ニーナはため息をついた。これからはルイの婚約者として、人前に出ることも慣れていかなければならないのに、前途多難だ。

 窓が開く音が聞こえて、ニーナは振り返った。

 窓辺にルイが立っていた。


「ニーナ。夜風は冷たいだろう。ストールを持ってきた」


 ルイはニーナの横にくると、白いレース地のストールをニーナの肩にかけた。


「ごめんなさい。ルイ様……まだ人目に慣れなくて」

「少しずつでいいさ。先は長いんだから。それに初めて会った時よりは、お互いうまく踊れたと思わないか? さっきは」


 注目が苦手なニーナでも一曲目から逃げ出すことはしなかった。あの夜とは違い、衆目の面前で二人はダンスを披露したのだった。

 ニーナはルイがダンスを苦手としていたことなど、この前まで知らなかった。舞踏会に王族として呼ばれることはあっても踊ったことはほとんどなかったのだという。踊ったとしても、相手の令嬢ががっかりするのを見て、どんどん気が削がれたのだ、と。

 ニーナに一目で好感を持ったのは確かだったが、それだけではなく、初めて一緒に踊ったとき、ルイのダンスが下手でもニーナが何も言わず楽しんでいたところも、ルイがニーナのことをいいと思った理由だったらしい。

 ニーナの方はというと、ただ単に相手のダンスの技量を気がつく余裕などなかっただけなのだが。しかし、気づいていたとしても指摘はしなかっただろう。

 また一つ弱い部分を知ったことで、ルイのことがよりいとしくニーナには感じられるのだった。


「今日まで復興で時間が取れなかった。舞踏会を開いておいて遅いかもしれないが……言わせてくれ」


 ルイがニーナの前にひざまづいた。ニーナの方へ手を差し出す。


「私と結婚してくれないか?」

「はい、よろこんで」


 ニーナがその手を取った。


「私からも言わせてください。お慕いしておりました。初めて会った日からずっと」

「ありがとう。私も愛している」


 ルイは立ち上がるとニーナの額にキスを落とした。

 ニーナの容姿もその性格も、そのどっちもをルイが愛してくれていることを、今のニーナはもう知っている。

 美貌がニーナの元に戻らなかったとしても、それは変わらなかったということも。

 美しさは人を引き寄せるためのきっかけでしかないのかもしれない、と最近のニーナは考えるようになった。

 雲間から月がのぞく。その温かな光はニーナたちの元にも届いた。

 ルイの体温を感じながら、ニーナは瞳を閉じるのだった。


≪終≫

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愛され子爵令嬢は美貌を奪われて けい @daystar82

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