第25話 透目

 ガブリエルはゆりかごの中で熟睡していた。

 その体がゆっくりと空中に持ち上がった。そのまま宙をふわふわと漂い始める。この後に起こることは毎回決まっていた。

 フッと糸が切れたようにガブリエルの体は床に落ちた。床にはクッションが散乱していて、そのうちの一つがガブリエルの体を受け止める。

 その衝撃でガブリエルは目を覚ました。


(また寝ぼけて落ちちゃった……ッ?!)


 強烈な気配を感じて、一気に眠気が吹き飛んだ。

 今まで生きていて(と言ってもたった十ヶ月だが)感じたことがないほど邪悪な気配だった。その気配は人を呪う雨に似ている。


「あーうー」


 とうとうその時が来た、とガブリエルは直感した。避けられぬ戦いの時が来たのだ。

 窓の外は暗い。予知夢によれば、ニーナが鏡に閉じ込められるのは夕方だったはずだ。とするならば重要なタイミングを寝過ごしたことになる。


(早くルイ兄に伝えないと。『粛清の炎』を振るうときが来たって)


 ルイの気配がする方へ、ガブリエルは瞬間移動した。


 * * *


 ニーナは夢を見ていた。小さい頃の夢だ。

 細く開いたドアの隙間から広間の方を見つめている。

 広間では小さなニーナが大きなうさぎのぬいぐるみを抱いて、両親に何かを楽しそうに話している。うさぎのぬいぐるみは、ニーナの八歳の誕生日プレゼントだった。

 玄関へと続く入り口の周りにもたくさんの箱が山積みになっている。この頃はまだ、人々の関心の中心にいるのはニーナだった。

 ニーナは八歳の自らを食い入るように見つめた。

 長い睫毛、大きな夜色の瞳に艶やかなプラチナブロンドの髪、ほんのりと色づいたほっぺに珊瑚色の唇、子どもの割に高い鼻。すでに完成品かのように整っていて、まるで砂糖菓子のように可愛らしかった。ソプラノの声すら甘やかで、ずっと聞いていたくなる。

 何もしなくても、存在するだけで、周りを幸せな気分にする力がその容姿にはあった。

 ニーナと一緒にいる両親の表情はここから見えない。笑っている、という雰囲気ではなかった。


(考えてみれば……昔から、二人とも笑う人ではなかった。私たち二人に対しても無表情で……いろいろ物を買ってはくれたけれど……お父様なんて会うことすら稀で……お母様も一緒に過ごす機会は少なかった……)


 ニーナと一緒にいたのは、いつも妹のミーナだった。それはミーナにとっても同じだったはずだ。年頃になり、ミーナがデビュタントを果たすまで、ニーナたちは家の中で二人きりだった。

 

(ミーナはどこにいるのかしら……近くにいるはずなのに)


 部屋にミーナの姿はない。八歳のニーナはそれに気づいていないようで、一所懸命に両親の関心を得ようと話しかけていた。この頃の誕生日は両親に必ず会える数少ない機会だったのだ。


(もしかして、これはミーナの記憶……?)


「ミーナ!」


 ニーナがこちらに気づいたようだ。こちらに来てミーナの手を引く。


「折角、お父様とお母様がいるのよ。一緒にお話ししましょ」

「いいえ」


 ミーナが首を振った。


「可愛くない私はいない方がいい」

「ミーナ……」


 ニーナが悲しげな表情を浮かべている。

 ドアが閉じて隙間が消えた。辺りは真っ暗になった。


 * * *


 王城の北、城で最も高い塔へと続く扉の前にルイとミーナは立っていた。

 北の塔は城の中で唯一、ニーナがまだ案内されていない場所だった。扉の前に立ったことすらない。アメリですらその扉の存在を知らなかった。

 それもそのはずで、北の塔の周りは普段立ち入り禁止になっているのだ。扉は鍵が近くに無ければその姿をあらわすことすらない。

 この塔の最上階には、ザフィーラにおける最大の秘密、エンディミオンの聖杯が置かれていた。

 厳重な防護魔法が施されているのと対照的に、目に見える扉の姿は城の倉庫を閉じているのと変わらない、木で造られた普通の扉だった。

 唯一特徴があるとすれば、黒い掛け金に金色に輝く南京錠がかかっていることだ。驚くべきことに、その南京錠には鍵穴がなかった。

 ルイが呪文を唱えた。


「鍵よ《クラーウィス》」


 ルイの手のひらの上に南京錠と同じ金色の鍵が現れた。

 ルイは後ろに立つニーナの顔色をさりげなく窺った。

 ニーナは目を細め、厳しい目つきでこちらを見ている。その立ち姿は尊大で強者たる空気をまとっていた。人を従わせることに慣れた態度だ。

 ニーナがこのような様子でいるところをルイは初めて見た。

 いつもの彼女は所在なさげで、ルイの視線に気がつくと、野花が人知れず開くときのように笑う。しかし、今日ルイに向ける笑顔は棘を隠すバラのように華やかだが攻撃的だ。

 体調不良というには背筋を伸ばし、威勢よく振る舞っている。どうにも様子がおかしかった。

 ルイは鍵を手のひらに収め、ニーナの方を振り返った。


「これから聖杯の間の鍵を開ける。扉の先は階段だ。それもかなり長い……体調が悪いのなら、やめた方が……」

「何度も同じことを言わせないで。私は今日、聖杯を見たいの」

「……」


 ルイはやはりやめよう、と言いかけてやめた。いらだちがニーナの表情ににじんでいた。聖杯の間に誘ったのは自分だ。ニーナがそこまで見たいというのなら、連れて行くのが筋であるように思えた。

 改めて、ルイが鍵を錠前にかざそうとした、そのときだ。

 ニーナとルイの間にガブリエルが現れた。


「ガビ?」


 ルイの手が止まった。

 ガブリエルが小さな手でニーナを指差した。


『こいつは偽物だ! ニーナじゃない』

「な!」


 ルイはニーナに対し身構える。

 ニーナはガブリエルの指摘にも関わらず全く動じていなかった。


「どうしたの? ルイ」

「どうしたの、だって? いつもと様子が違うとは思っていたが……何者だ」


 ニーナが小さな笑い声を立てた。


「まさか、そんな赤ん坊が言っていることを間に受けるの? 思考を言語にして飛ばす魔法はすごいけど……でも、子どもよ。遊んでいるだけよ」


 ガブリエルが鼻を鳴らした。


『残念だったね。僕は透目すきめだ』


 透目は魔力の質も見通す。

 ニーナがドレスのスカートを大きく蹴り上げた。ルイとガブリエルの視界が夜色のスカートに一瞬さえぎられる。

 その一瞬の間にルイの手の中から鍵が消えた。


「しまった!」


 ニーナは鍵の持ち手の部分を錠にかざした。南京錠だけでなく、扉全体が虹色に変化したあと、跡形もなく消える。扉の奥には螺旋階段が伸びていた。

 ニーナは螺旋階段を走って登り始めた。

 ガブリエルが叫んだ。


『あいつは女王だ! 粛清の炎を使って』

「わかった。ガビは父上たちにこのことを知らせてくれ。そして、本物のニーナを探すんだ」


 ルイはニーナの体に入っている女王を追う。


『まかせて』


 ガルリエルはルイの背中を見届けると、ニーナの部屋へ向かって瞬間移動した。

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