第24話 赤バラの温室

 ニーナの体に入ってから少し経つと、ルイの執事と思しき男が部屋に来て、ミーナを食事会がある温室まで案内してくれた。


(とうとう戻ってきた。敵に思う国であっても、思い出の場所は懐かしく感じるものなのね)


 その温室はザフィーラの前女王が作った庭園だった。いつでも赤いバラを愛でることができるように、丹精込めて作った。おかげで、この温室はいつ来てもバラの香りで満たされている。


(よく貴族を呼んでは茶会をしたわ……それも政治の一環だった。誰もが私をほめそやして)


 そこまで考えて、ミーナは記憶に蓋をした。そこから先はいい思い出ではない。

 ミーナは女王の生まれ変わりだった。三歳を過ぎた頃から、ミーナは女王だった頃の記憶を思い出すようになった。魔法の知識もそこから得た。そして、彼女の抱いた憎しみさえも。

 記憶を全て取り戻してからというもの、ミーナは女王の意識で生活している。

 性格も変わってしまって、もはや元のミーナがどのような子だったかなど、ミーナ自身にもわからなかった。

 しかし、おそらく女王とそう変わらない気性をしていたのだろう。ミーナにとって、かつてザフィーラの女王であったことは、ピッタリと心に馴染む現実だった。

 温室の中央に会食用の長いテーブルが置かれていた。その両端に、背もたれの長い赤いビロード張りの椅子が用意されている。

 椅子の隣でルイが待っていた。ルイは女王にとっては甥にあたる男だ。

 その容姿は女王の弟よりその妻に似たようだった。黒髪に褐色の肌は見慣れないものの、ミーナの目から見ても整った容姿をしている。

 長い睫毛の奥にある暖かみと冷徹さが同居したような灰色の瞳に見つめられれば、それだけで恋に落ちてしまう令嬢は多いに違いない、とミーナは冷静に分析した。ニーナはこれがよかったのだろうか。

 ルイがミーナに笑いかけた。


「よく似合っている」

「ありがとう」


 ミーナもルイに笑顔を返した。中身がニーナからミーナにすり替わっていることには全く気がついていないようだ。この王子は魔力の質を見分ける目を持っていない。いくら美しくとも能力が伴わなければ、ミーナにとって障害ではなかった。

 ルイが椅子を引き、ミーナに座るようにうながした。


「今日は特別に我が国で最も人気のあるシェフを呼んである。私も久しぶりだから楽しみだ」


 ルイが席につき、ベルを鳴らすと食事会が始まった。

 食前酒、前菜、スープ。お馴染みの順序で料理が運ばれてくる。

 沈黙を気にしているのか、ルイはミーナに何かと話しかけてきた。その度にミーナは無難な返事をする。早く食事会が終わって欲しかった。


「食欲がないみたいだな。体調が悪いのか?」


 あまり真面目に食べていないのを見抜かれたみたいだ。


「ごめんなさい……少し」


(気に入らないから食べないだけよ。でも、体調が悪いと思い違いをしてくれたのは好都合だわ)


 ミーナは目の前のルイを上目遣いに見た。ルイは心配そうにこちらを見つめている。満月の夜に出会った、それだけの理由でニーナと婚約をした男だと思うと、我が甥ながら反吐が出た。

 八年前、ミーナはニーナに呪いをかけた。美貌を奪う呪いだった。奪った美貌は自らのものにした。ミーナが受ける好意は全て、本来であればニーナが手にするはずだったものだ。美貌と一緒に人々の好意さえニーナは失った。

 ただし、例外となる日が存在する。それが満月の日だった。

 月の光は呪いを祓う。ニーナにかけた呪いは、雨の呪いのように解けることはないが、満月の下ではニーナに美貌が戻ってしまう。

 それを逆手にとってミーナは計略を企てた。美しいニーナを使って、聖杯による鉄壁の守りを持つザフィーラに風穴を開けるのだ。

 女王のことを書けば、必ずザフィーラは婚約式に王族を派遣する。弟が男子を二人もうけたことは風の噂で知っていた。その長子がちょうどニーナと歳の頃が同じことも。ニーナに出会えば、ザフィーラの王族ならば食いつくのではないかとミーナは考えた。

 ミーナの思惑通り、王子はニーナに婚約を申し込んだ。何も知らないニーナは聖杯の結界をすり抜け入国を果たした。


(鏡を使ってニーナと繋がったときは、機会を失したかと思ったけれど)


 ミーナの予想に反して、三ヶ月ぶりに会ったニーナは美しく着飾っていた。

 王子がニーナの顔を見れば、すぐに婚約破棄されると思っていたのだ。婚約破棄後も、雨季のために三ヶ月は城に滞在することになるのはわかっていた。三ヶ月後、孤独で弱りきったところを狙い、ニーナの体を乗っ取る。それがミーナの計画だった。

 ところが、ニーナは幸せそうにしていたのである。

 最初に感じたのは怒りだ。ニーナにまで裏切られたと感じた。不細工のくせに、調子に乗って許せないと思った。

 次に、自分の計画が崩れたかもしれないという危機感に襲われた。もし、ニーナが愛することに目覚め、自我を強く持つようなことがあれば、彼女を操れなくなってしまう。心を支配する魔法には、相手からの強い依存心が必要だった。

 しかし、よくよく話を聞いてみると、やはり婚約破棄はされたようだった。しかも、自分が作った最高傑作『女王の涙』のレプリカなんてものを渡されていた。いくら大粒のダイヤでも偽物は偽物でしかない。本物の『女王の涙』とは比べるべくもないのだ。

 結果、ニーナに芽生えかけていた自我をへし折り、ミーナは当初の目的通りニーナの体を手に入れた。


(全て破壊してやる)


 この国を地図から消すことがミーナの目的だった。特に女王の遺産は念入りに破壊し尽くさなければ気が済まなかった。


「聖杯の間に行くのでしょう? できれば、早く聖杯を見てみたいの」


 ミーナはナプキンで口を拭った。これ以上食事を続けるつもりはなかった。

 ルイが席を立ちながら言った。


「いや、体調が悪いなら次の機会でも……」

「それはダメ! 今日見たいの」


 体の乗っ取りはそう何度も使っていい魔法ではないのだ。今、聖杯の間への鍵を持っているのが王子だというのなら、連れて行ってもらわないと困る。


「……わかった。ついて来てくれ」


 ルイはミーナの後ろに立つと椅子を引き、手を差し出した。

 ミーナの口の端が上がる。待ち望んでいた瞬間はすぐそこに迫っていた。

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