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 夜 二階 個人部屋


 鬱々とした気分で俺は自分の部屋の前に立ち止まった。

 もう唯香が作った決まりは何の意味もない。

 ミシェルは今までで一番質素な食事を作ってくれて、全員沈黙の中で夕食を終えた。

 そして……これが最後の夜になる。


「……寝る……か……」

「旦那さん」


 来菜は一階から上がってきた。

 他の面々はもう部屋の中に入っている。


「来菜……」

「今日がこの塔での最後の日になる。あたしは明日……死ぬことになる」

「……本当はお前も生きたいんじゃないのか?」


 しかし来菜は首を横に振った。


「あたしも優しい人間らしいぜ旦那。というか……あたしには十二人の魂を奪って生きる覚悟が無い。もちろん……旦那を否定したいわけじゃないよ? あたしは旦那の選択が間違ってるだなんて絶対思わない。でもあたし自身が間違ってるとも思えない。きっと……全部仕方ないんだよ」

「ああそうだ。誰も間違えてなんかいない。今まで俺は一度だって誰かを犠牲にして生きている自覚が無かった。でもよく考えたらそれって当たり前の話なんだ。いつだって……誰かが誰かを犠牲にして生きている。いや、犠牲なんて言い方はよくないかもしれない。でも確かに俺が生きているのは誰かのおかげなんだ。人ってのは常に誰か別の他人に助けられて生きるものだし、むしろそれこそが人間のあるべき姿なんだ。俺は今になってようやく……そのことに気付いた」

「だからこそ『生きる覚悟』を決められたんだね」

「どうだろうな。ただそれに気付いたことで初めて、どうして俺はずっとここで一生を終えるつもりでいたのか……理解したんだ。俺は自分が生き返る人間になる可能性を初めからずっと考えないようにしていたんだ。俺は……みんなの魂を背負って生きる自信が無かっただけなんだ。だから運命というか運否天賦に任せたかった」

「……快太君……」

「でもそれじゃ駄目なんだ。人間は……選択する生き物だから。俺は……俺達は選ばなくちゃいけなかったんだ。……俺は選んだよ。だから明日……俺は何があったとしても、自分が生き返るために考えられるあらゆる手段を使う。そう……決めたんだ」


 拳を握りながらそう決意すると、来菜は優しく微笑んでくれた。


「そっか……そうかそうか!」


 もし俺が生き返ることになれば、もう来菜と現世で再会することは出来ない。

 いや、誰が生き返ることになっても、今この時が来菜と過ごせる最後の時間だというのは間違いない。

 そうだ……最後なら……。


「あのさ、来菜……その……良ければ俺の部屋に……」

「……駄目だよ」

「え?」


 来菜はとても申し訳なさそうな顔をしている。


「きららちゃんはここでの生活を続けることに絶望して死んだ。その理由にどんなものがあるかはあたしには分からないけど……でも……あたしたちだけそんな真似……出来ないよ」


 ……もっともだ。


「……悪い。俺ちょっとテンパってたみたいだ。大丈夫……俺は来菜を含めたみんなの想いを背負って生きるよ。どんな想いも……背負って……」

「……あ、そうだ」


 その時来菜は思い付いたような顔で手を合わせた。


「じゃあ部屋交換しない?」

「はい? 何で?」

「あたしはねぇ、どうせ死ぬのなら旦那の匂いに包まれて死にたいのさ」

「……」

「いや引くなし!」


 来菜は可愛らしく顔を真っ赤にしている。彼女なりの冗談だろうが……正直俺も同意見だったりする。


「変態だなぁ」

「はぁ!? どうせ死ぬなら欲望くらい晒してから死にたいってだけだから!」

「そ、そうなのか……。というか、俺が言ったのはお互いに対してさ」

「お互い?」

「交換するか。今晩だけ」

「……今晩が最初で最後だけどね」


 俺達は笑みを互いに向けてそれぞれの部屋に向かった。

 少しだけ浮足立っているのは……果たして俺だけだろうか。いや……どうだろうな。


     *


 来菜ルーム


「あぁ……」


 来菜の匂いがする。

 さて、まずはゴミ箱でも見るか。


「果汁百パーセントのオレンジジュース、ゼロカロリーのコーラ、無糖のコーヒー、ミルクティーにレモンティー、あと……濃い味の緑茶。飲み物ばっかだな……」


 まあ捨てるものなんてそれくらいか………………って、何してんだ俺は。

 そうだ、次はクローゼットだ。

 俺はバッと開いた。


「おぉ……いつものセーラー服がいっぱいだ……。あ、手袋もある。なるほど……セーラー服の方が数は多いな……。不思議だ……調べた方がいいだろうか……」


 衣服はどうやらよく洗われているようで、あまり来菜本人の匂いはしない。

 ふむ……………………なるほどね。

 さ、バスルームを見ておかないとな。

 俺はバスルームの戸を開いた。


「うーん……使われた形跡はちゃんとと残っているな。でも水で匂いは流されているらしい。当然だな」


 あまり役に立たないな。

 まあいいさ。ベッドにもたれるとしよう。


「わー」


 ドサッと音を立てて俺は仰向けに寝転がった。

 来菜が見ていた天井の景色を俺も見ている。

 いやぁ……来菜の匂いが一番するのはやはりこのベッドだな。

 ここが辿り着くべき場所だったってことか……。



「…………………………何やってんだ俺は」



 ふと冷静になった。

 浮足立つどころじゃない、俺は完全に病で頭が冒されてしまっていた。

 冷静になると暗いことを考え始めてしまうので、本能で必死に明るく振る舞う方法を探していたのだろう。……そのはずだ。


 とにかく、明日で全てが決まってしまう。決まってしまうのだ。

 この塔での最後の夜にここで眠りに就けるのは、それだけでも多分幸福すぎることだろう。

 そう考えると……やはり少しだけみんなに対して罪悪感を抱いてしまう。

 俺はずっと幸せな日々だったが、みんなは辛く苦しい日々だったのかもしれない。

 その上でまた、俺だけが生き返ることになるというのは……許されることなのだろうか?

 ……いや、俺はもう決めたじゃないか。今更引き返したりはしない。だって……俺は生きたいと心から思っているんだから。

 現世で待ってる父親と母親、あと弟のためにも、俺は生き返るべきなんだ。

 十二人の魂を奪って生き永らえる役は俺が引き受ける。

 だから……みんな、今まで本当に……ありがとう……。


 そうして俺は、眠りに就いた。

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