第6話 偽物

 ルイは自分の執務室に戻ると大きなため息をついた。


(なぜ、こんなことになったのだろう)


 始まりは隣国から婚約式の招待状が届いたことだった。

 これが普通の招待状だったら、ルイは出席しなかった。

 ザフィーラの王族は慣例として他国と外交を行わない。それは必要がないからでもあったし、国内にある魔法の知識や技術を外に漏らさないためでもあった。国土は豊かで飢えを知らないし、国民の生活は安定していた。さらに魔法による強固な守護で他国に攻められる危険もない。ザフィーラから魔法の知識やそれによって作られた魔具を得たい国はあっても、ザフィーラの方から外に求めるものはなかった。

 特にここ二十年は意識的に国内に留まるようにしている。

 ところが招待状には、簡単な挨拶と式の日時以外に、気になる文言が書き添えてあったのだ。


【王国で唯一の女王に会いたければ出席なさい】


 ザフィーラに現在女王はいない。ルイの父が王位についている。では、女王とは一体誰なのか。心当たりがルイたちには一人だけ存在した。

 その心当たりを確認するためにルイは婚約式に出席した。ところが会場で女王らしき人を見つけることはできなかった。

 そしてルイはパーティーが苦手だった。

 早々に会場を抜け出し、庭園で夜風に当たっていたら一人の女性に出会ってしまったのである。ルイにとってそれは運命と呼べるほどに衝撃的な出会いだった。


「髪や目の色、背格好は同じだが、顔が違う。彼女は……一度見たら忘れられないほど美しかった。あんな印象に残らない、十人並みな容姿の人ではない」


(彼女は……まるで月の女神のような人だった。雲間からでも懸命に輝き、こちらにその存在を教えてくれる月のような。立ち姿も儚げで、実際に手を握るまで幻ではないかと疑った)


「それが、まさか偽物を差し出すとわな。婚約が嫌なら嫌と返事をすればよかったものを」


 あの夜のことを思い出せば思い出すほど喪失感が増す。まさかこんな形でふられるなんて思ってもみなかった。

 クリスがルイの様子を伺うように紅茶が入ったカップを差し出した。


「ですが、ニーナ・メーストルは彼女です。身元調査には一ヶ月以上をかけました。万が一、ザフィーラに対して害になる人物だった場合、国の安全保障に関わりますから。こちらの人間を使って本人確認も厳重に行なっています。別人を差し出す余地などありません」


 ルイが机を拳で叩いた。


「では、何が間違っていたというのだ。俺が出会った女性は誰なんだ!」


 クリスが少し言いにくそうに答えた。


「あるとすれば……殿下が聞いた名前の方が間違っていたのではないかと」

 

 ルイは眉間に皺を寄せた。

 あの夜、ニーナと名乗った女の顔を見たのはルイだけだ。家臣たちはルイが言った名前を頼りに女を探したに過ぎない。だから、今日ルイが会うまで、ニーナがルイの求める人ではないことに誰も気がつかなかった。


(名前が間違っていたとすれば、別人がきたことの辻褄は合うが……)


「だが、名前の聞き違いはない。確かに彼女はニーナ・メーストルと名乗った……」


 名前の聞き違いがないとしたら、他にどんな理由があれば別人が来ることになるだろう。


「いや、そういうことか。クククク……」


 一つの可能性に思い当たって、ルイは泣きそうな顔のまま笑い声を上げた。

 クリスが怪訝そうに眉を寄せる。


「殿下……?」

「偽物でもない。聞き違いでもない。となれば残る可能性は一つ」


 ルイはわざと途中で言葉を切った。

 クリスの怪訝そうな表情が、少し間を開けて、何かに気がついたものに変わっていく。


「まさか、他人の名前を名乗ったということでしょうか」


 クリスの言葉にルイは紅茶に視線を落とした。

 水面に自分の無様な顔が写っていた。


「そうだ。出会って最初の瞬間から俺はふられていたってわけだ」


 一目あっただけのその瞬間に、ルイのことをふった彼女はご丁寧にも嘘の名前をルイに名乗ったのだ。それもニーナ・メーストルという実際に帝国にいる令嬢の名前を。そのせいでルイとは無関係の令嬢が城にやって来ることになったのである。

 ルイは深いため息と共に頭を抱えた。ここ数ヶ月の自分の行動を思うとあまりに痛々しかった。

 あの夜、出会った最初からふられていることに全く気付かず、ダンスに誘った挙句、誘いを受けてもらえたからと、その翌日には婚約の打診を送った。

 クリスからはダンスの誘いを受けてくれたくらいでは相手の気持ちはわからないと何度も言われていた。しかし、話半分にしか聞いていなかった。あの夜交わした視線の熱さを知らないからそんなことが言えるのだと思っていた。

 その後、婚約の話はすんなりとまとまったものだから、今日まで一片のくもりなく両想いだと思い込んでいた。

 全くもってとんだ勘違いをしていたものである。

 

(女心はわからないとはいうが、なるほど。確かに俺には理解できないみたいだ。あんなに楽しそうに踊っていたのに……)


 ルイは吐き捨てるように言った。


「困ったことになった。国王陛下の反対を押し切ってまで他国から婚約者を迎えたというのに」


 人違いでした、などと言ってあの厳格な父親が果たして婚約解消を許してくれるだろうか。

 しかも、反対しながらその実、父親は婚約を喜んでもいた。いつまでも婚約者を決めようとしない跡取りにやきもきしていたのだ。やっと安心させてあげられるとルイは思っていた。


「きっとがっかりするだろう」


 クリスが考え込むように顎をさすった。


「妹の方だったのでは? 妹は美しく気立もいいと評判の令嬢です」


 ルイは首を振る。


「いや、それは違う。妹の方はパーティー会場で見たが、雰囲気が違いすぎる……美しいが少々毒々しくも感じた。パーティーの途中で庭園に来るようなタイプではない」


 クリスが妙に明るい声で言った。


「では探しますか。殿下が出会ったという月下の婦人を。まだふられたとは限りませんよ。何か事情があったのかもしれませんし」


 事情があろうがなかろうが、名前すら教えてもらえなかったというのに、果たして探す意味があるのだろうか。

 ルイは首を振った。


「いや……どうだろうな。いずれにせよ三か月後だ。これから雨季がくる」


 慌ただしい足音がして、二人はドアに目を向けた。

 ノックもなくドアが開く。王子の執務室に遠慮なく入って来れる人物などそう多くはない。

 ドアの向こうから現れたのはルイの母親だった。つまり王妃だ。そして、王妃がここに飛び込んでくる理由もまたいつも通りだった。


「ねえ、ここにガビーが来なかった?」


 ガビーとは生後七ヶ月になるルイの弟のことである。正式にはガブリエルという。


「あのいたずらっ子はまた消えたのか」


 ルイは努めて平静をよそおい言った。両親には婚約者がルイが思っていたのと別人だったことをまだ知られたくなかった。


「探して。もう三時間も部屋に戻っていないのよ。特別魔力が高いと言っても、あの子はまだ赤ちゃん。もし怪我でもしたら」


 普通なら生後七ヶ月でいたずらっ子も何もありはしないが、ガビーは魔法の天才だった。ハイハイどころか宙に浮き、時には瞬間移動し、すぐにいなくなる。それがガビー流のかくれんぼなのだ。いくら注意しても止めようとしないから困ったものである。


「……しょうがないな。手分けしよう。私はまず東棟に行く。お前は手が空いている侍女たちに協力を頼んでくれ」

「かしこまりました」


 ルイの言葉にクリスは恭しく頭を下げた。

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