第29話 解呪
ミーナが見ている前でニーナは剣を振り下ろした。
ミーナの笑みが深くなる。
カツンッと剣の切っ先が石材の床を叩く音が一度響いた。ところが、音は一度では終わらなかった。
合計で四つ、音を響かせると、ニーナはミーナの方に向き直った。その後ろでルイが体を起こす。
ニーナが剣を手放すと、ルイがそれを受け止めた。
「私は殺さないわ、ミーナ」
「ニーナ……あなた……」
ミーナが先ほどの笑みから一転、怒りのせいか、わなわなと震えた。
ミーナの憤怒を目の当たりにしても、ニーナはもう縮こまらなかった。
背中にルイをかばうつもりで、ニーナはミーナと向かい合った。
「私はルイ様を愛している。この心は誰にも侵せない!」
ミーナの瞳孔が小さくなった。その瞳孔の奥には赤黒い光が宿っていたが、頭痛が襲ってくることはなかった。
「ミーナ。あなたの言う通りよ。私はいつも愛されたいって、思っていた……だから、ずっと不安だった。私がどう思われているかばかり気にしていたから。でも、倒れている殿下を見てわかったの。私の殿下を助けたいって気持ちは、私にとっての変わらない真実だって」
術が効かないことに気がついたのか、ミーナの瞳からスッと光が消えた。
はっとミーナが短くため息をついた。
「だから、嫌だったのよ。あなたを外に出すのは……」
「ミーナ」
ニーナはミーナに呼びかけた。
「お願い。もうザフィーラを亡くそうとするのはやめて。あなたは思い違いをしているわ。この国の人たちは女王を軽んじてなんていない」
「何を……」
ミーナが困惑を示すように眉を寄せる。しかし、ニーナの話を聞く気はあるようだ。
ニーナは話を続けた。
「少なくとも私が出会った人たちは女王を尊敬したり、畏れたりしていたわ。もし軽んじていたねらば、女王のことをもっと憎しみを持って語るはずよ。雨を呪った人なのだから」
「あなただって、酷い扱いを受けたでしょう。美人ではないからって」
ニーナが首を振る。
「いいえ。この国の人たちは私が美しくなくても、優しく受け入れてくれた」
そして、少し悲しそうに胸に手を当てた。
「確かに婚約破棄はされたけれど……でも、それは私がルイ様の想い人ではなかったからよ」
「……っ!」
何か気に障ったのだろうか。ミーナの頰に朱が刺した。ニーナは構わず言葉を続けた。
「もし、私が美しかったとしても、ルイ様が想いを寄せるその人でなければ、同じことになっていたはずだわ」
「うるさい!」
ミーナが苦しみを吐き出すように叫んだ。頭の上に錫杖をかざす。
「その好かれなかった理由が不細工だったからなのよ!」
錫杖に雷光が集まった。
(魔法が、来る!)
攻撃を予感してニーナは目をつぶった。
その時だ。
ニーナの隣を熱波が駆け抜けていった。
ミーナの右手が腕ごと切れた。錫杖を握ったまま吹っ飛んで、ごとりと床に落ちる。
「あああああああああああ!」
ミーナの悲鳴が響いた。
ミーナは右肩を左手で押さえうずくまった。失血死してもおかしくない怪我だったが、幸い、傷口は焼き切れていて血は一滴たりとも流れていなかった。
ニーナはハッとして後ろを振り返る。
ルイがミーナに向けて剣を向けていた。
「はあ……、はあ……よくも」
ミーナが憎々しげにルイを睨んだ。
「さしものあなたでも、その傷を癒すほどの力はすでに残っていまい。利き腕を失っては攻撃魔法を打つこともできないはずだ」
ルイの言葉を肯定するかのようにミーナが無言のまま後づさる。
しかし、ルイの動きはミーナより早かった。
魔法で距離を詰め、あっという間に足払いをかけてミーナに尻もちをつかせると、その首に剣を突きつけた。
「ま……待って。まさか、ニーナの目の前で私を殺すつもり?」
まさかこうもあっさり形勢が逆転するとは思っていなかったのだろう。ミーナの声に初めて焦りの色が浮かんでいた。
「わ、私はニーナの妹なのよ? ニーナは、あなたに振り回されて、一番の被害者なのに、そんなことはしないわよねぇえ?」
剣の切っ先がミーナの喉に突きつけられた。
「ぎゃああああああ」
ミーナの顔が苦痛に歪んだ。脂汗が額から落ちる。呼気が乱れて、ゼエゼエと喉が音を立てた。
ルイが剣を引くと、切っ先の近くの皮膚が赤く腫れて、火傷になっていた。
「今すぐ全ての呪いを解け」
「ゼェ……ゼェ……わかったわ。雨よ……苦しみを忘れなさい」
ミーナが雨を慰めるように言った。
変化は魔法に疎いニーナでもすぐにわかった。今まで肩にかかっていた重さがフッとなくなった。雨音すら優しくなったと感じるほどだ。
ルイがニーナに向かって尋ねた。
「体調に変化はあるか? ニーナも呪われていただろう」
「あ……」
雨の変化はわかったものの、ニーナは自分に起きた変化はよくわからなかった。
