第21話 穴の空いた器
ルイが自室のベッドの上で目覚めたとき、すでに窓の外は真っ暗だった。
(どれくらい寝ていたのだろう。馬から降りたところまでは記憶がある。雨に当たっていた時間からすれば、今は深夜だろうか)
聖杯から与えられた浄化の力のおかげで雨に当たっても呪われることはない。しかし、許容量を超えると体内に入った悪い気を打ち消す間、ルイは眠ってしまうのだ。
最後までニーナを部屋に送り届けられたのかどうか、少し自信がなかった。
お腹の辺りに重さを感じて視線を落とすと、見慣れたプラチナブロンドが飛び込んできた。
(これはどういう状況なんだ?)
ニーナが椅子に座ったまま、ベッドに寄りかかるようにして寝ていた。
ルイはサイドテーブルにあるベルを鳴らした。少し経ってから、クリスがピッチャーを乗せたワゴンと共に寝室のドアを開けた。
「気分はいかがですか?」
「悪くない。ニーナはなぜここに?」
クリスが差し出したゴブレットの中身をルイは一気に飲み干した。冷たい水が眠気を取り去り、頭がはっきりする。
「看病をしたいというので残ってもらいました。城に着いたときには殿下はもう余裕のないご様子でしたから、心配されたようですよ」
「まさか途中で寝てしまったのか?」
だとしたら、守らせてくれ、などと言っておいて格好悪すぎる。
「いいえ。ちゃんとニーナ様を部屋に送り届けるまでは起きていらっしゃいましたよ。ニーナ様が殿下のご容態を気にされて、後から私を訪ねてくださったのです」
「そうか」
ルイは指先でニーナの髪をなぞった。
「君が私の隣にいてくれたのは、好意なのか? それとも、ただの罪悪感か」
(どうしたら君の傷を癒せるのか、私にはわからない)
一緒に城下町を散策してからというもの、ニーナと関わるようになって、ルイは気づいたことがあった。
それはニーナの癖だ。彼女は他人からどんなに軽んじられても怒るということがなかった。ルイの婚約破棄に対して怒らなかったのは身分の差だと理解ができなくもなかったが、城に避難していた町人に対してですらそうだった。
どうやら相手の失礼ですら、自分のせいだと考えている節がある。自分はそういう扱いをされて当然の人間だと。そして、困惑しながらも、相手に尽くすのだ。
どう考えても悪癖だった。自分に失礼をはたらく相手などさっさと見切ってしまうに限る。付き合う価値など無い相手だ。切ることができずとも、せめて、距離を取るのが順当だった。しかし。
(それも、彼女の家庭状況を聞けば、納得はできる)
ニーナの呪いを調べるために行った調査の過程で、ルイはニーナが生家でぞんざいに扱われてきた事実を掴んでいた。
妹のベルヘルミナがあまりに美しかったがために、日陰者となったニーナ。
彼女が持つドレスも何もかも妹のお下がりだというのだから驚いた。道理で本人に似合っていないはずだ。
しかも、ザフィーラが彼女の実家に贈った支度金もプレゼントも本人の手には全く渡っていないというのだから、扱いの軽さが徹底している。
おそらく、バカにされても怒らず、他人に対して尽くすことでしか、ニーナは自分の居場所を作ることができなかったのだろう。だから、自分にとって生きにくいやり方を処世術として身につけてしまった。
最悪なのは、ニーナの傷にルイ自身も加担してしまったことだ。会ってすぐに婚約破棄を言い渡すなど、容姿を理由に彼女を拒絶したと受け取られて当然だった。
ルイとしては別人がきたことで自分がフラれたと早とちりしたのであって、ニーナ自身を拒否したわけではなかったのだが、結果、そういうことになってしまっていた。
せめてあの時、少し手違いがあったかもしれない、くらいの穏やかな対応していればと悔やまれてならない。
「お好きなのですね。ニーナ様のことが」
クリスが静かに聞いて来たので、ルイはうなずいた。
しかし、今更どのような顔をして、やっぱり婚約破棄は撤回してほしいなどと言い出せばいいのか、ルイにはわからなくなっていた。
「もう許してはもらえないのだろうか」
「それはご本人に直接言えばよろしいのでは? 相手が眠っているときに言うなんて、らしくないですよ」
