第2話 皇宮の婚約式

 煌びやかなシャンデリアが広いダンスホールを照らしていた。楽団が奏でる音楽の中を複数の着飾った男女が踊っている。踊っていない者はそれを壁際で静かに見ている。時折、扇の影でコソコソとおしゃべりしながら。

 華やかで明るいが、人を値踏みする視線が容赦なく降り注ぐ。たくさんの人が集まったとき独特の、この雰囲気がニーナは苦手だった。

 今だってそうだ。壁に背があたるのではないかというほど端に身を寄せ、なるべく人目につかないよう、背をかがめている。

 本当は来たくなどなかった。このような華やかな席に出ても嫌な思いをするだけだから。無視されて誰にも相手にされないだけならまだいい。バカにされて笑い者になることさえあるのだから。

 それでも来ざる得なかった理由がニーナにはあった。それはこの会が妹の婚約式だったからだ。

 すでに三曲目だというのに、ミーナとその婚約者である皇太子はダンスを踊っている。フロアの中心で舞うミーナの美しさといったら、まるで天使のようだった。

 金色に波打つ髪がシャンデリアの光を跳ね返し、キラキラと輝いている。サファイヤの瞳も同様で、楽しそうに皇太子を見つめていた。長いまつ毛に通った鼻梁、紅を差さずとも鮮やかな珊瑚色の唇、瑞々しい白磁の肌。細いウエストに長い四肢まで、美しさに必要な要素を全て備えている。

 ミーナの完璧な美しさは子爵にすぎない両親に野心を抱かせた。

 これだけ美しければ高い身分の家へ嫁げるに違いない。そう考えた両親は家にある全ての財力をミーナに傾けた。

 元々それはニーナの役割だったが、十歳を過ぎた頃からだろうか、少しずつ様子が変わっていったのだ。両親はニーナではなく、ミーナを美しいと褒め、もてはやすようになった。

 ニーナが溺愛されていた時よりなおさら激しく両親はミーナだけを愛するようになった。新しいドレスもアクセサリーもミーナだけのものになった。

 それどころか、ミーナが欲しいといえば、どれだけニーナが大切にしていたものでもミーナに譲らなければならなかった。

 祖父がデビュタント用に買ってくれたネックレスですら、ミーナの欲しいの一言でミーナに渡すことになった。

 貸す、ではダメなのだ。なぜなら他ならぬミーナが欲しがったのだから。

 そして、両親の念願叶って、ミーナは皇太子の心を射止めたのだった。


(ミーナ、とても幸せそうね)

 

 ニーナはじっとミーナを見つめた。

 事実、ミーナは幸せの真っ只中にいた。それを証明するかのように皇太子が贈った帝国最高級のドレスがふわりふわりとフロアを舞う。

 ドレスは純白のシルクの生地でできていた。薄紅色の糸で繊細な刺繍が施され、所々に宝石が縫いとめられている。贅と手間を凝らしたドレスだ。

 征服戦争に勝ち、新たな植民地を得た帝国は、かつてない程に勢いがある。

 皇太子は帝国の英雄だった。今回の戦争で最も戦果を上げた青年であり、その影にはミーナの助言があった。

 美しいだけでなく、賢さまで証明したミーナは正しく次期皇后にふさわしいと帝国の誰もが考えている。

 それに引き換えニーナと言えば、プラチナブロンドの髪色は珍しいものの、容姿は凡庸で取り立てて人目を引くことはないし、賢さの証明どころか口下手で、考えを人に話すことすらできない。これでは両親がミーナだけに愛を注ぐのも納得できる、とニーナは考えていた。

 しかし、ニーナに不足しているものは両親の愛だけに留まらなかった。

 ミーナの視線とニーナの視線が交錯する。図ったようにそのタイミングで曲が終わった。

 ミーナは皇太子の腕を取り、ニーナの方へと誘った。自然と人混みが割れ、二人の前に道ができる。

 おかげでニーナの姿も衆目にされることになった。

 ニーナは身構えた。ニーナに不足しているもの、それは周囲からの普通であれば期待できるくらいの好意だった。


「ニーナ!」


 ミーナがニーナに笑いかけた。

 ミーナからお姉ちゃんと呼ばれたことはない。物心ついた頃からミーナはニーナを名前で呼んでいたが、注意されてもそれは変わることがなかった。今となっては誰も何も言わない。

