第5話 歓迎

 ニーナは斜め前を歩くルイを上目遣いに見上げた。

 城に着くや否や、ニーナの案内を買って出てくれたものの会話はない。ついてこいと言ったきり、ニーナのことを振り返ることもなかった。


(私何かしたかしら……どうして? あの夜とは違う人みたい)


 意味がわからなかった。今回の婚約はザフィーラ側から持ちかけられたはずだ。それなのになぜルイはニーナの顔を見るなり怒っているのだろう。

 ルイが華やかな装飾が施された白い扉の前で止まった。扉の両脇はたくさんの白いバラが花瓶に入れて飾ってあった。まるであの夜の白バラのようだ。

 扉の前にはルイの執事と思しき青年が部屋の鍵を持って待っていた。年齢はルイと同じくらいだろうか。繊細で気難しそうな印象のある青年だった。

 鍵が開くと、まずルイが先に部屋へ入った。


「入れ」

「失礼します」


 ルイに続き、部屋に足を踏み入れた途端、ニーナにはわかった。この部屋はニーナのために用意された部屋だ。

 全体の雰囲気が今まで見てきたザフィーラの城内よりもニーナの住む帝国に近い。臙脂色のカーペットにカーテンが引いてある。臙脂色は帝国人が最も好む色だった。さらに大きなカウチとローテーブルが置かれている。カウチのデザインにニーナは見覚えがあった。帝国で最も人気がある家具店のものだ。

 その部屋にはニーナを歓迎しようという気持ちがあふれていた。


「案内していただいて、ありがとうございます」


 ニーナが頭を下げてもルイから返事はなかった。

 執事が部屋に入ると、ルイは扉を閉めた。錠を回す音が聞こえる。

 ルイがくるりとニーナの方を向いた。


「それで、目的はなんだ」


 冷たい声音だった。瞳には軽蔑の色が浮かんでいる。

 ニーナは息が詰まるような心地がした。帝国の誰に同じように見られてもこうはならない。もう慣れているからだ。けれども、ルイにはそういう目を向けられたくなかった。


「なんのことですか?」


 ニーナはどういう状況なのか少しでも知りたいと思い、ルイの後ろに控えている執事の方を横目で見た。執事はただ黙って立っている。

 ルイが鼻を鳴らした。


「あなたはニーナではない。偽物を遣わすなんて、馬鹿にしているとしか思えないな。こちらは婚約しようと言っているのに」


 偽物とはどういうことだろうか。自分は確かにニーナ・メーストルだ。そして、皇宮の庭園でルイと踊ったのも自分だ。あの時のことを覚えていて、ニーナに婚約を申し込んだのではないのか。


「あ……何をおっしゃっているのか……」


 色々な考えが頭を巡ったがニーナの口から出た言葉はそれだけだった。こんな時、思ったことを言葉で説明できない自分が恨めしかった。


「婚約は解消だ」


 ルイが踵を返した。


「あ……」


 ニーナの目に涙が浮かび上がった。


「待ってください。私は……」


 ルイがなぜか一瞬怯んだように見えた。そのせいだろうか、尚更先ほどよりも低い、怒りをはらんだ声が返ってきた。


「あなたがどこの誰かは知らない。三ヶ月だ。それを過ぎたら出て行ってもらう」


 ルイが再び錠を回した。どういうことか説明して欲しくてニーナは口を開けたけれど、何の言葉も浮かんでこなかった。言葉に迷っている間に、ルイはまるで逃げるように扉の向こうへ消えてしまった。


「あ……」


 ニーナの伸ばした手が空を切る。

 執事がその手に部屋の鍵を置いた。


「これがこの部屋の鍵です。部屋は自由に使ってください。それでは」


 執事も王子の背中を追うように出て行った。

 部屋にはニーナだけが一人取り残された。


「そんな……」


 ニーナはその場に膝をついた。

 自分の顔を見るまでは、ルイは上機嫌だった。自ら婚約者を迎えにきたと堂々と言った。

 ポツリポツリとカーベットに小さな丸いシミが広がる。


「私、泣いてるの?」


 指先で目尻をなぞると、水滴がついた。涙は次から次にあふれてくる。


「う……うう……」


(美しくない私が愛されることなんてない。わかっていたはずなのに)


 期待してしまった。あの夜出会った彼ならばもしかしたら、自分を愛してくれるかもしれないだなんて。

 期待を箱に詰めてどこかに捨てられるなら今すぐそうしただろう。いっそ夢見ることすらやめられたら楽なのに、そうできない自分が恨めしかった。

 仕方がないのでニーナは泣き続けることにした。


 * * *


 ルイの執事ことクリスは全力でルイを追いかけた。その速度たるや、ほとんど競歩だった。常人ならば走るところを彼はそうしなかった。王族の執事たるもの、そう簡単に王城の廊下を走らないのだ。


「お待ちください!」


 息も切れ切れに言った、何度目かの停止のお願いで、やっとルイはクリスを振り返った。


「なんだ」

「なぜそんなに怒っていらっしゃるのですか」


 ルイが歯に物が詰まったような表情を浮かべた。何か言いにくいことでもあるのだろうか。城に帰ってきたときはすでにルイの様子はおかしかった。

 クリスは咳払いをして息を整えた。


「殿下から婚約を持ちかけたにも関わらず、その態度はほめられたものではありません」


 部屋を出る直前のニーナの顔が思い出される。目に溜まった涙がこぼれる寸前だった。きっと今頃一人で泣いているに違いない。クリスにとってそれはあまりにも気の毒な姿だった。帝国から侍女もなく、たった一人で異国の地に嫁いできたのに、城に着いた初日から婚約破棄を突きつけられたのだから。


(あれではニーナ嬢は混乱するだけだろう。まあ私にも訳がわからないのだけれど)


 せめて理由くらい話して欲しいものだ。理由があったからといって、こんなことはしてほしくなかったが。

 言葉を選んでいたのだろうか。ルイが口を開いたのは、クリスの問いかけから少し間が空いてからだった。


「だったらどうしろと? 明らかに別人だというのに」


 クリスは首を傾げた。


「なぜそうお考えになるのですか?」

「顔が違うからだ!」

「は……?」


 そんなことがあるだろうか。

 クリスはどういうことか聞くために再び口を開きかけて、結局何も言わなかった。


(幼い頃、国王陛下に酷く叱られたときですら、こんな顔は見たことがない)


 ルイの顔色は怒りから一変、今にも泣き出しそうなものに変わっていた。

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