ゴブレットをワゴンの中にしまいながらクリスが肩をすくめた。
「言ったさ。今日、謝ってきたよ。だが、途中から泣かれてしまって……彼女は婚約破棄を自分のせいだと思い込んでいる。どうすればいいんだ」
ルイはニーナを起こさないように、そっと、ニーナがいるのと逆の方からベッドを降りた。
「これでは何を言っても、私の気持ちが伝わる気がしない」
クリスが首を傾げた。食事の準備のために居室へワゴンを移動させる。
「ストレートにほめてみては? 可愛いとか。綺麗だとか。服が似合ってるくらいでは表現が弱いですよ」
ルイの顔が瞬間的に赤くなった。
「そ……そんな恥ずかしいこと私が言えるわけないだろう!」
ルイの怒鳴り声のせいで、ニーナが少し唸った。ルイはそれに鼻白む。そそくさと寝室を後にした。
その様子を見ていたクリスが鼻で笑った。
「その程度も言わなかったんですか? 殿下は全くもってポンコツですね。婦人に対して褒め言葉くらい息を吐くように言えなくてどうしますか」
「息を吐くようにって……それもどうかと思うぞ?」
「いいじゃないですか。相手が喜ぶんですから」
ルイは寝室へ続くドアを静かに閉めた。呆れたようにため息をつく。
「クリスがそういうタイプだってことを私は初めて知ったよ……」
「私は殿下がポンコツであることを初めて知りましたがね。予想はしていましたが。それでどうするんですか? このまま三ヶ月が過ぎてしまえば、ニーナ様は自分から帰ると言い出しますよ。この国にいるのは申し訳ないと言って」
「わかっている」
とはいえ、ニーナを目の前にして褒めるなんてルイにはできそうにない。それこそ服が似合ってるくらいがルイにできる精一杯だ。
「褒めるのが無理なら、もう気持ちをそのまま伝えましょう。好きだって」
ルイの口の端が引き攣った。
「それができたら苦労はしない。結婚しようと告げる方がまだ楽だ。結婚は制度だからな。けど、好きは……私の気持ちだ。どうしても、恥ずかしくて無理だ」
まあ、気持ちはわからないでもないですねえ、とクリスは
「なら、やっぱり婚約破棄はやめるって言えばいいのでは? あるいは婚約の申込みを最初からやり直すか……」
ルイが肩を落とした。
「彼女は私のことが嫌でも、言えば申し出を断らない。だから嫌なんだ……先に少しでも私のことをどう思っているのか彼女の気持ちが知りたい。本当の気持ちを、だ」
クリスが頭を抱えた。
「はあ?! 相手の本当の気持ちを知りたい? 断らないことがわかっているならもうそれでいいでしょう。純情発揮しすぎです! めんどくさ! アンタのそれはヘタレなのと紙一重ですよ。いやもういっそヘタレだ」
「……そうかもしれないが……ヘタレはないだろ、言い方……」
クリスは素早くワゴンから食事を取り出して並べていく。どんなに口を動かしても、手が止まることはない。それがクリスだった。
「酷いのはどっちですか。相手の本当の気持ちなんてわからないのが当たり前です。私の婚約者だって私のことをどう思っているかなんて、私は知りませんよ。でも、いいんです。私は。彼女が私を拒否しないでくれるなら」
「……」
「殿下のそれは、贅沢な話ですよ。婚約破棄の件や、ニーナ様の性格を思えば、そう考えられるのも仕方がない気もしますがね」
「……そんなものか」
ルイは昼間のニーナの様子を思い返した。流石に嫌われてはいない、と思いたいところだ。
ルイは決断した。
「彼女にもう一度婚約を申し込む。そのとき、聖杯の間に案内しようと思う。私の本気を示すために」
国の守りの中心である聖杯の間は、ザフィーラにとって最も秘された場所だ。そして、王城で最も高い場所でもある。景色の良さも抜群だった。
「それならば、お食事に誘い、その後案内してはいかがでしょう。会食の前にはドレスや宝飾品を送るのです。殿下がニーナ様に似合うと思うものを精一杯選んでね」
そうすれば少しは殿下の気持ちが伝わると思いますよ、とクリスは最後に言い添えた。
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