第22話 女王の涙

 食事会の日、ニーナの部屋に宮廷御用達の商会の長が来た。

 商会長は妙齢の女性だった。メガネ越しに抜け目のない視線をニーナに向けたあと、彼女はうやうやしくあいさつの言葉を述べた。


「殿下からの贈り物です」


 等身大のマネキンと一緒に深い藍色のドレスが一着、部屋に運び込まれた。

 星空のようなドレスだった。スカートの部分がふわりと大きいプリンセスラインのドレスで、裾には細かなプリーツと共に爪の先にも満たない小さな宝石がいくつも縫いとめられ、それが幾重にも重なっている。胸元は大きく開いていて肩まで出ている。肩口にはスカートの裾と同じく小さな宝石が縫いつけられていた。

 一見すると静かな印象のドレスだったが、見つめているうちに引き込まれるような魅力をそのドレスは放っていた。

 ドレスだけでなくそれに合わせる靴や長手袋、肩にかける薄手のショールがマネキンの近くに置かれた。

 マネキンを見上げて、ニーナは後ずさった。


「こんな綺麗なドレスを私に……? 無理よ。もったいなくて着れないわ」


 商会長はメガネを指先で上げた。


「左様でございますか。私どもの仕事はこちらをニーナ様に届けることですので。あとはご自由になさってください」


 さらに、商会長はあらかじめ持っていた角に金属が打ち付けてある、薄いけれども画用紙ほども大きさのある四角いケースをテーブルの上に置いた。付き人から鍵を受け取り、箱を開く。


「こちらもお届けするように申し受けました。宝飾士にご依頼があった品になります。ご要望通りにデザインさせていただきました」


 箱の中には涙型の大粒のダイヤモンドが中央に使われている豪奢なネックレスと、ピアスのセットが入っていた。

 アメリが商会長に尋ねた。


「このダイヤは、もしかして『女王の涙』ですか?」

「この一番大きいダイヤのこと?」


 ニーナが中央にある涙型のダイヤモンドを指差した。アメリが首肯しゅこうする。


「ええ。私も教科書でしか見たことがありませんが……女王が作った魔具の中でも最高傑作と言われている宝石のことです。女王の王冠に使われていて、先王が女王との戦いに苦戦した理由の一つだったと」

「こちらはそのレプリカだとルイ殿下から承っております」


 商会長はポートレートブックを開いた。そのポートレートには魔具とその効果が細かく記載されていた。王冠のページを開くと、テーブルの上に広げる。そのページには『女王の涙』について詳しく書かれていた。


「『女王の涙』には全ての死に至る魔法を跳ね返す効果がありました。女王は鏡を使った魔法を得意としておりましたから。こちらのレプリカは『女王の涙』と同じ等級、同じ大きさのダイヤモンドを使い、効果を再現する努力をされた品で、死に至る魔法を一度だけ無効化する力があるとうかがっております」


 ニーナは首を振った。レプリカだと言うが、ニーナには身に余る宝石だ。

 なぜ、自分にルイがこのような過分な贈り物をするのかわからなかった。似合うとも思えない。身につけたところで、装飾品に容姿が負けて、ちぐはぐな見た目になる想像しかできなかった。


「そんな高価な品をなおさら受け取れない……私は殿下にとってこんなことをしてもらえるような人ではありません」


 商会長はじっとニーナを見つめたあと、鍵をケースの隣に置いた。


「あとはご自由に、とは申し上げましたが……贈り物を届けることは、贈り主の心を届けることだと、私どもは思っております。どうか、お受け取りください。それでは私共は失礼させていただきます」


 一礼ののち、商会長は部屋を去った。

 アメリがマネキンからドレスを外した。


「折角なので、まずは合わせてみましょう。鏡の前に立って見て下さい」


 鏡の前に立つニーナにアメリがドレスを合わせた。


「ほら、よくお似合いです」


 ドレスはニーナの存在を押しのけることなく、ひっそりとニーナに寄り添っていた。ドレスの華やかさはニーナの華やかさになったようだ。


「まるでニーナ様のために作られたドレスですね。こちらのネックレスも」


 アメリがダイヤモンドの台座に触れ、指先で留め具をひねると、ダイヤモンドが外れた。


「こちらは宝石ですが、魔具でもありますから、持ち歩けるようにしてあるのでしょう。いつでもニーナ様の身を守ってくれるように」

「でも、私は……」


 ニーナが言葉を選んでいると、アメリが言った。


「分不相応だとおっしゃるのですか?」

「ええ」

「ニーナ様はどうしたいのでしょう」

「私?」


 言葉を聞き返したニーナに、アメリは深くうなずいた。


「似合うとか、ぶんだとかそんなことは関係なしに。ニーナ様はこの贈り物をどう思いましたか?」


 アメリが腕を組んだ。


「私がニーナ様の立場なら、正直、ちょっと重いな、と思います。『女王の涙』なんて、レプリカだとしても婚約者でもないのに押し付けられたらキツいです」

「知ってたの? 私が本当は殿下の婚約者ではないこと」


 知っていて今まで自分につかえてくれていたことにニーナは驚いた。


「ええ。最初の満月の日に聞きました。自分から婚約破棄したくせに今更こんなもの贈ってくるなんて。しかもデザインは全部殿下の趣味でしょうし。せめて先に聞けよって思います」

「ハッキリ言うのね」

「もちろん」


 ニーナはアメリの言いように少し笑った。


「でも、ニーナ様は? きっと殿下なりに考えて贈り物を選んだのだと思うんです」


(私は……)


 ニーナはドレスを見つめながら考えた。


(もし、これが、婚約破棄の前の出来事だったら、とても嬉しかった……きっと殿下の好意を信じていられたから)


 ニーナは気がついた。自分にとって一番問題なのは、ルイの気持ちを信じられないことだったのだ。もし、他の誰が似合わないと言っても、ニーナを不細工だと言っても、ルイが喜んでくれるなら、それでよかった。

 

(殿下はどうして私にドレスを送ったのだろう。私はそれが知りたい)


 帝国の常識では、ドレスを贈るのは好意の表現だ。


「もし、殿下のことが重いなら、このプレゼントは私が全部突き返して差し上げます。私はニーナ様の侍女ですから」

「いいえ」


 勇気を持ちたかった。


「アメリ……私は、そんなに美しくないわ。だけどね」


 ニーナはアメリを振り返った。


「今日だけはできうる限り綺麗にしてほしいの」

「お任せください」


 アメリが自信ありげにウインクした。

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