第4話 隣国ザフィーラ

 メーストル子爵は朝から頭を抱えていた。

 一つ目の理由は、数えきれないほどのプレゼントが届いたことだった。

 今までも子爵家に突然プレゼントが届くことはあった。舞踏会の翌日は決まってミーナの気を引くためにたくさんのプレゼントが男性から贈られていたからだ。しかし、ミーナはもう婚約した。相手は皇太子だ。流石にもうプレゼントをする人がいるはずがない。

 まさかニーナ宛にプレゼントが来るとは思えず、子爵は首を傾げた。

 そこで、プレゼントをよく確認してみると、どの箱にも隣国ザフィーラの王家の紋章が入っていたのである。

 面倒なことになったと子爵は思った。ミーナが婚約したことを知らないのだろうか。婚約式の招待状は出したはずだったが。ではこれではまるでミーナが浮気をしたようではないか。このことが皇室に知られれば、何を言われるかわかったものではなかった。

 二つ目の理由は、事前に何の知らせもなく皇帝自ら子爵家に現れたことだった。ミーナの婚約が内うちに決まった時ですらこんなことは起きなかった。余程の大事があったのか。理由がさっぱりわからなかった。何にしても、隣国の王家の紋章が入ったプレゼントを見られるのはまずかった。

 結果、メーストル子爵は大忙しで玄関前を片付けたあと、汚れた服を変える暇すらなく皇帝陛下を迎え入れることになった。

 お世辞にも広いとは言えない応接室に皇帝と二人、向かい合って椅子に座っている。

 額から流れる汗が止まらないのは、果たして動き回ったせいなのか、皇帝を前にした緊張のためなのか、子爵自身にもわからなかった。


「陛下、本日はこのようなむさ苦しいところにわざわざお越しいただき、ありがとうございます」


 望んでいない来客であっても頭を下げなければならないところが弱小貴族の辛いところだ。弱小でなくとも相手が皇帝ともなれば、ほぼ全ての貴族がそうしなければならないだろうが。


「苦しゅうない。さて、今日は卿に知らせがあって来た。ミーナはどこだ?」

「ここですわ。陛下」


 子爵は驚いて後ろに首を回した。呼んだ覚えなどないのに、ミーナが子爵の後ろに立っていた。いつ部屋に入ってきたのだろう。全く気配がなかった。

 子爵の首筋に冷や汗が流れた。いつからだろうか、この娘のことを得体がしれないと思い始めたのは。

 最近のミーナには気配もなく唐突に現れる。まるで魔法か呪いでも使っているかのように。


「そなたの言ったとおりになった。これを見よ」


 皇帝が子爵との間にあるローテーブルの上に一通の封筒を置いた。

 子爵は封筒を手に取った。封は開いていた。プレゼントにあったのと同じ紋章が押してある。中にある便箋に綴られた内容を見て、子爵は息を飲んだ。


「これは……信じられない。うちのニーナに婚約を申し込むと? ザフィーラの王子殿下が」


 ということは、あのプレゼントの山はニーナ宛ということになる。


「そうだ」


 皇帝が満足げにうなずいた。


「これで謎に包まれた彼の国にとうとう切り込める」

「と、言いますと?」

「まさか卿ともあろう方が私の言っていることがわからない訳ではあるまい」


 皇帝が席を立った。皇帝が立っていると言うのに、子爵の自分が座っている訳にはいかない。子爵もすかさず腰を浮かせたが、皇帝がその動きを制した。楽にしていてくれ、私は歩きながらの方が頭が回るのだ、と言いながら。


「次の目標は彼の国だ」


 皇帝の言葉を受けて、子爵が口を開くより先にミーナが言葉を継いだ。


「彼の国は未だに魔法が残る神秘の国……その力、是非とも我が国のものにしたいものです」


 皇帝がうむ、と静かに唸った。


「ところがあの国は島国だ。しかも、普通の島ではない。我が国はこれまで何度も間諜を送ったが、上陸すらできなかった。それどころか近年は彼の国の王族が社交の場に出てくることすらない。国内の状況すらわからぬ」

「私の婚約式に王子が来たのは、私が招待状に少し細工したからですわ」


(私のって……皇太子の婚約式ではないのか)


 子爵が冷や汗を流している隣で、ミーナはにっこりと艶やかに笑っている。

 皇帝が気安い調子で笑い声を立てた。


「その細工が何かは教えてくれないのだろう? 皇太子妃よ」

「ええ。秘密ですわ」


 ミーナが人差し指を口元に立てた。この一言で皇帝を納得させる者がいるのかと、子爵は恐ろしい人を見るような目をミーナに向けた。知らない間にミーナは皇帝とかなり仲が良くなったようだ。