 隣にいる皇太子も、ミーナと同じく、口の端に笑みを浮かべていた。しかし、目は笑っていない。視界に入れたくなかった、という色がその瞳には浮かんでいた。皇太子がニーナの存在を疎んじていることをニーナは知っていた。

 ミーナがニーナの両手をとった。


「こんな端っこにいないで踊ればいいのに」

「いいえ……私は……」

「ニーナは全然社交に出ないんだもの。今日くらいがんばってくれないと、ね?」


 意味ありげにミーナが小首を傾げる。すると、周りにいる人々のささやきが、ニーナの耳に押し寄せた。


 ……妹が先に婚約するなんて、恥ずかしいわね。

 ……誰も彼女と婚約しようなんて人はいないわ。陰気くさいもの。

 ……皇太子殿下は待ったようよ。彼女の対面のために。でも、当の本人が。

 ……今日も見て。あのドレス、この前ミーナ様が着ていたものでしょう。

 ……あんな地味な容姿にミーナ様のドレスが似合うはずがないのにね。

 ……常識がないのよ。ミーナ様はこんなに素晴らしいのに。汚点よね。

 ……


 全部、本当のことだった。

 ニーナに婚約しようなんて人はいないし、ニーナが誰かと婚約するのを皇太子が待っていたのも本当だ。ドレスはいつもミーナの着古きふるしだったし、地味な自分にミーナの華やかな色のドレスが似合わないことくらいニーナは理解していた。

 しかし、どうすることもできないのだ。

 ニーナの社交界での評判は最悪で、婚約を望む人など現れるはずがなかった。それに、子爵家にはミーナのドレスしかないのだから、ニーナが着飾るときは、そのドレスを着るしかない。ミーナが貸してくれなかったら、ニーナには着ていくドレスがないのだ。

 ニーナは耳を塞ぐことすら許されず、目を伏せた。逃げたり、泣いたりすれば、悪い評判が増える結果にしかならないことを、過去の経験から知っていた。

 ミーナに握られていた手をさらに強く握られて、ニーナは顔を上げた。心配そうに揺れるサファイアがニーナの目に飛び込んでくる。


「大丈夫? 顔色が悪いわ、真っ青よ」


 ミーナはいつもこうしてニーナのことを心配する。それを見てまた周囲が騒めく。もちろんミーナの心遣いを褒め、ニーナの無能を責める内容でだ。妹に気遣われてばかりの不出来な姉。耳にタコができそうなくらい聞いてきた。

 賢いミーナが今こういう声かけをすれば、ニーナが悪く言われることに気がついていないわけがない。そう、ミーナのこの声かけはわざとなのである。

 ミーナには、ニーナを虐げて喜ぶ癖があった。

 それに、ニーナにとって、ミーナは少し不気味な存在でもあった。ミーナの目を見ているうちに記憶を失ってしまうことが今まで何度かあったのである。その度にニーナの社交界での評判は地に落ちていった。

 しかし、そのような状況にあっても、ニーナはミーナを憎んだり、嫌いになったりすることはできなかった。

 ミーナはただ一人、ニーナに目をかけてくれる人だった。彼女がいなければ、ニーナは本当に一人ぼっちになってしまう。

 家の中でも、社交界でも、ニーナが本当に困ったとき助けてくれるのはミーナだけだった。両親はいつも知らんぷりなのだ。

 皇太子がこれ見よがしに声を上げた。


「これはいけない。ミーナの姉君に何かあっては大変だ。皇医を呼ぼう」


 驚いてニーナは言い返した。


「大丈夫です。そのようなご迷惑をかけるわけには参りません」


 言ったあとで皇太子の目を見て、ニーナはまたやらかしたと思った。

 皇太子はニーナの体調を心配してくれたのではなかった。このまま会場から去ってくれればいいのに、という表情をしている。

 ここは、ありがとうございますと言って、去った方がよかった。

 ミーナがニーナの二の腕をさすった。


「気分が悪いだけよね、ニーナ。庭園を見に行くのはどう? 満月だから夜でも楽しめるはずよ」


 皇太子が大きく頷いた。


「それがいい。今は白バラが咲いている。庭師が自慢していたよ」

「お気遣いありがとうございます。そうさせていただきます」


 その場にいる全員が三人のやりとりを聞いていたのだろう。出口を教えるかのように人垣が引いた。

 ニーナはそそくさと会場を後にした。

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