「わからない……」
「おい」
ルイが切っ先をミーナに近づける。
「ひ……そ、その子の呪いは特別なのよ! 一生解ける事はないわ」
「な! 一生だと?! ニーナから何を奪った?」
ミーナが脂汗を流しながら、痛みに崩れた笑みを浮かべた。
「美しさよ。誰もが憧れてやまないほどに美しく生まれたのは私ではないわ。ニーナ、あなたなの。私があなたの美貌を奪って自分のものにした」
「ニーナ……」
ルイが気の毒そうにニーナを振り返った。
ニーナはルイの気づかわしげな視線に首を振った。
「だったら、もう、このままでいい」
「なんですって?」
ミーナの顔にあり得ない、と書いてあった。ニーナは心がけて微笑んだ。
「だって、この顔でもこの国の人たちは受け入れてくれたもの。私のことを好きだと言ってくれる人もいた。……もしかしたら、恋は別かもしれない。私が好きな人は、もっと綺麗な人が好きなのかも。でもね、その時には別の人を探すわ」
「綺麗事をブ、ひいっ!」
ミーナが何か言おうとしたが、ルイがミーナの首に剣を近づけ、それ以上喋らせなかった。
先程の苦痛を思い出したのだろうか。ミーナは再び突きつけられた剣に目を白黒させてる。
「ま、待って! 私にできることはやったわ。呪いも解いたし、もういいでしょ! むしろ生かしておいた方がいいんじゃない? 私には利用価値があるもの。だって私は侵略国の皇太子妃なんだから」
ルイが眉間の皺を深くした。
「つまり捕虜として扱えと?」
「ええ。殺してはまずいわよね……フフフ」
ミーナが口の端を
ルイは深いため息をついた。
「かつては婦人を殺し、国を呪った女王だったとしても、今のあなたはニーナの妹だ。呪いが終わった今、殺すつもりはない」
「よかったわ。王子殿下がお優しくて」
ミーナが座り込んだまま、左腕を使って後ろに下がった。その先にはミーナの右腕が落ちている。
「だが!」
ルイが剣を持っていない方の手を水平に振った。すると、ミーナの落とされた片腕が中に浮く。透明の四角い箱が現れ、その腕をすっぽりと覆った。
「この腕は我が国があずかる。再生することがないよう呪いをかけてな。二度とこの地を踏むことは許さん」
「はは……わかったわ……」
ルイが拳を握ると透明の箱ごと片腕が消えた。
ミーナが諦めたようにがっくりと肩を落とす。
ルイは剣をしまうとニーナに駆け寄った。
「ニーナ!」
「ルイ様、よかった。ご無事で」
ニーナもルイの方に駆け寄ると、ルイはニーナの腰を抱いて持ち上げた。
「きゃあ」
ニーナの小さな悲鳴にかまうことなく、ルイはニーナを持ち上げたままくるくると回った。
「やったぞ! 呪いを解いた。長い苦しみが終わったんだ」
ルイが笑っている。ニーナもつられて嬉しくなった。
「これもニーナのおかげだ。ありがとう」
「私は……何もしてないわ」
「そんな事はない。ニーナが女王の魔法に打ち勝ったおかげだ」
ルイは興奮気味に言った。だから、気づいていなかった。その後ろでミーナが立ち上がり、左手で錫杖を拾っていることを。
ニーナがいち早くそれに気がついた。
ミーナが杖を構える。黒い宝石の内側にはすでに雷光が集まっていた。
「バカね! 私は左手でも打てるのよ」
錫杖から
「ルイ!」
ニーナがルイを庇うように両手を広げ、ミーナとの間に入った。
雷は音よりも速く進み、ニーナの胸を撃った、ように見えた。
ところが、どういうわけか雷はニーナの胸にぶつかる直前、その方向を変え、ミーナの元へ飛んでいった。
雷がミーナの胸を撃ち抜いた。ミーナがゆっくりと後ろへ倒れる。
「ミーナ!」
ニーナはミーナの元に走った。倒れた体を抱き上げる。
ミーナは驚いたような表情で空を見上げていた。その瞳にはすでに光はない。
「ミーナ……そんな……待って、そんな」
ニーナは首を何度か左右に振った。涙がミーナの胸の辺りにパタパタと落ちる。あのミーナが死んでしまうなんて信じられなかった。
魔法を跳ね返したのは、ニーナの胸に光る涙型の宝石だった。
ミーナの瞳がニーナの方へ向いた。
「……そう」
掠れた声がミーナの喉から漏れた。左腕が宝石に触れようとする。
唇が微かに弧を描いた。
「……本物、だったのね……」
左腕が垂れ下がった。それきり、ミーナは動かなくなった。
「ミーナ……ミーナ! どうしよう……待って、いかないで……」
涙が止まらない。どれだけ涙で濡れようと、ミーナから反応が返ってくることはなかった。ただその体から体温が失われていく。
ニーナの背中が嗚咽に合わせてゆれる。
雨はいつの間にか止んでいた。
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