 子爵は額の汗をハンカチで拭った。


「つまり、婚約という体にして、ニーナをスパイとして送り込むということでしょうか? いずれはザフィーラを征服するために」


 あの愚鈍な娘にそんなことが務まるとは思えないが、と子爵は思った。ニーナはミーナと比べると容姿も知性も明らかに人並みの娘だった。大した教育を施してやってもいない。スパイの真似事をさせたところで、すぐに気づかれ殺されるだろう。


「まあ、あの子には無理でしょうね。私がニーナに期待したのは王子の気を引いてくるところまでですわ」


 ミーナが子爵の心を読んだかのように言った。そして、皇帝の隣まで歩みを進めると、その腕にしなだれかかった。


「あの子は彼の国が自ら引き入れた毒となります。数ヶ月ののち、必ずや私が国境を開いて差し上げましょう。その後は彼の国を蹂躙し、魔法を手にすることも可能となりますわ」

「期待しているぞ。では、私は皇宮に戻るとしよう」


 皇帝がミーナの腰を抱き、返事をした。その様は息子の妻への態度というより、愛人に対するものだった。

 皇帝が部屋から去ったあと、ミーナは肩を震わせて笑い始めた。


「あの子ってば、どんな顔をするかしらね。愛されたがりで待つことしかできない女が、王子に選ばれたと知ったら……見ものだわ」


 ミーナのニーナに対する態度は明らかに礼儀を欠いたものであったが、子爵は注意しようと思わなかった。今更だった。そもそも子爵自身が二人をそのように扱ってきたのだから。美しいミーナだけに入れ込んできたことについて子爵は自覚があった。

 とはいえ、ここまでミーナを増長させるつもりもなかったのだが。

 子爵にとって二人は用途の違う道具に過ぎなかった。凡庸なニーナは跡取りを手に入れるための道具、美しいミーナは婚姻を利用して自分たちの地位を上げるための道具だ。だから、借金をしてでもミーナの美しさを磨くために金を使ってきた。ニーナにはその必要がないから使わなかったに過ぎない。

 皇帝とのやり取りを見て、いつの間にか自分には到底手の負えない娘にミーナが育っていることを子爵は思い知った。

 子爵はミーナに問いかけた。


「それで私はどうすればいい? スパイの話はニーナにするのか」


 ミーナが首を振った。


「必要ありませんわ。あの子には何も知らないまま隣国に行ってもらう。それでこそ毒になるというものよ。お父様はニーナに婚約が決まったとだけ伝えればいいですわ」

「そうか。お前の言うとおりにしよう」


 子爵は深くうなずいた。皇帝のお気に入りに口答えするなどと愚か者のすることだ。長いものには巻かれるというのが子爵の処世術だった。


 * * *


 一ヶ月後、ニーナは船の上にいた。

 この船に乗る帝国人はニーナ一人きりだ。普通、令嬢が他国に嫁ぐときは、自分の家から何人か侍女を連れていくものだが、ニーナにそれは許されなかった。

 ザフィーラ王国がニーナ以外の帝国人を入国させることを渋ったせいだと父親から説明を受けたが、本当のところはわからない。今までだって、両親がニーナに何かを準備したことなどなかったのだから。支度金についてもそうだ。

 婚約が決まったために王国からは高額の支度金が届いた。しかし、子爵はその金を、ニーナの嫁入り準備ではなく、今までミーナを飾り立てるために作った借金の穴埋めに使った。残った分は屋敷の改修に回すという。

 ニーナが帝国から持って出たものといえば、自分の下着とミーナが餞別として譲ってくれた数枚のドレスとアクセサリーだけだった。支度金とは別にプレゼントも贈られていたと使用人が噂しているのを聞いたが、あくまで噂だけだ。ニーナが受け取ったプレゼントはなかった。

 心細くないといえば嘘になる。外国へ行くというのにこれでは身一つで向かうのと変わらないのだから。

 しかし、ニーナに断るという選択肢などないのだから、いつも通り粛々しゅくしゅくと受け入れるより他なかった。

 むしろ、今まで家のお荷物でしかなかった自分が最後にお金だけでも両親の役に立ててよかった、というのがニーナの考えだった。


(一生、国を出ることなどないと思っていたのに)


 ニーナは甲板から海の果てを見つめた。船の舳先が向く方には一つ、島が浮かんでいる。その島こそザフィーラ王国だ。

 ニーナが船に乗るのは生まれて初めてだった。馬車で港に着いたとき、波止場に浮かぶ船を見て、こんなに大きな乗り物が世界にあることに驚いた。

 海を見たのも初めてだ。深い群青色の水面が絶えずうねっている様子はニーナの目を釘付けにした。この波はどこからやってくるのか不思議でならなかった。

 それをザフィーラの騎士に話すと、少し笑われた。相手に悪気がないのはわかっている。ニーナがものを知らなさすぎるのだ。


(こんな私をもらってくださるだなんて。しかも王族の方が。一体どんな方なのかしら……名前はルイというみたいだけれど)


 異国の人と聞いて思い出すのは、ミーナの婚約式で一緒に踊った青年のことだった。名前も聞かなかった。どこの国の人かもわからない。こうして嫁いでしまえば、もう二度と会うことはないだろう。


(相手がどんな方だったとしても精一杯お仕えしなければ)


 不意に、海の上に霧が立ち込めた。遠くまで続いていたはずの水平線が消え、視界は真っ白になる。あまりに突然でニーナは周りを見回した。これでは自分がどこにいるのかもわからない。しゃがむとかろうじて甲板の木の目が見えた。


「ニーナ様、大丈夫ですか?」


 ニーナの斜め後ろから女騎士の声が聞こえた。彼女は旅の始めから何かとニーナに声をかけてくれる。おかげで見知らぬ土地にいくというのに随分と気が楽になった。


「すみません、先にお声かけするべきでしたね」


 女騎士がニーナの隣にしゃがんだ。温かみのある茶色い髪がニーナの視界に入る。


「この霧を抜ければザフィーラです」

「急に真っ白になったから、驚いたわ」

「この霧は普通の霧ではありませんから」


 ニーナは首を傾げた。


「どういうことです?」

「この霧は魔法の霧なのです。害意のある者からザフィーラを守っています。船に一人でも不心得者があれば、この霧にまかれ、島を素通りすることになります」


 ニーナの瞳が不安で揺れた。

 女騎士が微笑んだ。余裕を感じさせる笑顔だった。彼女の顔を見ていると気持ちが落ち着いてくる。


「大丈夫ですよ。我々は通れます。ほら、もう霧が晴れてきました」


 騎士の言う通り、さっきまでの真っ白な景色が嘘のように青い海と空が戻ってきた。舳先の向こうにあった島はすでに目前だった。さっきまでは遠くて見えなかった港がすぐそこに迫っている。

 後ろから船長の大きな声が響く。


「面舵いっぱい!」


 にわかに船上が騒がしくなってきた。船員たちがバタバタと甲板を走る。


「さあ、もう少しで上陸です。一度船内に戻りましょう」


 ニーナは女騎士に手を引かれ、甲板を後にした。


 * * *


 その数時間後、ニーナは船を降り、ザフィーラに入国した。

 長く船に揺られていたせいだろうか。下船したというのにまだ地面が揺れているような感覚がして、ニーナはうまく歩けなかった。

 そんなニーナの手を女騎士がとる。


「陸酔いですね。しばらくすれば元に戻りますよ」

「ありがとうございます」


 港にはすでに迎えの馬車が来ていた。

 他の船員たちが忙しそうに荷物の上げ下ろしをするなか、ニーナは生まれたての子鹿のようにゆっくりと馬車まで向かう。


「それでは王都に参ります。ここからはまた馬車での移動になります」

「王都へはどれくらいで着くの?」

「天気に恵まれれば三日くらいですよ」

 

 ニーナが馬車に乗ろうとした、そのときだった。

 急に港が静かになり、さっと人混みが二つに割れた。割れたところにできた道を一頭の馬が歩く。


「あ!」


 馬の背に乗っている人物を見て、ニーナは目を丸くした。黒髪に褐色の肌。細長い手足。婚約式の夜に一緒に踊った青年にそっくりだ。

 女騎士が馬上の人物に対して膝を折った。


「殿下。迎えにいらしたのですか?」

「一刻も早く会いたかったのだ」


 女騎士の言葉に馬上の青年が答えた。


(殿下……? あの夜に出会った人が私の婚約相手だったの? 王子様だったなんて)


 こんなに嬉しいことがあるだろうか。さっきまでもう二度と会えない憧れの人だと思っていたのに。

 ニーナは馬車にかけていた足を元に戻し、その場でカーテシーを行った。

 ルイもニーナに気づいて馬から降りた。


「ようこそ。ザフィーラへ。また会えて嬉しい」


 ルイがニーナの前に立った。


「私も嬉しいです」

 

 ニーナはゆっくりと顔を上げた。目前にあの夜見上げたのと同じ優しげな灰色の瞳があるはずだった。

 ところが、そこにあったのはルイの訝しげな表情だった。


「あなたは誰だ」

「え?」


 突然のことに固まっているニーナを無視したまま、ルイは再び馬に跨った。


「……馬車に乗せろ。行くぞ」


 不機嫌そうに一瞥を投げたあと、ルイはニーナに背を向けた。

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